ぷかぷか日記

パン屋が始まった頃

 パン屋が始まった頃の原稿です。

 2010年4月、パン屋がオープンしました。それは少しずつ体を慣らしていくようななまっちょろいものではありませんでした。いきなり怒濤の日々がやってきた、という感じでした。

  国産小麦、天然酵母で作るパンは必ず売れる。そう思っていたのですが、売れたのは始めの1週間だけ。新しいお店ができたのでたくさんの人たちが様子を見に来たという感じでした。1週間が過ぎると潮が引くようにパンは売れなくなりました。「国産小麦、天然酵母のパン」を求める人は、ほんの少数派にすぎないことを、いやというほど知ることになったのです。

 毎日大量のパンが売れ残り、捨てるのはもったいないので次の日に半額で売りました。そうすると半額のパンから売れ、その日に焼いたパンがまた売れ残る、という悪循環になり、そこから這い上がるのがまた大変でした。

 当時スタッフが8人。でも、商売を経験した人、経営に詳しい人は一人もいませんでした。ですからどうすればもっとパンが売れるのか、どうすれば売れ残りをなくすことができるのか、誰もわからないまま、赤字ばかりがどんどん増えていきました。

 売り上げが少なくても、材料費や水光熱費の請求は毎月きちんきちんとやってきます。パン材料費、家賃、ガス代、水道代、電気代、電話代、社会保険料、会計事務所顧問料、金融公庫への借入金返済等、支払うお金の多さにびっくりしました。パンの売り上げよりはるかに多いお金です。恐ろしい勢いでお金が出ていく毎日が続いて、この先どうなるんだろうかと、ほんとうに不安でした。赤字がどんどん増えていき、毎月のように自分の預金を取り崩し、資金を投入しないと回りませんでした。

 なんのためにこの事業を始めたのか、一人悶々とする日が続きました。障がいのある人たちといっしょに生きていきたい、という思いで始めた事業ですが、現実の困難さの中で、もう心が折れてしまいそうでした。

 

お米やミソを玄関に並べて

 『笠地蔵』というお話があります。貧乏ですが、心優しいおじいさんとおばあさんがいました。大晦日の日、お正月の餅を買おうと笠を作って町まで売りに行きます。途中、雪をかぶったお地蔵様を見つけ、そのまま通り過ぎることができずに、「お地蔵様、雪をかぶって寒かろう。せめてこの笠をかぶってくだされ」と、おじいさんは売り物にするはずだった笠をお地蔵さんにかぶせてやります。その夜、不思議な歌声が聞こえてきます。♪おじいさんの家はどこだ 笠のお礼を届けに来たぞ♪ おじいさんが戸を開けてみると、笠をかぶったお地蔵様の後ろ姿が見え、家の前にはお正月のお餅やごちそうが山のように積んでありました。というお話です。

 先日、そのお話が大好きという青年が面接に来ました。大晦日の夜、青年はお地蔵さんがうちにも来ると思い、夜遅くお地蔵さんもおなかがすくだろうと、玄関にお米やお味噌、しょうゆを並べてお地蔵さんが来るのをずっと待っていた、とおかあさんがお話しされていました。なんて優しい青年なんだろうと思いました。

 31歳ですが、抱きしめたいくらいかわいいと思いました。『笠地蔵』のお話を読んで、そんなふうに思う人なんて、まずいません。すばらしい想像力です。

  こういう人と演劇ワークショップやったら、とんでもなくおもしろい話ができあがるのではないかと思いました。

できないことがあったっていいじゃん

 一昨日に引き続き、「支援する」ということについて書きたいと思います。

 「支援する」というのは、できないところをできるようにする、裏返せば、できないことはだめだと、相手を否定する視線があるような気がします。相手を否定している限り、そこにはお互いを豊かにしていくような関係は生まれません。

