ぷかぷか日記

満額回答

 ぷかぷかのメンバーさんと地域の人たちでやっている演劇ワークショップは講師料、会場費、舞台経費など約200万円ものお金がかかります。毎年あちこち助成金の申請をして、なんとかまかなっていますが、申請が通るかどうかわからない段階で、会場を押さえ、中身の計画を立てたりするので、本当にハラハラしながらの運営です。

 

 今朝、一番期待していたヨコハマアートサイトから「助成金交付決定通知書」が来ました。満額の100万円です(必要経費の半額)。

 

 選考委員会の評価は

「実績もあり、福祉施設による地域に根ざした活動として評価します。アーティストの選定や事業の展開手法も適切であると認め、満額回答とします。」

 うれしくてもう涙が出そうでした。こつこつやってきて、やっとここまで来た!という感じです。

 

 審査のポイントは

【芸術性】芸術的要素に対象活動項目の推進を期待できるか。

【地域協働】地域との連携・協力関係、または地域への貢献が期待できるか。

【将来性】実施活動により、活動または地域において将来的な発展や成長が期待できるか。

【実現性】経験・技術・人材など、事業実現のためのリソースを有し、具体的な計画があるか。

【収支バランス】適正勝つ実現可能か収支予算か。

 

 ヨコハマアートサイトは今年で3年目。去年通ったから今年も通るわけではなく、毎年新しく申請書を書きます。アート関係の団体が申請するので、キックオフミーティングや事業報告会では、クセのあるすごい団体が集まるので、毎年、圧倒されます。そんな団体の中で勝ち抜くので、申請書書きは本当に胃の痛くなる作業です。

 でも、審査のポイントに沿ってぷかぷかがやっていることを評価し直す作業は、本当に大変な作業ですが、事業の意味をいろんな角度から問い直すことになり、結果的に事業の質を高めることになります。助成金の申請作業をすることで「鍛えられた」といっていいくらいです。

 

 第3期演劇ワークショップの記録はこちらです。これも「鍛えられた」結果です。 

http://pukapuka-pan.xsrv.jp/index.php?minnnadewa-kushoppu%20dai3kinokiroku

 

 ワークショップの映像はこちら

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 あと100万円、どこかから調達する必要があります。こういう事業に助成金出してくれるところがありましたら紹介して下さい。

障がいのある人もやっぱり努力が必要なんでしょうか?

 NHKのあさイチで 発達障害のことを考えるシリーズをやっています。今朝は「自分の《苦手》とどうつき合う」というテーマで話し合っていました。自閉症の人で感覚的に食べられないものを「わがまま」だと決めつけられたりしてみんな苦労しているのですが、そこをいろいろ工夫して乗り越えていった実例が紹介されていました。

 いろんな実例が紹介されて、すごくいい内容だったのですが、司会の柳沢さんが、苦手を克服するには

「障がいのある人もやっぱり努力が必要なんでしょうか?」

とゲストの大学教授に聞いたとき

「障がいのある人も努力は必要ですね。自分でできないときは誰かの助けを借りればいいんです」

と言っていました。

 それ自体は間違ってはいないと思うのですが、努力しようと思わない人たちはどうなんだろうと思いました。

 努力しようと思わない人を、まわりの人が努力した方がいいと判断し、無理に努力させようとすると、努力させられる側は苦痛になります。

 「努力しようと思わない」のは「怠けている」のか、というと決してそうではありません。

 hanaちゃんという重度の障がいを持った子どもがいます。hanaちゃんのお母さんは昔《療育ママ》だったと自分で言っています。療育することで「hanaちゃんにいろんなことができるようにしよう」と努力してきたそうです。ところがいろいろ努力してもhanaちゃんはなかなか思うようにできることが増えません。そんな中であるとき

 hanaちゃん自身は、いろんなことができるようになることを望んでいないのではないか、ということに気がついたというのです。

 hanaちゃんは一人で箸やスプーンを使ってご飯を食べられません。以前は一人でご飯が食べられるように、いろいろ訓練みたいなことをやったようです。でもよくよく考えてみたら、自分がそう思っていただけで、hanaちゃん自身は「一人でご飯が食べられるようになりたい」とはちっとも思っていないことに気がついた、というのです。

 hanaちゃんにはhanaちゃんの人生があり、お母さんにはお母さんの人生があります。お母さんの人生の《基準》でnahaちゃんの人生を決めるのはやめようと思った、といいます。そこで出てきたのが《hana基準》です。

ameblo.jp

 

