ぷかぷか日記

お話に夢中のお地蔵さんたち

 実習の方と一緒に粘土でお地蔵さんを作りました。迷いなく、チャッチャッと作りながらも、お地蔵さんの顔をよおく見ると、とっても味が合っていいなと思いました。物語がうまれてきそうなお地蔵さんたちです。

 

      「あら、見つめられて、はずかしいわ」

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 「わたしも」

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       「わしになにか用かね」

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     「それ、うまそう」

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「ねぇねぇ、聞いた?」と、お話に夢中のお地蔵さんたち

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        「いや、おかしい!」

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作る前からわくわく

 夜8時、家の駐車場に着いたところで、粘土の切り糸がないことに気がつきました。明日から先日紹介した『笠地蔵』のお話が好きな青年が実習するので、お地蔵さんを作るための粘土を「アトリエ」から運び出し、車に積んでいました。切り糸がないと粘土を切り分けるときに困るので、車から降りて真っ暗な「アトリエ」まで取りに行きました。切り糸だけでなく、お地蔵さん作るときに使うかも知れないヘラなんかも持ち出しました。車まで戻ったところで、粘土板もあった方がいいと気がつき、また「アトリエ」まで引き返し、2枚持ち出して車に戻りました。お地蔵さん作りには使わないけど、ろくろもあった方がなにか思いつきで作るときにいいか、と思い、手回しのろくろも取りに行きました。

 結局寒い中、車と「アトリエ」を4往復もしてしまったのですが、粘土使って何作るかなぁ、と考えながらの行ったり来たりは、本当に楽しい時間でした。粘土はただの土の塊です。でもその土の塊が、こんなにもわくわくする時間をプレゼントしてくれるんですね。粘土をまださわりもしていないのに、です。

  楽しい笠地蔵ができるといいなと思います。

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必死になって、てんてこ舞いで作っても3時間半

 先週、、インフルエンザにかかり、準備ができないので、パン教室に変えて恵方巻きの料理教室を調理スタッフがやってくれました。

 パン教室の時はたいてい12時半頃焼き上がっているので、その頃を見計らって地区センターの調理室に行ったのですが、もうほとんど食べ終わっている状態でした。10時に集合して1時間ちょっとで作ってしまったようです。恵方巻き、こんにゃく、大根のゆず味噌、人参サラダ、肉団子スープを利用者さん15人と作るには相当手際よくやらないとできないのですが、それをチャッチャッとやってしまうあたりがプロだなと思いました。パン教室は、必死になって、てんてこ舞いで作っても3時間半ほどかかります。パンは発酵の時間が必要とは言え、調理スタッフの手際の良さには、いつもながら感心しました。

 この手際のいいスタッフたちが4月からお弁当、お総菜をやります。ご期待下さい。

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昔、ガンにかかったときの話−1

 書棚を整理していたら、昔ガンにかかったときの話が出てきました。20年ほど前の話です。

 

 「あの、実はですね、精密検査の結果、悪性のガン細胞が見つかりました。」

 1月末、胃の精密検査の結果を聞きに行ったとき、医者が言いにくそうに言いました。

 「あ、でもまだ初期ですから、今手術すればほとんど助かります。もう、ベッドは押さえてありますから、すぐに入院して下さい」

 ガンです、と急にいわれても、どこかものすごく苦しいとか、痛いとかいった自覚症状が全くないので、「助かる」などといわれても、ほとんどリアリティがありません。(だいたいその半年前には「人生40周年記念イベント」と称して40歳になった記念に自転車かついでパキスタンまで行き、インダス川の源流を700キロも走っていて、元気いっぱいでした。)「助かる」よりも、胃を三分の二も取ってしまうなんてもったいないという思いの方が強いくらいでした。何よりもその時準備していた「ギンギンまつり」ができるのだろうかということがいちばん気がかりでした。「ギンギンまつり」は障がいのある人たちのさまざまな表現を軸にしながら、やってきた人たちみんながギンギン元気になるようなまつりで、それをを3月4日に予定していて、私はその言い出しっぺでした。

 「3月4日に大事な用があるので、3月5日に入院するというのはだめですか」「だめです。ガンなんですよ。どんどん進行します。今手術しないと大変なことになります。それでもいいのですか」「いや、そういうわけじゃないんですが、えーと、わかりました、じゃ、一日だけ猶予を下さい。明日には必ず入院します。」「必ず来ますね」といかにも信用してない感じで念を押されました。

