ぷかぷか日記

「対決を乗り越える」「差別とどう向き合うか」みたいな言葉

知り合いから立教大学で津久井やまゆり園の事件をテーマにした公開講演会の案内がありました。

www.rikkyo.ac.jp

  大学でこんな講演会をやるなんてすごいなぁ、と素直に感心しました。若い学生さん達がこういうことを機会に、やまゆり園の事件のことを考えてくれればと思います。

 ただ大学での講演会のせいか、なんとなく硬い雰囲気。講師の方の著作に『対決を乗り越える心の実践:障害者差別とどのように向き合うか?』というのがありましたが、「対決を乗り越える」だの、「差別とどう向き合うか」といった構えた話じゃなく、「ややこしいことごちゃごちゃいわんと一緒に生きていった方がトクじゃん」て、私は思います。こういう感覚でぷかぷかをやってきて、その結果、「ぷかぷかが好き!」とか、「ぷかぷかのファン」ができたりしています。こうやって地域社会が少しずつ変わってきています。

 「障害者差別とどのように向き合うか」なんてまじめに考えないと社会は変えられない、という硬い思い込みから自由になることこそ大事な気がします。私自身、養護学校の教員になって、障がいのある子ども達と出会うまでは、そんなふうに考えていました。「障害者差別とどのように向き合うか」と。

 でも、彼らと出会い、ステキな彼らを養護学校から街の中へ連れ出し、たくさんのいい出会いを作っていく中で、こういう出会いを作ることこそが大事、と思えるようになりました。pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 このときの経験がぷかぷかにつながっています。

  そしてぷかぷかでは「彼らといっしょに生きていった方がいいよ」とやわらかく呼びかけています。ぷかぷかは差別と闘わないのです。闘わない方法で、社会をいい方向へ変えていこうとしています。

 彼らとふつうに友だちになること。それは誰にでもできることです。だたそれだけで社会が少しずつ変わっていきます。ぷかぷかがやってきたことを見てもらえば、それはすぐにわかります。

 

 機会があればこういう集まりの講師にぜひぷかぷかさんを呼んで欲しいと思います。ぷかぷかさん達との楽しいやりとりを経験すれば、「対決を乗り越える」だの、「差別とどう向き合うか」みたいな言葉が、ほとんど意味を持たなくなって、なんかもうどうでもよくなる気がします。

 

こうやってふつうに楽しくおつきあいするだけのこと

f:id:pukapuka-pan:20170622120524j:plain

 

 こんな人たちとはつきあった方が絶対トク!

f:id:pukapuka-pan:20170623155550j:plain

 

ぷかぷかさんのおひるごはん

『ぷかぷかさんのおひるごはん、工事してますか?』と、毎日のようにテラちゃんに聞かれています。きっと早くこの場所で働きたいのでしょう。

工事の方も大詰めを迎え、後一息となりました。

毎日みんなのお昼を作りながらの作業でしたので、本当に遅くなってしまいました。

もう少しだけ手を入れたい所があります。

ですのでオープンは7月の下旬となりそうです。

早く、この場所で皆さんとワイワイ過ごしたい気持ちでいっぱいですf:id:pukapuka-pan:20170625221439j:imagef:id:pukapuka-pan:20170625221452j:imagef:id:pukapuka-pan:20170625221457j:imagef:id:pukapuka-pan:20170625221506j:imagef:id:pukapuka-pan:20170625221517j:imagef:id:pukapuka-pan:20170625221522j:image

 

社会における「ぷかぷかの価値」

 今朝の朝日新聞の読書欄に「築地市場の価値」と題して築地市場について大きくページを割いて書いていました。その中で「築地市場は単なる市場であることを超えて、世界にも希有な生きた食文化博物館にして、いまや世界中から注目を集めている…」というところが、すごいと思いました。「豊洲市場への移転によって、東京は自分の中の重要な経済的文化的機構の一つを、永遠に失うことになる。日本人は築地市場のような価値ある場所を失ってなならない」と結んでいました。

 

 ぷかぷかも単なる福祉事業所であることを超えて、福祉の枠にもう収まらないほどの「新しい価値」を創り出している気がします。

 先日の上映会では朝日新聞、毎日新聞、神奈川新聞、それにNHKが取材にきていました、単なる福祉事業所の映画であれば、こんなに取材はきません。

 毎日新聞は一面使ってぷかぷかのことを書くそうで、度々取材にきています。先日は一日メンバーさんと一緒に働く体験取材をしていました。

f:id:pukapuka-pan:20170625190047j:plain

 

 今週はサービスグラントのキックオフミーティングを取材します。 サービスグラントについては下記サイト。

www.servicegrant.or.jp

 

 サービスグラントには企業にアートを売り込む営業資料を作ってもらいます。6ヶ月かけてパワーポイントで20ページ分くらいの営業資料を作ります。

 営業資料というのは「ぷかぷかの社会的価値」を企業に伝えるためのものです。そのためにいろんな人にぷかぷかについてヒアリングをしたり、イベントに参加したり、ぷかぷかの日中活動を取材したりして、「ぷかぷかの社会的価値」を掘り起こしていきます。

 福祉の業界だけに通用するようなものではなく、社会全体に通用する「ぷかぷかの価値」です。そうでないと、企業には伝わりません。企業を説得できるだけの価値です。企業がお金を出してでも買いたい価値です。

 ぷかぷかのアートを企業が採用することにどんな意味があるのか、それを社会における「ぷかぷかの価値」という視点から書いていきます。すごく大変な作業になると予想されますが、大変だからこそ、この作業はおもしろいと思います。

 毎日新聞が一面も使ってぷかぷかを紹介したい、というのは、多分一面使って紹介するに値する「ぷかぷかの価値」を見つけたのだろうと思います。一面でそれを書ききるのはすごく大変だと思います。パワーポイント20ページ分の方がまだ楽な気がしますが、いずれにしてもすごく楽しみです。

 

 「ぷかぷかの価値」とは「ぷかぷかさん達が作り出す価値」です。障がいのある人たちが作り出す新しい価値です。彼らと一緒に生きることで生まれた新しい価値です。

 

 

 

街を耕すことの第一歩は

先日の映画を見た方の感想です。メンバーさんが地域を耕すことについて書かれています。

 