 お母さんは《hana基準》というものを見つけて以来、自分の生きることが楽になったといいます。

 

 努力することは人間を成長させます。でもそれは、ある集団の中だけで通用することだということを私たちはいつも確認した方がいいように思います。(あさイチに出演していた大学教授も重い障がいを持った人とあまりおつきあいしていないのではないかと思いました。)

 世の中には「努力しよう、とか、がんばろうと思わない人」がいっぱいいて、その人達の生き方も大事にしたいと思うのです。彼らの生き方こそ、努力することやがんばることに疲れてしまった私たちを救ってくれる気がします。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 それと努力する方向も考えた方がいいですね。障がいのある人たちは「社会に合わせる努力」を求められることが多いのですが、ぷかぷかで働くツジさんのお母さんは、それが《見当違いの努力》だった、とぷかぷかに来てから気がついたといいます。社会に合わせることが、本当にその人の幸福につながるのかどうか、といったことです。そういった《呪縛》のようなものから自由になることこそ大事な気がしています。 

映画『しがらきから吹いてくる風』無料公開中

 『しがらきから吹いてくる風』というドキュメンタリー映画が25日までユーチューブで公開されています。ぜひ見てください。

 信楽の街にはあたたかな風が吹いているといいます。信楽青年寮の青年達が 信楽の街で巻き起こしたゆるやかで、あたたかな風です。

 信楽は焼き物の街。陶工房のほとんどは夫婦か、親子でやっています。その中に信楽青年寮の青年達が入って行きます。そこでどんなおつきあいが生まれたかを映画は淡々と語ります。

 元々田舎の町のおおらかな雰囲気があったとはいえ、それでもそこに信楽青年寮の青年達が入り込むことで、新しい関係が生まれたことは間違いありません。

 映画ができたのは1990年です。あれからもう30年がたちます。「しがらきから吹いてくる風」は広がっていったのでしょうか?

 この映画を見ると、あれから30年もたった今、どうして相模原障害者殺傷事件は起こってしまったのだろうと、あらためて思います。

 風は止んでしまったのでしょうか? 

 やっぱりね、しがらきから吹いてくる風をしっかり受け止め、その風をあちこちで増やすことを私たちは怠っていたのだと思います。

 彼らが笑いながら生きていると、街にはやわらかな風が吹きます。彼らが笑いながら生きられるとき、その街で私たちもまた笑いながら生きることができます。街にやわらかな風が吹くから…

 最後のシーン、小室等さんの歌と彼らが道を歩く映像が重なるところ、最高にいいです。

 カメラを向けている監督に

「あんた、何やってるの?」

と聞く青年。笑っちゃいました。やわらかな風は、こういうところから吹き始めるのだと思います。

 彼らが引き起こすやわらかな風を止めてはいけない。もっともっと風を巻きおこしたい。今、この時代にあって、それを強く思います。

 

www.youtube.com

新しい文化をカッコよく

 冊子『PucaPucaな時間』の表紙ができました。これを半分に折ったものが表紙になります。タイトルが表表紙に「Pucapu」と裏表紙に「caな時間」と別れています。はじめに「Pucapu」が目に飛び込んできて、「え?何、これ」と思って、その続きを見るように裏表紙を見ると「caな時間」とあって、やっと納得、というわけです。

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 今まで「障がいのある人たちとは、いっしょに生きていった方がいいよ 」と言い続けて来たのですが、ただそこで終わってしまうともったいないほどのものを「ぷかぷか」は作ってきたような気がしています。

 ひとことでいうと「新しい文化」です。障がいのある人たちといっしょに生きていくことで生まれた「新しい文化」です。それをカッコよく発信しよう、というわけです。この「カッコよく」がポイントです。

 