 いろいろできないことはあっても、それを超えるすばらしいもの、心がとろけてしまいそうなくらい素敵な魅力を彼らは持っています。私たちにはないすばらしい魅力を持った人たちは、大切にした方がいいと思うのです。そんな人たちと一緒に生きていくことで、私たち自身の人生が豊かになるからです。

 「支援する」という関係からは、こういう豊かさはうまれません。

 彼らの魅力に気がつくと、「できないことがあったっていいじゃん」て思えるようになります。そんなことで人生が決まるわけじゃないし、って。できないことがいっぱいあっても、そんなこと気にもせずにたくましくみんな生きています。気にしてるのは私たちの側だけかも。

 なによりも「できないことがあったっていいじゃん」て思えるようになると、私たち自身の生き方も楽になります。彼らの魅力はですから、人を救う力があることにもなります。そういう人たちとは、やっぱりいっしょに生きていった方が得!、といつもながら思うのです。

 「支援する」関係ではなく、どこまでも「いっしょに生きていく」関係こそ彼らと作っていきたいと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「支援する」だなんて気恥ずかしくて…

 「ぷかぷか」は利用者さんに支えられているという話を一昨日書きました。私自身、彼らに支えられて毎日がある感じです。彼らのおかげで本当に楽しい日々を過ごさせてもらっているのです。

 一方で障がいのある人たちを「支援する」という言葉があります。どこか上から目線の言葉で、私はいつも違和感を覚えます。こういうことができないから、こういうところが問題だから、「支援する」ことで、できないことをできるようにするとか、問題を解決する、というわけです。そんなことはでも、わざわざ「支援する」とか言わないで、黙ってお手伝いしてあげればいい話ではないかと思うのです。

 彼らはできないことや、いろんな問題はいっぱい抱えています。それでも尚、彼らしかできないことや、私たちよりもはるかに優れているところはたくさんあります。そういうところこそしっかり見て、そういうところで彼らとの関係を作って行けば、その関係は今までにない新しいものを生み出します。

 先日も書きましたが、お弁当の配達のついでに、お年寄りの方と利用者さんがお話しする時間を作ろうと思っています。利用者さんとのお話はすごく楽しいので、お年寄りの方を元気にします。こういった仕事は利用者さんにしかできません。そんなすばらしい仕事を、さらっとやってのける彼らを「支援する」だなんて、気恥ずかしくて言えないなと思うのです。

最近なにげに繁盛しているのは…

 今日から仕事が始まりました。メンバーさんはみんな元気に出勤しました。

「いいお正月過ごしましたか?」

「は〜い!」

と、思いっきり元気な声で返ってくるところが彼らのいいところ。彼らと一緒に仕事やってて、しみじみいいなと思います。私自身にとって、ぷかぷかは本当に大切な場所になっています。利用者さん、スタッフ関係なく、それぞれにとって大切な場所に「ぷかぷか」はなってきたかなと思います。

 昔養護学校の生徒と地域の人たちでワークショップをやってた頃、最初は「障がいのある子どもたちのために」「彼らを支えるために」なんていう思いでみんな集まってきていたのですが、ワークショップを続けているうちに、彼らの魅力にだんだん気づき、その魅力に惹かれてみんな集まってきていることに気がつきました。ということは、彼らのために、と思いながらも、実のところ、支えられているのは自分たちの方なんだ、ということに気がついたのでした。彼らとの関係性がひっくり返ってしまうような、大変な発見でした。

 「ぷかぷか」は彼らの就労を「支援する」場ということになっています。でも、かれらがいるから「ぷかぷか」が成り立っているのであって、彼らのいない「ぷかぷか」なんてちょっと想像できないくらい彼らの存在は大きいのです。つまり「ぷかぷか」は彼らに支えられている、ということです。

 昨年、カフェで誕生会をやったお客さんが、利用者さんといっしょに写真撮らせて下さい、おっしゃったことがありました。彼らが働いているこのカフェの雰囲気が大好き、というお客さんでした。そんなお客さんが最近どんどん増えて、満席状態でお店に入れなくて、お断りする日も時々あるくらいです。