●●● 

以前二ツ橋大学で瀬谷の事業所の職員が高崎さんに「どうしたら地域との繋がりを持つことができるのか?」といった質問をした時に
高崎さんが「自分はなにもしてない。メンバーさんがやっている」と応えられました。
その時私はその意味や状況を想像すら出来ませんでした。
 
そしてその後何度もぷかぷかに行き、ぷかぷかの記事を読み、その理由を探るべく行動をしてきました(笑)
ぷかぷかには一度行っただけでぷかぷかは他とは違 う!と感じました。
徐々にぷかぷかの空気感にひたりいつしかぷかぷかのファンに。
 
そして今回のPVを拝見して私も今地域を変えるのはこの人達だ、と言えるようになりました。
今回の映像はほんわかぷかぷかさんの雰囲気が良く出ていたと思います。
メンバーさんの持ち味と高崎さんとの関わりが泣けるほどにいいです。
 
ぷかぷかさんとふれ合うと何だか自分の奥底に隠れていた優しさや穏やかさが引き出されるのではないでしょうか。
=人を豊かにするんです。
 
そんな感じが映像からも良く分かりま す。
 
ぷかぷかさんのメンバーさん達にはこれからもどんどん地域に出ていって欲しいと思います。
 
そして私、思うんですが、どこの事業所にも地域を耕せるメンバーさんがいると思います。
これは実感です。
すべての事業所がぷかぷかさんのようには実際はなれないと思いますが、
地域を耕せる方達がいるわけですから率先して地域に出ていって欲しいと思います。
 
まずはそこからだと思いました。
それで充分周辺地域は変わると思います。それが広がればいいんです。
 
その為にも一人で も多くの方にこの映像を見て欲しいです。
 
●●●
 
 うれしい感想です。こうやって人が動いていくところがいいですね。動けば何かが変わります。
 
 街を耕す、というのは、街の人たちといい関係を作ることです。街の人にとって、いい出会いを作ることです。障がいのある人たちとおつきあいしてよかったな、と思える関係を作ることです。
 そのためにはまず私たち自身が「彼らとおつきあいするといいよな」と思える関係を作ることが大事だと思います。それと彼らが自由に振る舞える環境があること。この二つが大事だと思います。
 彼らを「支援」するとか。「管理」する、といった発想から、私たち自身が自由になること、それが街を耕すことの第一歩だと思います。何よりも、私たち自身がそうすることで楽になります。
 
 
 

ぷかぷかの映画の自主上映をお願いします

 ぷかぷかの映画の自主上映をお願いします。上映をお願いしたいのは以下の3本です。

プロモーションビデオ第1弾(5分)

www.youtube.com

プロモーションビデオ第2弾(15分)

www.youtube.com

  第3期演劇ワークショップの記録映画(38分) ここに貼り付けてあるのは映画の宣伝ビデオ(3分)

www.youtube.com

 

みんなが心ぷかぷかになると…

 この映画を見ると、ぷかぷかの自由な空気感がどういうものか、よくわかります。ぷかぷかの空気感は社会を心地よくします。この自由で心地よい空気感こそ、障がいのある人たちと一緒に生きる理由です。

  「彼らと一緒に生きていきたい」と思ってぷかぷかを立ち上げたのですが、そういうスタンスが、このなんとも心地よい空気感を自然に生み出したのだと思います。「彼らと一緒に生きる」という関係性、ただそれだけでこの空気感が生まれています。ですからむつかしいことでもなんでもないのです。「彼らと一緒に生きよう」と思うかどうかだけです。

 障がいのある人たちの存在を真っ向から否定した相模原障害者殺傷事件。そして、それを生み出した社会。

 それに対して、プロモーションビデオ第2弾は「あの事件はけしからん」と議論をふっかけるのではなく、「ぷかぷかの空気感」を黙って差し出しています。演劇ワークショップの記録映画は、彼らと一緒に生きていくことで生まれる楽しさ、豊かさをしっかり見せてくれます。プロモーションビデオ第1弾は「一緒にいると心ぷかぷか」といっています。

  みんなが心ぷかぷかになると、社会はそこから少しずつ変わっていきます。みんなが生きやすい社会に変わっていきます。障がいのある人たちを否定しないような社会に変わっていきます。

 みんなが心ぷかぷかになるために、ぜひぷかぷかの映画の自主上映(高崎のお話付き)をやってみて下さい。

  

どうして自主上映なのか

 自主上映というのは、映画館に行ったり、どこかの上映会に行くのではなく、自分で上映会を企画し、会場を借り、宣伝チラシを作り、お客さんを集め、上映することです。お金がかかります。ぷかぷかの映画の場合は上記3本で3万円です。それに会場費、宣伝費などを入れるともう少しかかります。そんなにお金のかかる、面倒くさいことをどうしてやるのか。

 

ひとことで言うと、自主上映は自分を磨き、自分を豊かにするからです。

  ぷかぷかの映画を人に見せたい、ということは、ぷかぷかのことをたくさんの人に知って欲しい、ということです。どうして知って欲しいのか、そのためにはまず、ぷかぷかって自分にとってなんなのか、それを一生懸命考えます。そうするとどうしてたくさんの人に見せたいのかが見えてきます。

 どうしてぷかぷかが好きになってしまったのか、何がきっかけだったのか、それを一生懸命思い出して下さい。

 ホームページやFacebookページを見ても楽しいよね、心癒やされるよね。どうして楽しいんだろう、どうして心癒やされるんだろう。それを考えてみて下さい。

 いろいろ考えたことを、来てほしい人たちにしゃべります。宣伝のチラシに書きます。FacebookやTwitterで発信します。

 そうやって考えたり、しゃべったり、書いたりすることが自分を磨き、豊かにします。

 

ぷかぷかのヒミツ

  社会の中ではなんとなくいやだなぁ、と嫌われている障がいのある人たちが、ぷかぷかで働いていると、「彼らのこと好き!」とか「彼らのファンです」という人が次々に現れます。どうして障がいのある人たちのこと、好きになってしまうんだろう。ここにぷかぷかのヒミツがあります。

