利用者さんのいとこの方から結婚式で使うプチギフトの依頼があり、ようやく完成しました。初めての商品ということもあって、クッキーもぎっしりという感じで入っていますが、そのあたりの調整もしながら、利用者さんの思いが、この小さな贈り物から伝わっていくような商品を作っていきたいと思っています。
プチギフトの注文、受け付けます。値段は相談です。045-921-0506
利用者さんのいとこの方から結婚式で使うプチギフトの依頼があり、ようやく完成しました。初めての商品ということもあって、クッキーもぎっしりという感じで入っていますが、そのあたりの調整もしながら、利用者さんの思いが、この小さな贈り物から伝わっていくような商品を作っていきたいと思っています。
プチギフトの注文、受け付けます。値段は相談です。045-921-0506
ワークショップの企画書を読んだ友人からこんなメールが来ました。
冒頭を読んでいて思い出した(というか、たまに思い出す)んだけど、
私も最初、自閉症の子がこわかったなぁ、と。
のんちゃんの弟のひろくんとはじめて会った時(小学校低学年だったと思う)、
こわいこわいと言って、逃げ回ったのを覚えている。
ひろくんは同じ歳です。
でもその後の記憶は、いつのまにか学校の帰り道にはいつものんちゃんの家に寄り、
ひろくんと一緒におやつを食べ、テレビを見(私の家にはテレビが無かったから、
のんちゃんの家でテレビを見るのが楽しかった)、それで家に帰る、という
日々が続いていて、ひろくんが通っていた(当時の)特殊学級の子たちと
一緒に冬はスキーに出かけたりもして、とても楽しかった。
「こわい」という気持ちは、「わからない」ことから来ていたんだなと、
今ならわかります。
だから日常的に彼らに接することができる場が身近にあることって
とても大切なことだなって思いました。
ひろくんと毎日のように会っていた日々から十数年が経って再会したら、
ひろくんは私のことをちゃんと覚えていてくれた。とっても嬉しかった。
街の中でこんな出会いがたくさんあれば、社会はもう少し変わるように思います。
「ぷかぷか」は今、街の中でこんな出会いを毎日毎日つくっています。「ぷかぷか」にやってくる子どもたちが大きくなって、メールをくれた友人のような気持ちになってくれたらいいなと思うのです。
5月からみんなで演劇ワークショップをやる予定でいます。その企画書ができましたので載せます。
口にはしないものの、障がいのある人たちのことを「何となくいやだな」と思っている人は多い。障害者施設を建てようとすると、地元市民から反対運動が起きることさえある。とても悲しいことだが、これが障がいのある人たちの置かれた状況だ。
これは障がいのある人たちに問題があるのではなく、彼らのことを知らないことによって生じる問題だと思う。何となく怖いとか、不気味、といった印象は、彼らのことを知らないことから生まれる。“知らない”ということが、彼らを地域から排除してしまう。
彼らの生きにくい社会、異質なものを排除してしまう社会、他人の痛みを想像できない社会は、誰にとっても生きにくい社会だろうと思う。誰かを排除する意識は、許容できる人間の巾を減らすことにつながる。社会の中で許容できる人間の巾が減ると、お互い、生きることが窮屈になる。これは同じ地域に暮らす人たちにとって、とても不幸なことだと思う。
逆に、彼らが生きやすい社会、社会的弱者が生きやすい社会は、誰にとっても生きやすい社会になる。
そういう社会はどうやったらできるのか。それへ向けてのひとつの提案が「ぷかぷか」が地域でやってきたことであり、今回の企画はその提案を更に膨らますものとして位置づけられる。
上記の社会的な課題の解決の一歩は、障がいのある人たちを「知る」機会を作ることだと考える。障がいのある人たちを「知る」ことで、彼らが本当に「怖い」のか、「不気味」なのか、確かめてもらうことが必要だと思う。
4年前、この霧が丘の地に「カフェベーカリーぷかぷか」(パン屋)と「ぷかぷかカフェ」を立ち上げた。「ぷかぷか」は、障がいのある人たちの働く場なのだが、パンを買いに来たついでに、あるいはカフェにお茶を飲みに来たついでに、彼らに出会って欲しいと思った。
ふつうの人がふつうにできることが、彼らにはむつかしいことが多い。といって、彼らは私たちより人として劣るのかというと、決してそんなことはなく、ていねいにおつきあいすると、私たちにはない素敵な魅力をたくさん持ち合わせている。
パンを買いに来たときに、彼らのそんな魅力に触れる機会があるなら、パンと一緒に、なにかあたたかいものを一緒に持ち帰ることができる。お茶を飲みに来た折に、彼らの魅力にふれることができるなら、お茶の味がいつもより美味しくなる。
そんな魅力が口コミで広がったのか、カフェはこのところ満席の状態が続いている。毎週行くパンの外販先では売上げがこの4年で10倍に伸びたところもある。パンが美味しいこともあるが、毎週外販の日に彼らと会うのを楽しみにしている人が多いことを考えると、やはり彼らのなんともいえない「魅力」が売上げを伸ばしているのだと思う。
「ぷかぷか」は「ホームページ」「ぷかぷかしんぶん」などのメディアを使って「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」というメッセージを発信し続けている。
ホームページ(http://pukapuka-pan.xsrv.jp/ 「ぷかぷかパン」で「検索」)は「ぷかぷか」の活動、メッセージをリアルタイムで伝え、ほとんど毎日情報を更新している。ホームページを立ち上げて3年になるが、アクセス数は4万を超えている。