 パンの外販も1時間くらいで多いときは5万円くらい売りさばいてくる日もあります。スタッフだけで行ったのではこんなにもさばけません。

 最近なにげに「繁盛」しているのは、みんな利用者さんのおかげであり、彼らが「ぷかぷか」をしっかり支えてくれているのです。そういうことを、お客さんがしっかり見ていてくれていることが嬉しいなと思います。彼らが一生懸命に支えているお店が街の中にあるということ。そして支えられているのは私たちの方であること。そういうことに気づく人たちが少しずつ増えていくと、街は変わっていくんだろうなと思います。

 

 

 

仕事には物語があった方がいい

  仕事にはわくわくするような物語があった方が楽しいです。ぷかぷかカフェのメニューにはいつも楽しい名前をつけています。先月12月のタンドーリチキンのメニューには、たっぷりのリーフレタスの上にのっかったチキンの写真を見ながら思いついた「チキンさん、草原に昼寝する」という名前をつけました。

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 ふかふかの草原に昼寝するなんて、考えただけで気持ちよさそう。そんな気持ちのいい想像ができるって、それだけで得した気分。ただのタンドーリチキンでは、それ以上の想像はふくらまないし、ただ黙々と食べるだけ。

 3月から始めるお総菜事業のお弁当の配達には「地域社会をデザインし直すようなものがある」なんて壮大なことを書いてしまいました。地域のお年寄りの方にお弁当を届ける仕事ですが、お弁当を配達したついでに、お話好きの利用者さんがお年寄りの方の話し相手になってきます。お年寄りの方がちょっと元気になるような楽しいお話ができればいいなと思っています。お弁当の配達はお弁当と一緒に、ちょっと心があたたかくなるものも届けてきます。こういったことは利用者さん=障がいのある人でないとできない仕事です。こういう仕事を積み重ねていくと、地域社会の中で、利用者さん=障がいのある人たちの評価は多分変わっていきます。利用者さんとおしゃべりして、ちょっと元気になったお年寄りの方が、またあの人に来て欲しいなってちょっとでも思ってくれたなら、すごく嬉しいなと思うのです。地域社会はこういうところから少しずつ変わって行くのだと思います。

 またあの人に来て欲しいな、という思いが、あの人たちといっしょに生きていった方がいいね、ということにつながっていけば、それはお互いが気持ちよく生きていける社会につながっていきます。それが「地域社会をデザインし直すようなものがある」という意味です。

 新しく始めるお総菜事業に、そんな壮大な物語がくっつくと、仕事に夢を持つことができます。仕事にはですから夢のある物語があった方がいいとつくづく思うのです。

 「ぷかぷか」もその夢のある物語から始まりました。物語がこんな素敵なお店を作ってくれたのです。物語には、すごい力があるんだと、今、更に先へ進もうとしているぷかぷかを見ながら思います。

来年も木版

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 年賀状がやっとできました。木版はだんだん面倒くさくなって、今年は芋版にしようかと思い、馬になりそうな芋をさがしてやってみたのですが、簡単にできてしまう分、刷り上がったものはそれなりにもので、これはアカンと没にしました。31日に文房具屋に板を買いに行ったところ、「これからですか?」なんていわれましたが、これから追い込まれてやるのがいいんだ、とばれんと絵の具を一緒に買いました。

 で、1日、ひたすら彫ってできたのがこれです。彫刻刀の切れ味が悪く、砥石で研ぎながら彫りました。彫っているときは本当に楽しいですね。縦書きの文字右から書くので、これは逆ですね。今、気がつきました。ま、愛嬌だと思って下さい。