 社会の多くの人は「障害者はいろんなことができない」「役に立たない」「社会のお荷物」などと否定的に考えています。でもぷかぷかで働いている障がいのある人たちを見ていると、とてもそんなふうには思えません。どうしてそんなふうに思えないんだろう。ここにもぷかぷかのヒミツがあります。

 ぷかぷかのヒミツとは何か。それをぜひ映画を見ながら考えてみて下さい。

 ぷかぷかのヒミツは障がいのある人たちと私たちの新しい関係を提案しています。その関係は、多分、私たちを救います。いつも「支援」の対象になっている彼らが、私たちを「救う」のです。

 

気づきの共有

  自主上映は、ただ映画を上映して終わるのではありません。上映後、気がついたことをみんなで話し合います。いろんな人が気づいた、様々な異なる気づきをみんなで共有します。気づきの共有です。そうすることで、更に新しい気づきがあります。

 上映会後の話し合いには高崎も参加しますので、ぷかぷかのヒミツなど、わからないことはなんでも聞いて下さい。ヒミツの共有ができます。

 

たくさんの人たちとの出会い

 自主上映の準備をしていく中で、たくさんの人たちと出会います。同じ地域にこんなすてきな人がいた、こんなおもしろいことをやっている人がいた…地域がこんなにも豊かだったことの発見。地域で生きることが楽しくなります。たくさんの出会いは、自分の幅を広げ、豊かにします。そうして何よりも、誰かと出会うところから新しい物語がはじまります。

 

みんなで動き出すー新しい物語のはじまり

 映画見て、高崎の話を聞いて、ああよかったよかった、では何も変わりません。みんなのエネルギーを注ぎ込んだ上映会が、もったいないです。

 大事なことは、上映会をきっかけに社会が少しでも心地よくなるよう、障がいのある人もない人も、お互いが少しでも生きやすい社会になるよう「みんなで動き出す」ことです。

 自主上映の中でいろんな人たちと出会い、今度はこれをいっしょにやってみよう、となれば、そこから新しい物語がはじまります。みんなが動き出せば、物語はどんどんふくらんでいきます。

 物語を紡ぐこと、それは自由で、心地よい社会を作り出すための最初の一歩をみんなで踏み出すことです。

 

 どんなわくわくが待っているか、さぁ、新しい物語の始まりです!  

 

 

上映経費 

 上映するための経費は3万円です。このお金は演劇ワークショップの運営費と記録映画製作の経費になります。高崎はボランティアで話をしにいきます。もちろんお金に余裕のあるところは講演料を払っていただけるとうれしいです。遠いところは交通費をお願いします。

 

問合せ

 NPO法人ぷかぷか事務所 045-453-8511        pukapuka@ked.biglobe.ne.jp 高崎まで

 

先日の上映会のチラシ。これを元に、近々自主上映で使えるチラシ作ります。日時、場所、チケットの値段、問合せ先などは空白にし、自主上映する人たちが自由に書き込めるようにします。チラシの裏は自分たちの思いをめいっぱい書いて下さい。

f:id:pukapuka-pan:20170513135328j:plain

 

 

 

 

あの犯人の暮らした街に「ぷかぷか」があって、どこかで「ぷかぷか」と出会っていたら…

 土曜日の上映会で杉浦さんとお話ししました。杉浦さんは有名(?)な二ツ橋大学の副学長さんです。本人は雑用係といっていましたが…

 杉浦さんは、この二ツ橋大学で、相模原障害者殺傷事件をテーマにした集まりを何度かやっていて、私も参加した縁で、上映会のあとのトークセッションに出ていただきました。相模原障害者殺傷事件という重いテーマを、決して逃げることなく、正面から向き合おうとする杉浦さんの姿勢こそ私たちは見習いたいと思い、ゲストにお呼びしました。

 

 杉浦さんは昔、有機野菜を扱う小さな八百屋をやっていました。その八百屋に、私が養護学校の教員をやっている頃、てっちゃんというダウン症の男性を雇ってもらいました。進路担当の教員はてっちゃんに一般就労は絶対無理!無理!といっていました。でも、私はてっちゃんのような人こそ、街で働いて欲しいと思っていたので、てっちゃんを雇うと絶対にいいことがある、としつこくお願いしました。その思いが杉浦さんに届いて、てっちゃんは八百屋で働くことになりました。もう30年くらい前の話です。

 ぷかぷかの映画を見たあと、その頃の話を杉浦さんはしてくれました。八百屋はものすごく忙しい職場で、お昼ごはんを取れるのが夕方の4時頃になることが日常茶飯事であったといいます。そんな中でてっちゃんは黙々とマイペースで働いていました。てっちゃんの働く姿は、そのまま杉浦さん達の働き方に大事な問いかけをしていたといいます。有機野菜を売るというミッションと、杉浦さん達の働き方があまりにもかけ離れているんじゃないか、と。杉浦さんたちは考え込んでしまったそうです。人としてのまっとうな働き方をいそがしさの中で忘れてしまっていた、それをてっちゃんが引き戻してくれた、というのです。てっちゃんは、あーだ、こーだ、とややこしいことはいいません。ただ黙々と働く姿で、その大事なことを教えてくれた、と杉浦さんは話してくれました。それが障がいのある人と一緒に働く意味ではないかと。

 相模原障害者殺傷事件の犯人は「障害者はいない方がいい」などといいました。でも、てっちゃんは杉浦さん達にとって、「障害者はいない方がいい」どころか、てっちゃんが八百屋で働くことで、とても大事なことを教えてくれた人なのです。

 

 てっちゃんは気がつくと街の中でたくさんのつながりを作っていた、と杉浦さんは話していました。朝夕乗り降りする駅の人たちはみんなてっちゃんのことを知っていたそうです。てっちゃんは人なつっこくて、誰にでも愛されるような人でした。こういう人は街の中にいた方がいい、と杉浦さんのお店に入れてもらったのですが、予想通り、てっちゃんのキャラクターで街を耕していたようです。こういう街はてっちゃんが歩くことでホッとした雰囲気が漂います。誰もが生きやすい街になります。

 ぷかぷかさん達も毎日街を耕しています。映画はそれを伝えていました。

 彼らが街にいること。そのことがすごく大事なのだと思います。

 