 いきなり「ガンです」なんていわれたせいか、自分の中にその実感がなくても、何となくからだがほてり、気分もコーフン気味でした。帰り道、ガンという病気の怖さと、その怖い病気になることで、おそらくめちゃくちゃにひっくり返ってしまうであろう私の日常生活を考えると、頭の中がごちゃごちゃになって、何から手をつけていいのかわからないくらい混乱していました。

 

また、パン屋が始まった頃の話です

近隣から苦情の電話が入り、半年間は針のむしろ

 

 障害者施設を建てようとすると、地元市民から反対運動が起きることさえあることは前書きにも書きました。そのため、お店を始める前に商店会の集まりに何度か出席し、説明しました。

 障がいのある人たちの働く場「カフェベーカリーぷかぷか」を霧ヶ丘商店街の一角に作りたいと思っていること。障がいのある人たちは、うまくおしゃべりができなかったり、人とうまくおつきあいができなかったりすること。でも、丁寧につきあうと、私たちにはない、人としての魅力をたくさん持っていること。私はその魅力に惹かれ、彼らの働くお店を作ることにしたことを説明し、商店会の了解を得ました。周辺の家には、その説明を印刷して配布しました。特に反対するといった意見は聞きませんでした。ところが実際にお店を開くと、いろいろ苦情が来ました。

  利用者さんたちはみんな仕事に一生懸命です。パン屋の店先で「おいしいパンはいかがですか」と大きな声で呼び込みをやっていました。それに対して「うるさいのでやめていただきたい」と苦情の電話が入りました。大変なショックでしたが、黙って聞き入れるしかありませんでした。呼び込みで張り切っていた利用者さんはがっくりきていましたが、仕方ありません。黙り込んでしまった利用者さんがほんとうに不憫でした。

 こだわりの強い方で、同じところを行ったり来たりする利用者さんがいました。「お店の前を行ったり来たりされると、お客さんが落ち着いて食事ができないので、やめさせて下さい」と言われました。すぐにその当人に注意しましたが、当人は、どうしてそのことがダメなのか、あまり理解できてないようでした。ですからその方が出歩くときは心配で心配で、しばらくついて歩きました。

 お店を開いた頃は、利用者さんたちも慣れない環境で、たびたびパニックになり、大声出しながらお店から飛び出す方もいました。そのたびに「うるさい!」と苦情が来ました。飛び出してわめいている方の手を引いてお店に無理矢理連れ戻すときは、自分で、なんてひどいことをやっているんだ、と涙が出そうでした。本人も悪気があって飛び出したのではなく、ぎりぎりまでがんばって、それでもがまんしきれなくて飛び出してしまったのです。パニックは押さえようがないので、ほんとうにハラハラしながらの毎日でした。

 間違えてよそのお店に入ってしまい、えらい剣幕で叱られたこともあります。「どうしてきちんと教えないんだ、あなたは昔教員をやってたんだろ」と怒鳴られましたが、ひたすら頭を下げて聞くしかありませんでした。

 そんなこんなで、半年ぐらいは今日は何か起こるのではないかとびくびくしていました。毎日、針のむしろに座っている気分で、神経をすり減らしました。

 そんな中でも少しずつ顔見知りのお客さんも増え、利用者さんに「今日もがんばってますね」と声をかけてくれたりするお客さんも現れました。外販先では、計算機を持って焦って計算している利用者さんに「ゆっくりでいいよ、あせらないで」とやさしく声をかけてくれるお客さんもいました。ほんとうに救われた気分でした。カフェで接客をやっている利用者さんの一所懸命さに胸を打たれました、というメールが来たこともあります。

 近くの八百屋さんに買い物に出かけた利用者さんが、手に持っていた5,000円札を風に飛ばされてしまったことがありました。その時は近くの方が何人かいっしょにお金をさがしてくれました。そのことを月一回発行している『ぷかぷかしんぶん』に書いたところ、「記事を読んで感動しました」という電話が入ったこともあります。

 つい先日、カフェでお客さんの子どもの誕生会をやった際、利用者さんといっしょに写真を撮らせて下さい、とおっしゃったお客さんがいました。みんなで子どもを囲んで写真を撮ったのですが、素敵な笑顔の並ぶ写真が撮れました。ぷかぷかが作ろうとしていたのは、こんな笑顔の関係です。この写真を見ると、ぷかぷかがやろうとしたことがいっぺんに見えます。この1枚の写真を撮るために4年間がんばってきたといってもいいくらいです。この1枚の写真は、今までの悲しくなるようなたくさんの話を、いっぺんにひっくり返してしまうような「力」があります。「新しい歴史の始まり」と言っていいのかも知れません。真ん中に写っている子どもに、こんな関係がしっかり伝わってほしいと思いました。