 子どもの小さい頃は一家5人分の顔とメッセージを彫ったので、彫るだけで毎年3日くらいかかっていました。年末は毎年のように子どもつれて旅していましたからフェリーの2段ベッドでずっと彫っていましたね。刷るのがまた大変で、インクがのりやすいようにはがきを少し湿らせ、版木にインクを丁寧に塗り、ばれんでごしごしこすり、1枚刷るのに最低でも5分はかかっていましたので、100枚くらい刷るのに3日くらいはかかっていました。ですから年賀状は毎年お正月が遙かすぎた頃出していましたね。

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 ちょうど10年前ですね。こういうエネルギーがなくなってしまって、ちょっと寂しいです。

 ぷかぷかの年賀状、ことしは宛名をパソコンで作って印刷しました。時代の流れかと思いますが、なんか寂しいですね。

 手作りのあたたかいものをみんな求めながらも、一人一人がだんだんそれをやらなくなって、だからこそ来年も木版の年賀状を作ろうとあらためて思ったのでした。もちろん宛名も手で書きますよ。 

あけましておめでとごいます

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 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 「ぷかぷか」の年賀状を作るために、何人かの利用者さんに「あけましておめでとうございます」と書いてもらい、選んだのが上の文字。勢いがあって、ひと目でこれに決めたのですが、最後の方がよく読めなくて、目をこらすと「あけましておめでとごいます」とありましたが、ま、いいか、となって、これで年賀状作りました。

 ま、いいか、という感じで行けてしまうところが、彼らといっしょに仕事をしている「ぷかぷか」のいいところだと思います。本人は大まじめに、一生懸命書いていたので、「ぷかぷか」の仕事始めは「あけましておめでとごいます」でいこうと思います。このあたり、どこまでも「ぷかぷか」なのです。

 

 今年は「お総菜」「アート」「ワークショップ」が新しく始まります。どの企画もわくわくするものがあって、本当に楽しみです。

 お総菜作りで使うスチームコンベクションオーブン(100万円)を買うために、ヤマト福祉財団に助成金の申請をしたのですが、その申請書作りに31日の夕方までかかりました(締め切りが31日の消印でした)。追い込まれたおかげで、お総菜の物語が更に広がりを持ったように思います。収益として期待できるだけでなく、お弁当を配達することで地域に新しい関係が広がっていくことに、企画書を書きながら気がつきました。

 お弁当の配達にはお話好きの利用者さんを連れて行こうと思っています。配達ついでにお年寄りの方とお話ししてきます。他愛ない話であっても、利用者さんとお話しする時間はとても楽しいと思います。そのことでお年寄りの方が、ほんのちょっとでも元気になるなら、お弁当の配達は、ただお弁当を届けるだけでなく、とても大事なものを届けることになります。それは利用者さん(=障がいのある人)しかできない仕事です。そんな仕事を積み重ね、ぜひ彼らにお弁当を届けて欲しいというお年寄りの方が増えるなら、「ぷかぷか」が発信してきた「彼らとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージの回路が更に増えることになります。

 「アート」も「ワークショップ」も新しい回路の開発です。どんなふうに広がっていくのか、本当に楽しみです。

 

 そういえば昨日の朝、しんごっちから電話がありました。「地震だよ、大変だよ」と騒いでいるのですが、全く揺れを感じません。しんごっちの家は私の家から5キロぐらいしか離れていないので、変だなと思いながらテレビをつけたら茨城で震度5とテロップが流れていました。そのことを伝えたくてわざわざ電話までくれるところにしんごっちらしさがあって、ひとときその長い報告におつきあいしました。話の中で田園都市線は市が尾付近でカーブがきついので、地震の時は電車が止まるんだよ、なんてことも言っていて、よく調べているなぁと感心しました。とにかく元気な声で安心しました。そのしんごっちの絵画展、あたたかくなったらカフェで開催しようと思います。楽しみにしていて下さい。

 

 

 

 

 