 「新しい文化」は障がいのある人を排除しない文化です。どこまでもいっしょがいい、という文化です。いっしょの方が社会は豊かになる、という文化です。

 いっしょに生きていくことで生まれる心安らぐ文化です。心あたたまる文化です。ホッと一息つけるような文化です。居心地のいい文化です。心の底からゆるっとできる文化です。私を取り戻す文化です。

 障がいのある人に対し「あなたが必要」と言える文化です。「あなたにいっしょにいて欲しい」と言える文化です。人に対してやさしい気持ちになれる文化です。

 障がいのある人たちとフェアに向き合う文化です。彼らに何かやってあげるとか、支援するとか、そういう上から目線でなく、どこまでもフェアに向き合う文化です。

 障がいのある人たちだけで生み出すものではなく、もちろん私たちだけで生み出すものでもなく、「彼らと私たちのフェアな関係性」の中で生まれる文化です。

 何かにつけ私たちを縛っている様々な「規範」から自由になれる文化です。そのお手本は障がいのある人たちです。彼らをお手本にする文化です。謙虚に彼らに向き合う文化です。

 社会に合わせることを求めない文化です。人はみんなその人自身の姿が一番いい、という文化です。

 効率を追わない文化です。人よりもたくさんできることがいい、なんてことは思わない文化です。効率の悪さを、ゆったりと楽しめる文化です。

 何かができる、できないで、人を評価しない文化です。その人の存在そのものに価値がある、とする文化です。

 相模原障害者殺傷事件を生み出すような病んだ社会から私たちを救う文化です。 

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第3期演劇ワークショップのプロモーションビデオ

第3期演劇ワークショップのプロモーションビデオができました。

www.youtube.com

 

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●鮮明なチラシは下記をクリックして下さい。サイトの中にあるダウンロードボタンをクリックすると鮮明な大きなチラシが出てきます。

6月17日上映会 – 「カフェベーカリーぷかぷか」「ぷかぷかカフェ」「おひさまの台所」「アート屋わんど」

 

 

 

みんなに伝えたい理由

 花岡さんが「障がい児との日常を公開する理由」を三回に分けて書いていました。

 一回目は「あー、なんだか花岡さんち大変そうびっくり うちはまだいい方なのかなー。

頑張ろうかなぁー。
 って勇気や安心感を持ってもらえたら、、、と思っているから」

 二回目は「ありのままに生きるhanaの素晴らしさ、この存在をみんなに伝えたい」

hana基準を伝えたいというわけです。それは多分みんなを幸福にします。 

 三回目は「楽しいから」

     hanaの可愛いところ、思わずクスッと笑ってしまうところ

      書くのがとにかく楽しいからです。
 
 三回目は私がぷかぷかさん達のことを書く理由とおんなじだと思いました。
みんなかわいいし、思わずクスッと笑ってしまうところはいっぱいあるし、毎日がほんとうに楽しいからです。書くのも楽しいからです。
 だからいっしょに生きていった方がトクなのです。
 最近はもう少し考えが深くなったのか、この「ぷかぷかな時間」「ぷかぷかな空間」が私たちにとってすごく大事な気がしています。心安らぐ時間であり、自由になれる時間、自分を取り戻す時間です。居心地のいい空間であり、心が優しくなれる空間であり、人がいとおしくなる空間です。
 「ぷかぷかな時間」「ぷかぷかな空間」は「ぷかぷかさんと私たちの関係」(この「関係」が大事!)が作り出した、心の底からゆるっとできる世界なのです。だからみんなに伝えたいのです。ameblo.jp

未来に向けて小さな希望が持てるような明るい話し合いができたら

 6月17日(土)みどりアートパークで演劇ワークショップの記録映画と新しいプロモーションビデオの上映会をやります。

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●鮮明なチラシは下記をクリックして下さい。サイトの中にあるダウンロードボタンをクリックすると鮮明な大きなチラシが出てきます。

6月17日上映会 – 「カフェベーカリーぷかぷか」「ぷかぷかカフェ」「おひさまの台所」「アート屋わんど」

 

 

 午前中は第一期演劇ワークショップ(2015年6月〜11月)の記録映画『ぷかぷか』、午後は新しいプロモーションビデオ『いっしょにいると心ぷかぷかⅡ』と第三期演劇ワークショップ(2016年8月〜2017年1月)の記録映画『ぷかぷかⅡ』を上映します。