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一杯500円のコーヒーを飲む以上の幸せ

 映画「うまれる」に登場した18トリソミーという障害を負った虎ちゃんの5歳の誕生日の映像が送られてきました。たくさんの人たちに囲まれ、虎ちゃんは時々笑顔も見せ、本当に嬉しそうでした。虎ちゃんだけでなく、そこに集まっているみんなが今幸せ!っていう雰囲気がビリビリ伝わってくる映像でした。

 虎ちゃんのお父さんの言葉が素敵でした。

「障がいのある子どもを育てるのは大変なことだと思っていましたが、こんなに幸せな日々が来るとは思ってもいなくて、これはみんな虎ちゃんが持ってきてくれたんだと感謝しています。」

 18トリソミーという障がいは、まずうまれること自体が奇跡に近いこと、うまれても1歳まで生きることは10%もない、といわれるほどの重度の障害です。そのことをうまれる前から医者から言われていました。

「うまれてからどうしようかと、いろいろ不安が大きかったんですが、うまれるときはそんなことはもうどうでもよくて、おー、よく来た、よく来た、って感じでしたね」

 「おー、よく来た、よく来た」と大歓迎するような言葉で虎ちゃんの誕生を語るおかあさんの、とてつもないおおらかさに、「ああ、虎ちゃんはこのおかあさんを選んで生まれてきたんだ」と思いました。メルマガで送られた来た虎ちゃんとおかあさんが見つめ合う写真は、そのことをしっかり伝えているように思いました。

 虎ちゃんは24時間休みなしの看護が必要です。生半可な覚悟ではつとまらないのではないかと思います。それでも尚、5歳になった今、あらためて「こんな幸せな日々は、虎ちゃんが運んできてくれたんです」と言い切るお父さん。

 虎ちゃんのフェイスブックに七五三の写真が載ったときは5000を超える「いいね」があったそうで、一つ一つのコメントにあたたかな気持ちがこもっているように思いました。

 http://tinyurl.com/mub797u

 虎ちゃんはそれだけたくさんの人を幸せな気持ちにさせています。虎ちゃんはみんなの宝だなと思います。

 「障がい」はマイナスのイメージが強いのですが、虎ちゃんを見てると、どうもそうじゃないんじゃないかって自然に思えてきます。虎ちゃんはそんなメッセージを伝えにうまれてきたのかも知れませんね。

 

 虎ちゃんの誕生日の映像は有料メルマガの会員宛に送られてきたものです。月500円の会費はコーヒー代程度ですが、送られてきた映像は500円のコーヒー飲んでもこれほどの幸せは味わえないよな、と思うくらいで、ほんとうにもう目が潤んでしまいました。

 この心あたたまる貴重な映像は映画「うまれる」のホームページから有料メルマガを申し込むと送ってくれます。2040年までの『うまれる』シリーズ製作の活動資金になるそうです。

http://www.umareru.jp/mail/qa.html#01

 

  ま、しかし、そんな500円ぽっちの情けない計算なんかお構いなく、虎ちゃんは映像の中でとびっきりの笑顔を振りまいていて、虎ちゃんはやっぱりえらい!と思うのです。

 そうそう、映画「うまれる」をまだ見てない方は、ぜひ仲間といっしょに自主上映してみて下さい。今映画の貸出料金は5万円です。一人1000円の入場料で50人集めればペイできます。

http://www.umareru.jp/

何よりも自主上映することで5万円以上の収穫があります。私がやったときの収穫についてはぷかぷかのホームページの「うまれるネット」のタグをクリックすると出てきます。

 http://pukapuka-pan.xsrv.jp/index.php?映画「うまれる」の感想

私がいなくても…

 インフルエンザにかかり、ダウンしました。ぷかぷかが始まって、この4月で4年になりますが、幸い風邪を引くこともなく、1日も休まずに来ました。3年目くらいまでは休むとうまく回らない気がしていましたが、4年目に入ってからスタッフがかなり充実してきて、もう少しくらい手を離しても大丈夫かなと思っていました。たまたまインフルエンザにかかって休むことになったのですが、何の問題もなく「ぷかぷか」は回っていて、安心しました。4年かかって、ようやくここまで来た、という感じです。

 今日は税理士事務所の方と税務署に行って大事な打ち合わせをする予定でした。就労支援の売り上げ(パン、カフェの売り上げ)については税金の免除のお願いで、就労支援の事業についての説明を求められていました。今日は熱は下がったのですが、まだからだがふらふらしていて、とても行ける状態になく、やむなく会計処理を担当しているスタッフに資料を抱えていってもらいました。さきほど無事打ち合わせを済ませたと連絡が入りました。