 あの犯人の暮らした街に「ぷかぷか」があって、どこかで「ぷかぷか」と出会っていたら、多分あんな事件は起こさなかったんじゃないか、と杉浦さんは話していました。ここに事件の本質があると思いました。

 障がいのある人たちとおつきあいする機会がふだんの暮らしの中でもっともっとあれば、あの事件は多分起こらなかったのだろうと思います。

 学校の時から障がいのある子どもとない子どもが分けられることが当たり前になっています。何かの機会がなければ、障がいのある人たちとおつきあいすることはありません。おつきあいがなければ、彼らのことは全くわかりません。なんとなくいやだね、とか、近寄りたくないな、といったマイナスイメージだけが一人歩きします。犯人もそういう社会の中で生き、育ってきました。何かのきっかけで、そのマイナスイメージが犯人の中で爆発的に大きくなり、事件に至ったのだと思います。

 事件が大きすぎで、私たちの手に負えない感じですが、杉浦さんの

あの犯人の暮らした街に「ぷかぷか」があって、どこかで「ぷかぷか」と出会っていたら、多分あんな事件は起こさなかったんじゃないか」

という発言は、そうだ、そういうことだよな、と事件の一番の原因が見えた気がしました。

 そしてあたし達にできることは、街の中で障がいのある人たちと楽しくおつきあいできる機会をたくさん作ること、そこから豊かなものをたくさん作り出すことだとあらためて思いました。

 「ぷかぷか」では障がいのある人たちが働いています。社会の中ではどちらかというとなんとなく嫌われている人たちです。ところが彼らが「ぷかぷか」で働いていると、嫌われるどころか、「彼らのこと好き!」とか「彼らのファンです」という人が増えたりしています。

 社会と全く反対の反応です。彼らのこと好きになるなんて、そんなことがあり得るの?と思ってしまうのですが、ここにこそぷかぷかのヒミツがあります。

 そのヒミツとは何か。

 それは別にたいしたことではなく、障がいのある人たちを社会にあわせたりせず、彼らのそのままの姿を差し出しているだけです。そうすると彼らのファンが次々に生まれたのです。彼らのそのままの姿には魅力があり、それにお客さんが気がついたのです。 

 そしてこのぷかぷかのヒミツこそが、相模原障害者殺傷事件を生むような病んだ社会を救う手がかりを提案している気がするのです。

 

 犯人が、ぷかぷかのカフェに来て、たとえばテラちゃんの機関銃のように威勢のいい言葉がぽんぽん飛び出してくるような元気で楽しい接客に出会っていれば、事件は絶対に起きなかったのではないか、と思うのです。

 

 テラちゃんはこうやってぷかぷかのファンをどんどん増やしています。

f:id:pukapuka-pan:20170416164059p:plain

 

 

 

 

 

  

 

 

「お互いさま」と迷惑をかけあえる世の中をめざしたいと思います

 映画を見た人のすばらしい感想が届きました。

●●●

 実際の活動の現場をお訪ねしたことがなかったので、今回の映画を観られて、ほんの一部分でしょうが、ぷかぷかの雰囲気を感じることができてよかったです。
 
 障害のある彼らがいることで、この空気感が生まれると高崎さんはおっしゃいますが、実際には、彼らが居ればそういう空気感が自然に生まれるわけではありません。
 
 それは、お店を始めるときに、講師を招いて接客の研修をやったところ、マニュアル通りでは、せっかくの彼らの良さが失われてしまうと、いわゆる常識的な接客に
縛られないことを、高崎さんが、ぷかぷかが選んだからこそ生まれているものです。
 
 今の世の中、これぐらいできて当たり前、これぐらいやって当たり前という常識が
あって、これに逆らうのは、意外に大変です。それぐらいカラダに染み付いています。
 
 でも、そうだからこそ、ぷかぷかの自由な空気に、人は癒され、ぷかぷかウイルスに感染していくのでしょう。
 
 私たちも、ぷかぷかを見習って、もっともっと自由に生きられたらと思います。
 
 ある人が自立とは依存しないことではなく、依存先を増やすことだと言っています。
 
 他人に迷惑をかけないように、他人に後ろ指をさされないように、失敗しないように、神経をすり減らして生きるよりも、他人に迷惑をかけるのが人間だ!と開きなおって「お互いさま」と迷惑をかけあえる世の中をめざしたいと思います。
●●●
 
 接客マニュアルによる接客が、メンバーさん達のせっかくのいい雰囲気をぶちこわしているというか、とにかく無理しているメンバーさんの姿が気色悪かったので、ああ、これはもうやめよう、と思ったのですが、それが今のぷかぷかの空気感を生み出すきっかけでした。いろいろ考えての判断ではなく、どこまでも「気色悪い」という直感です。その感覚が、社会の「規範」(接客するときはマニュアルにあわせねばならない、といった規範)よりも優先していたのだと思います。
 この「規範から自由」という感覚は、養護学校の子ども達に教わった感覚でした。

 今まで何度か書いた「フリチン少年」の話を書きます。

 

 養護学校の子ども達と出会って、いちばんよかったのは私自身が自由になれたことです。人間はこういうときはこうしなきゃいかんとか、こういうときはこんなことしちゃいけないとか、いろんな規範があって、それに縛られています。でも、彼らとおつきあいしているうちに、そういった規範が少しずつ取れてきました。

 お漏らしをしょっちゅうする子がいて、10分おきくらいにパンツをぱぁっと脱いでいました。私は

「みっともないからパンツくらいはけ」

ってパンツをはかすのですが、10分ほどしたらまたぱぁっと脱ぐのです。

 パンツをはかす、彼は脱ぐ、またはかす、彼は脱ぐ、といったことを一日何回も繰り返すわけです。で、天気のいい日は中庭に出てパンツ脱いだまま大の字になって気持ちよさそうにおひさまを仰いでいるのです。そのそばで私は陰気な顔して

「パンツはけよ」

と言い続けている。おひさまのさんさんと照る中、彼は気持ちよさそうにいい顔をしている、そのそばで私は陰気な顔をしてぶつぶつ文句ばかり言っている。

 そういうことを毎日繰り返していると、私は一体何をやってるんだ、ひょっとして彼の方がいい人生を送っているんじゃないかって思い始めたのです。彼の方が明らかにいい時間を過ごしているわけですから。私はなんてつまらない時間を過ごしてるんだと。そして結果的には、パンツをはかない子がいてもいいかって気持ちになってきたのです。