 映画『ぷかぷか』はぷかぷかで働く障がいのある人たちと地域の人たちが月一回集まって6ヶ月かけて芝居作りをしたときの記録映画です。作った芝居はみどりアートパークのホールの舞台で発表しました。

 第一期の演劇ワークショップに参加した地域の人の感想にこんな言葉がありました。

 

 「あんなにも心の底から楽しい〜って思えたのは久しぶりです。」

 

 「心の底から楽しい〜」って思えることなんて、なかなかないことです。演劇ワークショップは、障がいのある人たちと、そんなふうに思える関係を、一緒に芝居を作っていく中で作り出しました。「なんとなくいや」とか「こわい」とか社会から排除されがちな障がいのある人たちと「心の底から楽しい〜」って思える関係を作ったことは、ワークショップの大きな成果といっていいと思います。これは障がいのある人たちの置かれている社会的状況に希望をもたらします。彼らだけでなく、時代の閉塞感の中で息苦しい思いをしている私たち自身をも救ってくれる気がしています。

 どうしてそんな関係ができたのか、映画はそれを淡々と伝えてくれます。

 演劇ワークショップというのは、みんなでお芝居を作っていく作業のことです。演出家が決めたとおりにやる芝居ではなく、みんなで「あーだ」「こーだ」といいながら作っていく芝居です。その「みんな」の中に、障がいのある人たちもいます。そして「みんな」はどこまでも「フェアな関係」です。

 「フェアな関係」になると何が見えるのか。そして何ができるのか。

  社会の中では、あれができない、これができない、と蔑まれている彼らが、一緒にワークショップをやってみると羨ましいほどの自由さと、とんでもない表現力を持っていることに気づきます。「フェアな関係」だからこそ、気づくのです。そうやって彼らとあらためて出会うのです。

 そんな風に出会った彼らは、もう何かをやってあげるとか、支援するような対象ではありません。一緒に新しいものを創り出す、クリエイティブな仲間なのです。「フェアな関係」だからこそ、そういう新しいものを一緒に創り出す仲間になることができます。

 そうしてみんなでみどりアートパークホールの舞台に立ちます。 

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 これが演劇ワークショップが創り出した新しい「文化」です。障がいのある人たちを排除する「文化」に対する、新しい「文化」です。社会を豊かにする「文化」です。それを映画はきっちりと見せてくれます。

 

 

 午後は新しいプロモーションビデオを上映します。ビデオを制作した信田さんの思いです。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 上映会のあと、相模原障害者殺傷事件のことを話題にしたいとは思いますが、優生思想云々とかいった大きな話ではなく、私たちに実際にできる小さな話をしたいと思っています。日々の暮らしの中でできることです。

 ぷかぷかに子どもと一緒にいつもクリームパンを買いに来ていたオーヤさんは、バスや電車の中で知ってるぷかぷかさん達に会ったら、「おはよう、元気?」って声をかけるのだそうです。そうすることで、「バスや電車の中の雰囲気が変わるでしょ」って言います。

 そういう小さなことを日々積み重ねていくことで、社会は少しずつ、お互いが気持ちよく生きていける社会に変わっていくのだと思うのです。

 ですから上映会のあとは、相模原障害者殺傷事件に関する重い話をするのではなく、私たち一人ひとりができる小さなアイデアを出し合うような、未来に向けて小さな希望が持てるような明るい話し合いができたら、と思っています。ぜひお越し下さい。

 

 

 

 

 

 

幸せをいっぱい生きた人の顔を見た気がしました

先ほど紹介した表参道の「ダウン症の子と母の写真展」は文字によるメッセージが一切なかった、と思っていたのですが、映像クリエイターの信田さんから、小さくメッセージが書いてあった、とメールがありました。

 

《 思い描いていた幸せとは違っても、違う幸せがきっとある 》

 

というメッセージで、信田さんは、涙が出た、とメールに書いていました。

 