 土曜日はパン教室が予定されていましたが、私は準備ができる状態にないため、急遽調理スタッフ3名が恵方巻きを作る料理教室をやってくれることになったそうで、これも本当に助かりました。

 最近は実務からかなり離れてはいたのですが、それでも要所要所で私のでる場面があり、今回もハラハラしていたのですが、なんとかクリアーすることができ、本当にホッとしています。

 

両手を使って絵を描いて

  のぼさんが今日からぷかぷかに来ました。手が少し麻痺しているので、両手を使って器用に絵を描きます。右手、左手と鉛筆を持ち直しながら描くので、一見大変そうですが、それでいて鉛筆でしっかり勢いのある絵を描いていました。アートかれんで、その描きっぷりに惚れ込んで、ぷかぷかにお誘いしたというわけです。

 とりあえず週2日来て絵を描くことになりました。どんな絵を描いてくれるのか楽しみです。「ギャラリーのぼ」に今まで描いた絵がはいっています。60枚くらい預かっていますので、少しずつアップしていく予定です。

http://pukapuka-pan.xsrv.jp/index.php?ギャラリーのぼ

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パン屋が始まった頃

 パン屋が始まった頃の原稿です。

 2010年4月、パン屋がオープンしました。それは少しずつ体を慣らしていくようななまっちょろいものではありませんでした。いきなり怒濤の日々がやってきた、という感じでした。

  国産小麦、天然酵母で作るパンは必ず売れる。そう思っていたのですが、売れたのは始めの1週間だけ。新しいお店ができたのでたくさんの人たちが様子を見に来たという感じでした。1週間が過ぎると潮が引くようにパンは売れなくなりました。「国産小麦、天然酵母のパン」を求める人は、ほんの少数派にすぎないことを、いやというほど知ることになったのです。

 毎日大量のパンが売れ残り、捨てるのはもったいないので次の日に半額で売りました。そうすると半額のパンから売れ、その日に焼いたパンがまた売れ残る、という悪循環になり、そこから這い上がるのがまた大変でした。

 当時スタッフが8人。でも、商売を経験した人、経営に詳しい人は一人もいませんでした。ですからどうすればもっとパンが売れるのか、どうすれば売れ残りをなくすことができるのか、誰もわからないまま、赤字ばかりがどんどん増えていきました。

 売り上げが少なくても、材料費や水光熱費の請求は毎月きちんきちんとやってきます。パン材料費、家賃、ガス代、水道代、電気代、電話代、社会保険料、会計事務所顧問料、金融公庫への借入金返済等、支払うお金の多さにびっくりしました。パンの売り上げよりはるかに多いお金です。恐ろしい勢いでお金が出ていく毎日が続いて、この先どうなるんだろうかと、ほんとうに不安でした。赤字がどんどん増えていき、毎月のように自分の預金を取り崩し、資金を投入しないと回りませんでした。

 なんのためにこの事業を始めたのか、一人悶々とする日が続きました。障がいのある人たちといっしょに生きていきたい、という思いで始めた事業ですが、現実の困難さの中で、もう心が折れてしまいそうでした。

 

お米やミソを玄関に並べて

 『笠地蔵』というお話があります。貧乏ですが、心優しいおじいさんとおばあさんがいました。大晦日の日、お正月の餅を買おうと笠を作って町まで売りに行きます。途中、雪をかぶったお地蔵様を見つけ、そのまま通り過ぎることができずに、「お地蔵様、雪をかぶって寒かろう。せめてこの笠をかぶってくだされ」と、おじいさんは売り物にするはずだった笠をお地蔵さんにかぶせてやります。その夜、不思議な歌声が聞こえてきます。♪おじいさんの家はどこだ 笠のお礼を届けに来たぞ♪ おじいさんが戸を開けてみると、笠をかぶったお地蔵様の後ろ姿が見え、家の前にはお正月のお餅やごちそうが山のように積んでありました。というお話です。

 先日、そのお話が大好きという青年が面接に来ました。大晦日の夜、青年はお地蔵さんがうちにも来ると思い、夜遅くお地蔵さんもおなかがすくだろうと、玄関にお米やお味噌、しょうゆを並べてお地蔵さんが来るのをずっと待っていた、とおかあさんがお話しされていました。なんて優しい青年なんだろうと思いました。

 31歳ですが、抱きしめたいくらいかわいいと思いました。『笠地蔵』のお話を読んで、そんなふうに思う人なんて、まずいません。すばらしい想像力です。

  こういう人と演劇ワークショップやったら、とんでもなくおもしろい話ができあがるのではないかと思いました。

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