「無理無理」といわれた「ぷかぷか」が

 朝日新聞オピニオン欄の「2013 不可能性の時代を生きる」はとてもおもしろいお話でした。

 「…人間はね、やっぱり『不可能だ』といっちゃだめなんですよ。『道はある』という感じを持つと、人の思考は回転し始めるのですから。…」

 「…みんなが可能なことしか求めなかったら、可能なことしか起きないじゃないですか。…歴史的には何度も不可能だったはずのことが起きている。それは不可能なことを求める人がいたからに他なりません。自分が本当は何を望んでいるのか、どんな社会を目指したいのか、まずは口にしてみましょうよ。あなたが口にすることによって、不可能は可能になる可能性をはらむのです」

 全くその通りだと思います。

 「ぷかぷか」は私の夢物語から始まりました。「障がいのある人たちといっしょにパン屋をやりたい」という話を「そんなの無理無理」「素人にパン屋なんかできるわけがない」なんていう人はたくさんいました。たくさんどころか、ほとんどの人はそう思っていました。

 それでも私は夢物語を語り続けました。語り続けることで、その「無理無理」といわれた「ぷかぷか」は立ち上がり、つぶれもせずにもう4年たちました。「できるわけがない」といわれた「ぷかぷか」が、今、信じがたいくらい順調に回っています。始めて1年目の、苦しい資金繰りの中であっぷあっぷしていた頃を思うと、今、夢のようです。

 物語を語り続けること、それはわくわくしながら未来を語ることであり、それがあったから「ぷかぷか」は前へ進むことができたと思っています。「ぷかぷか」の物語に共感し、一緒に前に進もうといってくれる人もずいぶん増えました。来年はどんな物語が広がっていくのか、今からわくわくしています。

 

 

地域社会を新しくデザインし直すような

「お客さまが安心して食べられるおいしいお総菜、お弁当」の販売を始めます。

  添加物だらけの食品が多い中、「安心して食べられる」「おいしい」はとても大事なキーワードです。4年前に創設した「カフェベーカリーぷかぷか」は、まさにそのキーワードを実現すべく「お客さまが安心して食べられるおいしいパン」を黙々と作ってきました。「ぷかぷかカフェ」では「お客さまが安心して食べられるおいしい食事」を提供してきました。そのメッセージが徐々に浸透し、パンの販売は1年前に比べ47%も売り上げが伸びました。これはそのメッセージが間違っていなかったということであり、お客さまがそういうものを切に求めているということだと思います。

  パン屋もカフェも、小さな子ども連れのお客さまが多いです。子どもに安心して食べさせられるパン、食事を食べさせたいというお客さまが多いということです。子どもの命を大切にしたい、という思いをとても感じます。食べ物を作る事業者として、子どもの命を傷つけるようなものは作りたくないと思います。子どもの命を健康に育むような食べ物を作っていきたいと思うのです。

 今回新しく始めるお総菜事業も、その路線の延長にあります。

 店頭販売の他、地域のお年寄りの方を対象にした配達にも力を入れたいと思っています。配達のついでに、お話好きの利用者さんがお年寄りの話し相手になってくることも考えています。利用者さんとの楽しい会話は、お年寄りの方を元気にするような、とてもいい時間になると思います。おいしいお総菜、お弁当と一緒に、そんなふうに、なにかホッとするような、あたたかいものが届けられれば、と思うのです。

 こういう仕事は、利用者さん=障がいのある人でないとできない仕事だと思います。こういう仕事を積み重ねていって、「障がいのある人とはいっしょに生きていった方がいいね」と思う人が増えてくるなら、地域社会は少しずつ変わってきます。障がいのある人たちが生きやすい社会(それはとりもなおさずお互いが生きやすい社会になるということですが)になっていく、ささやかな一歩になるだろうと思うのです。

 一人暮らしのお年寄りとのお話は、安否確認にもなり、地元の社会福祉協議会とも連携し、安否確認の新しいネットワークを作ることも考えています。

  そんなふうに考えていくと、お総菜、お弁当の配達は、地域社会を新しくデザインし直すような、そんなダイナミックなものが含まれているように思います。

 

 

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