 そうすると彼との関係が楽になってきたのです。彼が大の字になって寝てる、それをおだやかな目で見られる。

「ま、いいか」

って。

「この時間、彼のいい時間だし、大事にしよう、オレも横になるからね」

って思えるようになった。そんなふうに自分の中にあったつまらない規範が少しずつ取れていった。そうすると私自身、生きることがすごく楽になってきたのです。

 養護学校に勤めて、そこで障がいのある子ども達に出会って、何がいちばんよかったかというと、この、自分自身が自由になった、そしてそのおかげで生きることが楽になった、ということです。

 

 この「フリチン少年」に教わった自由な感覚が、ぷかぷかをスタートするにあたって、とても大事な判断をしたのです。ああもうこの気色悪い接客マニュアルはやめようって。

 

 

 感想の最後にあった言葉、

 

 他人に迷惑をかけないように、他人に後ろ指をさされないように、失敗しないように、神経をすり減らして生きるよりも、他人に迷惑をかけるのが人間だ!と開きなおって「お互いさま」と迷惑をかけあえる世の中をめざしたいと思います。

 

 とてもいい言葉だと思います。「お互いさま」と迷惑をかけあえる世の中を、みんなで目指したいですね。

 

ぷかぷかさんたちのおかげで、生きるってどういうことか、大切なことに少しずつ気付くことができました。

 昨日の夜中の1時前に長い長いメールが来ました。今年になってからぷかぷかに来るようになったお客さんです。

「今日、上映会には最後のトークセッションだけ参加させて頂いて、本当は思わずその場で手を挙げてでも伝えようかと思ったのですが、話すと涙が出そうで、話せずに終わってしまいました。」という書き出しではじまる、ぷかぷかに出会う前と出会ってからの長い物語が書いてありました。

 一人の人間が自分の人生を生き始めた物語といっていいと思います。その生き始めるきっかけをぷかぷかさん達が作ったところがおもしろいというか、もう赤字で特筆すべきことだと思いました。「障害者に生きている価値はない」どころか、こんなすてきな物語を作るお手伝いを、飄々とやってのけたのです。あのセノーさんも含めて…。これこそ「彼らが生きている価値」であり「意味」だと思います。

 ぷかぷかさん達は、また一人救ったのかな、と思いました。

 

 

●●●

「障害者に生きている価値はない」
 
相模原の事件が起こった頃、テレビ番組ワイドショーのコメンテーターたちは
 
「容疑者の言葉が理解できない」
「こんな人が日本にいるなんて怖い」
 
容疑者である彼を「自分とは違うもの」「理解の範疇を超えた狂人」として、必死に「自分たち」の外側に追いやっていました。
 
それはイスラム国で日本人ジャーナリストが理不尽に殺されたときと同じでした。
その時も、目以外の全身を黒い布で覆った彼らを、「世界最大の悪だ」「私たちの敵だ」として、必死に「自分たちと彼らは違う!」ということをアピールしていました。
 
なぜ、そう簡単に「理解できない」「おかしい奴らだ」と言うのでしょう。
なぜ、彼らは自分たちとは違うんだということを、それほどまでに強調するのでしょう。
そうまでして、自分たちを正当化したいのでしょうか?
 
「自分たちが正しい!相手が間違っている!」という態度自体は、コメンテーターも、イスラム国の黒い男も、なんら変わりません。
 
もう「正しさ」を押し付け合うことでは、世界は良くならないのでしょう。
 
それに「自分たち」「私たち」って、誰なんでしょう。
その人たちは、法を犯すことはせず、常に社会にとっての善人であり、他人に迷惑をかけず、正義であり続け、真面目で、勤勉で、決して間違うことはないのでしょうか。
 
実は敵だと思っている彼らだって、「私たち」の一部なんです。
 
私は、相模原の犯人の「障害者に生きている意味はない」という言葉を聞いたとき、「そう考えるのも分かるなぁ」と思いました。
 
なぜなら、私自身、自分が生きている意味を見出せずにいたからです。
 
相模原の犯人は、私の一部でした。
 
********
 
私は、小さいころから優等生で、教えられたことは何でもできて、勉強だって音楽だって体育だって良い成績でした。
 
私が良い成績をとって、優等生でいれば、みんな喜んでくれる。
そう思って頑張って、日本一と言われる東京大学にまで入りました。
 
でも、大学に入っても「やりたいこと」なんて一つもありませんでした。
気づけば親の喜ぶこと以外、成績として評価されること以外、もうずーっとやろうとしたこともありませんでした。
 
学校では先生の言う通りにして、親の期待に沿うように良い大学に入れば、私はずーっと人生うまくいくんだと思っていました。
 
でも、大学生になって、就職活動をするような時期になって、
「あなたは何がしたいんですか」
と聞かれるようになりました。
 
私がしたいこと?
 
それはあなたが求めることです。
 
自分から手を挙げてやりたいことなんて特にありません。
そんなのやったところで何の意味があるんですか?
評価されること以外、求められること以外、やって意味があるんですか?
 
私個人に、意味なんて無いでしょう?
 
会社は、会社にとって役に立つ人間が欲しいんでしょう。
人付き合いがうまくできて、やれと言われたことをそれなりにやって、人柄は良く、人間味はあるけど当たり障りのない人間を望んでいるんでしょう。
 
大丈夫です、きっと役に立ちますから。
大丈夫です、きっと、歯車になれますから。
 
そう思って、結局は私を「東大卒だから」という理由で採用してくれる会社に入ることに成功しました。
 
********
 
もともと、別に就職なんてしたくありませんでした。
社会を良くしたいなんて思ったことありません。
社会貢献なんて、よく分かりません。
 
でも、「社会貢献したいとは思ってません」なんてことは言えないから、社会的に評価される、キラキラした人間になろうと頑張りました。
 
なにかを、偽っていたんでしょうね。
 
2013年8月、会社員3年目に、パニック障害になりました。
 
小さいころから、勉強だって体育だって何だって周りの人よりも出来た私が、電車にすら乗れなくなりました。
誰にでも出来るようなことが、出来なくなりました。
 
パニック障害になって、会社を長期間休むことになって、実は嬉しかったんです。
 
あ~、これでやっと、レールから外れられる!
堂々と、「私は出来ない」って言える!
やったー!!
 