《 違う幸せがきっとある 》

写真達は私たちの方をきっちりと見て、そう言い切っているように思いました。

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 私は養護学校で勤務する前、採用試験の面接で、養護学校へ行く気があるかどうか質問を受けました。私は小学校に行くつもりで試験を受けたのです。三つの選択肢がありました。①養護学校がいい ②養護学校でもいい ③養護学校はいや  の三つです。私は養護学校に行きたかったわけではなく、かといって、どうしてもいや、というわけでもなく、ま、養護学校でもいいか、と②を選択しました。

 養護学校に行く人がいなかったのか、すぐに養護学校の校長から電話が入り、養護学校へ行くことになりました。なんの期待もしていませんでした。

 ところがそこで障がいのある子ども達に出会ってしまったのです。

 私が勤務した養護学校は知的障がいの子ども達の学校でした。おしゃべりができない、字が読めない、着替えができない、うんこの後始末ができない…と、できないことだらけの子ども達でした。でも、そんな子ども達と日々格闘(本当に私にとっては「格闘」でした)する中で、なんと彼らと出会ってしまったのです。

 すごい大変な子ども達で、毎日毎日想定外のことをやってくれる彼らを相手にどうしていいかわからず、「ひゃ〜、どうしよう、どうしよう」とおろおろしていました。でも、よ〜くつきあってみると、とにかくすっごく楽しくて、そばにいるだけで心がなごみ、あたたかな気持ちになれるのです。え? 何? この気持ち? と思いながらも、どんどん彼らのこと好きになってしまったのです。

 そんなふうにして障がいのある人たちと出会い、以来人生が大きく変わりました。

 あれからもう38年、今、彼らのそばにいて、毎日がすごく楽しくて、とても幸せを感じています。障がいのある人たちに、幸せにしてもらったのです。

 

 ダウン症の子のお母さんたちの存在感ある写真達。苦労しながらも、子どもと出会い、幸せをいっぱい生きた人の顔を見た気がしました。

 

★写真展は明日までです。地下鉄表参道の地下通路です。

人の生きている重み、生きてきた重みが…

 渋谷のサービスグラントに行く用があって、表参道の駅の通路で催されているダウン症の子と母の写真展を見てきました。

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 モノクロの、すばらしい写真展でした。言葉は一切ありません。

 人の生きている重み、生きてきた重みがストレートに伝わってきます。ダウン症の理解とか、そんなレベルではない、人が生きていること重みそのものが、きっちりとこちらを向いた顔から伝わってくるのです。

 相模原障害者殺傷事件が起き、私はそのことについていろいろ言葉で語ってきました。そういうメッセージをはるかに超えるものを、この写真達は語っているように思いました。

 この写真達を前に、たとえば「障害者はいない方がいい」などと語れるのかどうかです。それくらい揺らぎのない、人の存在する意味をそのまま差し出している気がしました。

 あーだこーだ言わず、写真達の前に黙って立つ、そんなことぐらいしかできない気がしました。

 

 写真達を見ながら信田さんのメッセージを思い出しました。

  プロモーションビデオ第2弾を作っている信田さんは6月17日(土)みどりアートパークでの上映会に向けてこんなメッセージを寄せてくれました。

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今回の映像の打ち合わせが始まったのは2016年秋、当初高崎さんは7月に相模原でおきた障がい者殺傷事件に強い憤りを感じていて、事件に対する具体的なメッセージとしての映像を望んでいた。しかし具体的なメッセージを描こうとすればするほど、僕は意見の異なる人たちと同じ土俵に上がることへの違和感を感じるようになっていた。同じ土俵に上がることは同じモノサシで意見を述べることであり、「いなくなればいい」とか「いた方がいい」という直線的な論議では、ぷかぷかが生み出している豊かな空気感(仮にぷかぷか現象と呼ぶこととする)を伝えきれないと思ったのだ。もっと立体的な座標軸の中でぷかぷか現象を捉え映像にすることで、結果としてメッセージになるようにしたいと思った。

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 どうも私たちはこの直線的な議論にはまってしまいがちです。

 表参道の写真達は、そんな議論を超えたところで、まっすぐにメッセージを伝えているように思いました。

 

 