……ただ、「出来ない」自分を受け容れることは、そう簡単ではありませんでした。
 
電車に乗れない、だけではありませんでした。
 
友人と約束しても、時間通りに出かけられない。
気分が向かなくて、ドタキャンしてしまう。
 
一番つらかったのは、スーパーでの買い物でした。
 
毎日、毎日、仕事にも行けず、家事もろくにせず、寝てばっかりのダメ人間なのに
食べ物は買わないといけない。
 
稼いでないのに、毎日毎日、食べなきゃいけない。
 
スーパーに行くと、頭痛がしてきて、頭が真っ白になりそうで、気が遠くなり、帰り道はいつも憂鬱でした。
 
「今日も、生産的なことは何もしなかったのに、お金を使ってしまった。」
 
稼いでないのに、食費ばかりかかる。
 
収入がないのに、支出ばかりかさむ。
 
私は、ただ生きているだけでは、マイナスな人間なんだ。
 
稼がないと、仕事しないと、社会の役に立たないと、お金ばかりかかるマイナスな人間なんだ。
 
夫にも、会社にも、国にも迷惑をかけるマイナスな人間なんだ。
 
食費をもらって、手当をもらって、医療費をもらって、私はもらってばかりで。
 
私が生きていて、果たして誰か幸せなんだろうか?
ただ生きていることに、果たして意味はあるんだろうか?
生きているだけで良いなんて、綺麗ごとでしかない。
ただ生きているだけの私なんて、マイナスなんじゃないだろうか?
 
************
2014年、2015年
パニック障害は1年半ほどで一応完治し、その後すぐに妊娠、出産しました。
************
 
2016年10月。
生後3ヶ月になった娘を連れて、長津田パオパオという子育て支援施設に遊びに行きました。
 
そこで配られたカレンダー、「リトミック教室」や「似顔絵」「手がた足がた」「お誕生日会」といった予定の中にひとつ、
「ぷかぷかパン販売」というものがありました。
 
ぷかぷかパン???
 
ん?浮かんでいるのかな?? それとも浮かびそうなぐらい、ふわふわなパンなのかな??
 
妊娠中に、よくパンを食べたくなって、界隈のパン屋は結構知っていると思っていた私が、まだ知らないパンがあった!
行ってみたい!!
 
ネットで、調べてみた。
ぷかぷかパンというのは、ぷかぷかなパン、ではなく、パン屋の名前が「ぷかぷか」だった!
 
「障がいのある人が働いています」
 
あ~~、こういう感じかぁ。よくあるやつだ。
障害者の人が作っているパンって、なんか汚い感じがするんだよなぁ。
ちゃんと手とか洗ってるのかなぁ。
それに、「障害者が作っているから、美味しくなくても、そこは目をつぶってください」みたいな言い訳を感じる。
お客さんのために作ってるのか、障害者に仕事を与えたくて作ってるのか、わからないんだよなぁ。
 
Facebookページを覗く。
 
えっ!
なにこの「セノーさん」って!面白い!
 
今の時代、SNSに顔写真だって簡単に載せられないのに、顔ばかりか名前まで載ってる!!
すごい!!!
しかも障害のある人なのに!!親御さんたちも、自分たちの子(しかも障害者!)の顔と名前がSNSに載るのをOKしてるんだ!!!
えー!!!ふつうは隠したくなるものかと思ってた!!!
 
なんだなんだこの場所は!!!!!!
 
しかも、のんびりした写真の合間に、たまにブログが挟まっている。
 
へー、ブログもやってるんだ。
こういう施設って閉鎖的でひっそりとやってるイメージなのに、意外だなぁ。熱心だなぁ。
 
おおお、相模原事件のことが書いてある。
私の周りでは誰も話題にしないけど、ずーっと気になってるんだよなぁ。
そうだよなぁ、そうだよなぁ、障害のある人が集まってる場所だから、確かに他人事じゃないよなぁ。
 
「障害者に生きている意味はない」なんていう言葉を言わせないぐらいの何かが、ぷかぷかにはあるらしい。
 
へー、行ってみたい!!!
 
********
 
それから何度か、ぷかぷかがあるあたりの道を、車に赤ちゃんを乗せて走ってみたものの、なかなか見つからなかった。
 
本当にあるのかなぁ~? わかりにくいなぁ。
 
見つからないなぁ、と思っていたら、いつの間にか年も越して2017年の1月も終わりに差し掛かっていた。
 
年を越したころ、家族に「実家のある関西に帰ろう」という話が持ち上がっていた。
 
私も子育てを毎日一人ぼっちでやるのが辛く感じられて、自分の不自由を子どものせいにしてしまっていた。
 
このままだと何のために子どもを産んだのか分からなくなる。
家族が増えたら、賑やかでもっと毎日が楽しくなるはずだったのに。
 
実際は、言葉も通じない相手とひたすら毎日ず~っと一緒にいて、
こっちの気持ちなんて、全く分かってくれない。
 
おかしいなぁ、独身だった時よりも、パニック障害で一人で寝込んでいた時よりも、
今までで一番、孤独を感じる。
 
一人ぼっちで感じていた孤独よりも、二人なのに感じてしまう孤独の方が、絶望的で、行き場がなかった。
 
全然幸せじゃない。可愛いはずの子どもを、うとましく感じる。
 
このままの生活を続けたら、しんどい気持ちを、子どものせいにして、夫のせいにして、社会のせいにして、
自分の人生を生きないまま、終わってしまう。
 
そんな気持ちを、夫に話した。
夫は、何をしてもすぐにしんどくなってしまう私を、いつも受け止めてくれる。
 
ちょうど夫も、昔から会社を辞めて独立し、個人で仕事したいと言っていたから、
それだったらもう今辞めてくれ、会社を辞めて、実家に戻り、実家に頼りながらお互いに自分のやりたい形で子育ても仕事もすればいいと話した。
 