 表参道の写真展は14日の母の日までです。ぜひお出かけ下さい。黙って写真の前に立ってみて下さい。写真達の語りかけてくるメッセージに耳を澄ませて下さい。 

h-navi.jp

雑誌『そよ風のように街に出よう』が残したもの

『そよ風に街に出よう』という雑誌の編集をやっている小林さんが取材に来ました。週刊号にぷかぷかの話を載せるそうです。

 

『そよ風のように街に出よう』最新号

 

『そよ風に街に出よう』は37年前、障がいのある人たちに「そよ風のように街に出よう」と呼びかけて、スタートしました。当時、障がいのある人はほとんど街に出ることなく、家に閉じこもっていました。閉じ込められていた人もたくさんいました。そういった社会的状況に中で「そよ風のように街に出よう」という呼びかけは大きな反響を呼んだようでした。

 街に出た障がいのある人たちの話をふつうの人たちに届けたりもしました。障がいのある人たちを取り巻く社会的状況を、そうやって少しずつ変えてきました。

 書きようによってはすごく重くなる記事をさらっと軽く書いて、それでいてしっかり中身が伝わってきて、そのセンスがすばらしいと思っていました。それでも時代の波から取り残されるように部数がどんどん減って、ついにこの夏、終刊号を迎えます。

 関西テレビが「そよ風」が37年かけてやってきたことを相模原障害者殺傷事件に関連づけて1時間の番組にまとめていましたが、とてもいい番組でした。障がいのある人たちが街に出て、どんな風に世界が広がっていったのかを丁寧に追いかけていました。

 梅谷庄司さんは奈良の山奥で暮らしています。その山奥まで小林さんを始め、いろいろな方が庄司さんの生活を支えにやってきます。小林さんは月2回、2時間半もかけて庄司さんのところへ出かけていきます。そんなおつきあいを40年も続けてきたそうです。庄司さんは部屋にあるエアコンとかテレビなどすべてぶっ壊し、自分の着ている服も破り捨ててしまいます。とにかく大変な方です。それでも小林さんは、庄司さんのところへ出かけると、なんかホッとするものがあるといいます。だから40年も続けてこれた、と。

 関西テレビは小林さんと一緒に庄司さんを訪ねます。服を破り捨てて裸で座り込んでいる庄司さんは、なんとも言えず人間味があって、会いに行きたいと思うくらいの人でした。小林さんが40年も通い続けてきた理由がわかる気がしました。

 番組を見て「どうしてあんなに大変な人を施設に入れないんだ」という人もいたそうです。私はなぜかにんまり笑って「ああ、会いに行きたい」と思いました。この受け止め方の落差は目がくらむほどに大きいですね。

 『そよ風のように街に出よう』は、この落差を埋めようと37年もがんばってきたのだと思います。雑誌はこの夏で終わりますが、小林さんはまだまだ庄司さんのところへ通い続けます。

 そういう関係を日本のあちこちに作ったこと。それが『そよ風』の功績だろうと思います。関西テレビはそのいくつかを番組で紹介していました。

 「かなこさん」という重度の障がいを持った女性を紹介していました。日常のすべてに介護が必要な方で、「チームかなこ」という若い女性チームがそれを担っています。かなこさんと一緒に街に出かけ、喫茶店に入り、わいわい言いながら注文をします。もちろんかなこさんはおしゃべりしないのですが、それでもチームかなこの人たちと何を注文するかでわいわい楽しそうにやっているのです。大学のゼミで、かなこさんと一緒に、かなこさんとのおつきあいの中で見つけたことを学生達の前で発表します。チームかなこの一人が結婚したときは、かなこさんもきれいにお化粧してもらい、ステキなドレスを着せてもらって結婚式に出席します。結婚式のあと、新郎新婦、チームかなこの人たちに囲まれて楽しそうに話をしているシーンは、ちょっと涙が出ましたね。

 「そよ風のように街に出よう」って言う呼びかけは、あちこちでこういうおつきあいを生んだのだろうと思います。雑誌は終わっても、あちこちの関係はこれからも続きます。その関係が社会を少しずつ、お互いが生きやすい社会に変えていきます。

 

 ★関西テレビの番組、録画したDVDがあります。見たい方はぷかぷかまで連絡下さい。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp 高崎

 

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