そういう話があったから、長津田での生活ももう長くない。
行きたいところには、早く行かないと。
 
そこでもう一度思い出したのが、ぷかぷかだった。
 
ぷかぷかにだけは、行かずには終われない。そんな気がした。
 
だからスマホで詳細に場所を調べたら、どうやら車が走る道路からは見えないらしい。
そうなんだ!
道路からは団地っぽく見えるところの、棟と棟の間みたいなところにあるらしい。
 
*********
 
そこは、未来なのか過去なのか、分からない場所だった。
 
団地の棟をひとつくぐると、懐かしいような、でも未だかつて見たことがないような、不思議な光景が広がっていた。
 
本当に、これは「今」なのだろうか。
現代社会とは切り離されているような感じもして、おとぎの国のようだ。
 
ここにはおそらく、評価とか、こうでなきゃいけないとか、そういうものが無いんだ。
ここにいる人たちはみんな、「自分」を生きている!
私の憧れた人たちだ。
 
これが「今」なんだとしたら、とんでもない出会いだ。
 
忘れていた自分を、思い出した気がした。
 
心がホッと、温かくなった。
 
ここには確かに、懐かしい未来がある。
 
************
 
ずーっとFacebookで見ていた、おとぎの国の登場人物たちが、そこにはいた。
 
ツジさんだ!わー、揺れてる!しゃべってる!!
この人は見たことがないな、でもとってもおしゃべりで、接客が得意そうだな。
セノーさんはいないのかな。
 
私はまるで、芸能人に会った気分だった。
 
何気ない日常が、いつも演劇のようで、ミュージカルのようで、なんて楽しいんだろう!
 
最初は「この人はどういう障害なんだろう?どう接したらいいんだろう?」と、ぷかぷかさんたちを「障害者」として見ていたけれども
だんだん「この人はこういう人なんだ」と思うだけで、「障害者」として見なくなっていったことに気付いた。
 
おしゃべりで接客が得意な人は、ユミさんという方だった。
 
赤ちゃんを連れて行くと、「泣かないかなぁ、泣かないかなぁ??」と言いながら、いつも抱っこしてくれる。
 
たまに私が一人で行くと「まなちゃんは?今日まなちゃんはいないのー?」と残念そうにするので、なるべく赤ちゃんを連れていくことにしている。(笑)
 
そんな赤ちゃんをカフェに家族で連れて行ったとき、迷いながらも、赤ちゃんの前にコップの入った水を置いてくれたぷかぷかさんもいた。
 
チカちゃんは、確かに、愛花(娘)のことを思いながら、コップを置いてくれた気がした。
 
3人来たから3つ水を出す、というのではない。私たち家族一人ひとりの顔を見ながら、この人にこの水、この人にこの水、と出してくれたように感じられた。
一対一、人間と人間。そんな体当たり感すら感じられた。
 
「この子はまだ飲めないんだけど、ありがとう!」
 
そう伝えると、チカちゃんは、ちょっと戸惑ってしまっていたような様子でもあったけど、私たちが楽しそうにお茶をしているところを見て、安心してくれたようだった。
 
********
 
赤ちゃんよりも私に近づいてきてくれたのは、郁美ちゃんだった。
 
郁美ちゃんはいつも、重低音ボイスでマシンガンのようにトークを繰り広げる。
 
早口だし何を言っているのか分からないことも多い。
よく「エハラさん」という人が出てきて、旅行の話も好きで、どうやらJALがイチ押しのようだった。
 
郁美ちゃんは、クチをすぼませながら重低音ボイスで「Facebookやってますか」と聞いてきて、私がスマホを出すなり友達になるよう誘ってくれた。
その様子を見ていたスタッフの方が「距離の取り方が分からなくて、いっぱいメッセージを送ってしまったりすることもあるみたいですが、大変だったらブロックして頂いて構いませんから」と声を掛けてくれた。
 
えー!!!ブロックなんてとんでもない!
 
メッセージがいっぱいで困るときは、私は「いつもはお返事できないよ」と伝えるつもりだったし、現に毎回はお返事できていないけれども、実は私は郁美ちゃんからのメッセージにとても救われた。
 
郁美ちゃんからのメッセージはいつも、その日あったことを箇条書きにする感じだ。
 
「今日はトイレ掃除をしました。カフェの準備をしました。スープの野菜を切りました。スイーツの生地を混ぜました。
……(中略)……
青葉台にパンケーキを食べに行きました。今日は何をしましたか?」
 
あっ、これ、カフェの終わりの会でも言ってたなぁ。
こういうコミュニケーションが好きなのかな?
カフェで15時頃、ぷかぷかさんたちのお仕事終わりにやっていたミーティングがその日ちょうど聞こえていたので、すぐにそう思いました。
 
そこで私も、郁美ちゃんのフォーマットにならって、こんな風に返事をしてみました。
 
「今日は洗濯をしました。赤ちゃんの爪を切ってあげました。ぷかぷかに行きました。パンとお惣菜を買って、カフェにも行きました。
赤ちゃんを寝かせて、テレビを見ました。今日も良い一日でした」
 
「良い一日でした」というのは、ぷかぷかでは帰りの会で「今日も良い一日でしたか?」と毎日問いかけているみたいで、なんか良いなぁと思ったので、書いてみました。
 
そうしたら、一人ぼっちの育児で悩んでいた、毎日が単調な日々で、何も生産的なことをしていなかったはずの生活を、なんだか自分で「今日も色々あったなぁ」と認められたような気がしました。
こんな生活も、ひょっとしたら「それでいいんだよ」って言ってあげていいのかもしれない。
自分で自分に、「あなたは あなたで、いいんだよ」って言ってあげてもいいのかもしれない。
そんな風に思えました。
 
私が自分が生きている意味を見出せなかったのは、日々の何でもない、小さなことを、自分が認めていなかったからでした。
 
ぷかぷかさんたちは、日々、目の前のことに、自分の出来る精一杯で向き合い、今日という日を過ごしている。
 
私は、なんだか自分は大きなことを成し遂げなければいけないような気がして、
生産的なことをやらないといけないような気がして、自分に求めるハードルが高くて、
いつの間にか自分に厳しくするようになって、苦しくなっていたんだなぁ。
 
********
ぷかぷかさんたちは、マニュアルじゃない、数字でもない、「名前のある接客」をしてくれる。
 
そんなぷかぷかに救われて、私たち家族は長津田に住み続ける選択をしました。
(夫もぷかぷかに連れていったら、チカちゃんの接客に涙を流していました。表現の市場にも一緒に行き、「ぷかぷかの近くで生きよう」と言ってくれました)
 
こうやってぷかぷかさんたちを身近に感じて、救われた私ですが、今もまだ、「障害者に生きている意味がある」とまでは言えません。
なぜなら「自分に生きている意味がある」と、まだ言えないからです。
 
でも確かに、ぷかぷかさんたちのこと、私は好きだし、ぷかぷかさんたちのおかげで、生きるってどういうことか、大切なことに少しずつ気付くことができました。
 
意味なんてあっても無くても、私だってただ生きていていいのかもしれないなって思えるようになりました。
 
相模原事件の犯人の言葉は理解できるけれども、彼の未熟だったところは、生きるということや生命ということを、一面的にしか見ることが出来ていなかったというところなのではないかと思います。
 
極端な思想にいってしまった原因のひとつに、意味というのは社会が与えるものだと思ってしまったことがあると思います。
人ひとりの人生を、俯瞰的、客観的、マクロ的な捉え方でしか見られていない。一面的にしか見られていないということです。
 
マクロ的というのは、一つは数字で見るということでしょうか。
例えば、確かに国家予算的に見れば、障害者には手当や年金、医療費等をたくさん支給することになるでしょうから、「生きているだけでマイナス」という捉え方になるということです。
これは私も自分に対してやっていたので、そうなのではないかなと思ったのですが。
 
ただ、マクロ的な見方だけでは、非常に苦しいです。そこには温度がありません。
 
ミクロ的、一人ひとりの人生を虫メガネでじーっと見てみると、障害者にだって誰にだって日々の生活があり、家族がいたり、周りに支えてくれる人がいて、温度があります。
 
その温度を分かろうとせずして、ましてや自分ではない他人の命に意味があるだの無いだのと言うことは浅はかなことだということは一つ言えると思います。
 
でも、その浅はかな行為を、私は自分自身に対してやっていました。
 
だから、自分が生きている意味を見いだせなかった。
 
子どもを産んで、夫といつも話し合って、そしてぷかぷかに出会って、日々の生活の「温度」を感じられるようになってきました。
 
いまや早起きができない(しない)、時間が守れない(守る気がない)、やった方がいいと分かっていることほど出来ない(やりたくない)。
 
そんな自分でも
 
「それは出来ませんので、よろしくお願いします」と言いながら、
 
書いても書かなくてもいいこんな文章を真剣に書いて、
 
なんかそんなことをしながらでも、ただ今 目の前にある生活を、できるだけ楽しく、できるだけぷかぷかと生きていこうかなって思っています。
 
最後に、いつも朝から準備をしてお店を毎日開けてくれているスタッフさん、メンバーさん、ありがとうございます。
素晴らしい場所だと思います。

「いっしょにうたお」

 上映会で第一期演劇ワークショップの記録映画、久しぶりに見ました。

 ワークショップの場の豊かさがとてもよく伝わってきます。最後の発表会の舞台がどんな風にできあがってきたのかを、とても丁寧に追いかけていて、あらためていい映画だと思いました。

 「障がいのある人たちとフェアにつきあう」つまり「一緒に生きる」ということがどういうことか、それが何を生み出すかがよく伝わってきます。映画は「一緒に生きる」ことの意味をとてもわかりやすく伝えています。

 芝居の最後のシーン、冬のさなかに春に咲くマツユキソウが欲しい、などととんでもないことを考えた勝手きわまる人間達をどうしようか、と神さまたちが考えるところがあります。ここはワークショップの中でどういう結末にするか一番もめたところです。いろんな意見が出て、すごく大変でした。

 結局「一緒に歌おう」というセリフで、人間達と一緒に「森は生きている」を歌うことになりました。ぷかぷかのメッセージでもあります。

 映画の中、子どもが人間達に

 「いっしょにうたお」

って、呼びかけたとき、なぜか涙が出てしまいました。何度も見ている映画なのですが、

 「いっしょにうたお」

っていう短い呼びかけが、心にジ〜ンと響いたのです。

f:id:pukapuka-pan:20141126194159j:plain

 

 「いっしょにうたお」は、一緒に生きていこうよ、という呼びかけです。わがままきわまる人間達に、言いたいことはいっぱいあるし、腹の立つこともいっぱいあるけれど、それでも「いっしょにうたお」と呼びかける子どもの優しい声についほろっとしてしまったのです。

 人間達は社会です。その社会に対して

 「いっしょにうたお」

って、呼びかけているのです。一緒に歌うと、こんなに楽しいよ、こんなにステキなものが生まれるよ、って舞台で言っているのです。

f:id:pukapuka-pan:20170618133929j:plain

 

 第一期演劇ワークショップの記録映画は2時間11分もの長編記録映画です。長いですが、見る価値はあります。ぷかぷかが創り出そうとしているものがとてもよくわかります。費用などはご相談下さい。045-453-8511  pukapuka@ked.biglobe.ne.jp 高崎まで。

 第一期演劇ワークショップの記録映画のダイジェスト版はこちら

www.youtube.com

プロモーションビデオ第2弾です

プロモーションビデオ第2弾です。

 映像の内容についてはこちら

pukapuka-pan.hatenablog.com

  プロモーションビデオは一人で見るよりも、たくさんの人たちと見て、いろいろ気がついたことを話し合うのがいいと思います。いろんな新しい発見があります。お互いが深まります。できればプロモーションビデオ第1弾、第3期演劇ワークショップの記録映画とあわせて見ると、ぷかぷかの空気感がよく伝わります。高崎を呼んでいただくと、ぷかぷかについていろんなお話ができると思います。

 ぷかぷかの空気感があちこち広がっていくと、社会がもう少しゆったりします。みんなが生きやすい社会になります。 

 自主上映についてはこちら

 http://pukapuka-pan.xsrv.jp/index.php?自主上映のすすめと申込書

 

www.youtube.com

最近の日記
カテゴリ
タグ
月別アーカイブ