「ぷかぷかしんぶん」は毎月発行している手作りのしんぶんで、5,000部印刷し、お店の周辺に配布している。内容はお店の宣伝だけでなく、メンバー(ぷかぷかの利用者)さんの描いた絵、ちょっとしたエピソードなども入れている。巻頭にはいつも「お元気ですか?」「寒くなりましたが、お変わりありませんか?」と読み手に語りかける言葉を入れ、読み手との関係を親しみのあるものにしている。そういったこともあって、毎月「しんぶん」が家のポストに配布されるのを楽しみにしている人が多い。
冒頭に掲げた「社会的な課題」は、少なくとも「ぷかぷか」の周辺では、少しずつではあるが、解決できつつあるように思う。
① 演劇ワークショップの場では、さまざまな表現方法(身体表現、声とことば、美術、音楽、など)を用いることや、フィクショナルな設定を活かすことで、私たち自身の思考回路やものを見る目が刺激され、からだまるごと表現することで日常の枠組や価値観が揺さぶられる。そのことで少し私たち自身が自由になってくると、障がいのある人たちの存在感、発想の豊かさが、ふだんよりよく見える。彼らのことがよく見えてくると、ワークショップの場には彼らのような、私たちとは違う発想をする人たちがいたほうがより豊かなものが創り出せる、ということがごく自然にわかってくる。
私たちとは違うもの、異質なものを排除してしまうのではなく、異質なものを取り込んでこそ、私たちの集団は許容する幅が広がり、豊かになっていく、ということが、ワークショップの場で多少とも体験できれば、これは地域社会を変えていく、ささやかな出発点になる。
「いっしょに生きていった方がいいね」という思いが、ワークショップという創造的な共同作業から生まれることは、彼らといっしょに生きていく中で、更に新しい文化が生まれる可能性をも示唆している。これは今「ぷかぷか」が発信しているメッセージより、更に踏み込んだものになるだろう。
② ワークショップは月一回のペースで、6ヶ月続け(5月後半スタートの予定)、最後に舞台で発表会を行う。お客さんはたくさんの地域の人たち。これはワークショップの中で作り上げた、障がいのある人たちと地域の人たちの新しい関係性の発表会であり、これはぷかぷかが発信してきたメッセージを、更に大きく、幅広くしたものになる。
会場はみどりアートパークのリハーサル室、発表会はホール。問題は会場が抽選になるため、他の会場も検討中。
ワークショップ参加者は、「ぷかぷか」の利用者さん、スタッフ、地域の人たち。口コミ、ホームページなどで集める。参加人数は30〜40名。進行役2〜3名、音楽担当1名、発表会舞台監督1名。
③ ワークショップでどういうものが創り出せるか、やってみないとわからないのだが、話の切り口として「森は生きている」というロシアの民話を持ってこようと思っている。自然のサイクルを無視して人間の欲するままにやっていると手痛いしっぺ返しが来る、というお話は、「ぷかぷか」のミッションのひとつ「健康な命を未来に引き継ぐ」ことと重なる。
作品に登場する12月(つき)の神様を参加者の想像力と創造力で作ることからワークショップを始めたい。
オペラシアターこんにゃく座のオペラ「森は生きている」で歌われる林光さん作曲の「森は生きている」の力強い歌をワークショップのテーマソングにしたいと思っている。
♩ 森は生きている/風だって雲だって/小川のせせらぎだって
生きている
森は生きている/ 氷に閉ざされた/まつゆきそうだって
生きている
森と空を/ 私は見た/ 生きているものたちの笑う声
話すことば/ 燃えている火よ/あふれる力よ
森は生きている / 森は生きている
④ 貴重な試みになるので、写真と動画で記録をまとめ、より多くの人たちと私
たちの体験を共有したいと考えている。
主催 NPO法人 ぷかぷか
協力 デフ・パペットシアター・ひとみ
(ろう者と聴者が共につくる人形劇団)
演劇デザインギルド
オペラシアターこんにゃく座
問い合わせ:「ぷかぷか」高崎 045-453-8511
のぼさん、今日も制作中。自分の頭の中にある理想の女性のようです。
料理教室で作ったものです。
今日もカフェが満席で、外でしばらく待っていただいたりで、大変でした。
おいしい野菜や肉を使ってきちんと丁寧に料理したものを出すと、こうやって自然にお客さんが来るんだなとあらためて思いました。最後は料理に添えるパンがなくなって、パン屋に並んでいるパンを引き上げて出すほどでした。
料理がおいしいだけでなく、小さな子ども連れでも気を遣わなくてすむことが大きいと思います。一番奥に狭いながらも子どもが自由に遊べるスペースを作っているので、小さな子どもは大概そこで遊んでいます。お母さんたちはのんびりと食事ができます。子どもが騒いだり、うろうろしても気を遣わなくていい、というお店全体の雰囲気がやはりいいのだと思います。
「こんな場所、ほかにないですよ」とおっしゃるお客さんもいました。
「子どもがすごく気に入っています」とおっしゃるお客さんも。
社会全体が、子どもが騒いだり、うろうろしたり、といったものを受け入れる「幅」が狭くなっている気がします。お互いが息苦しくなっているというか、そういった雰囲気の中で、「ぷかぷか」はどこかホッとする雰囲気があるのだと思います。それを作ってくれているのはやはり「ぷかぷか」のメンバーさんたちです。この人たちは、息苦しくなった世の中を救いに来てくれているのかも知れません。
洋服屋で仕事を始めたたっちんが遊びに来ました。仕事を始めてまだ2週間足らずなのですが、ものすごく張り切っているようでした。
嬉しかったのは「メンバーさん元気日記」の原稿をくれたこと。その中に
「給料が入ってとっても嬉しかったです」
「私は仕事のやりがいを感じました」
「仕事の大切さを知りました」
といったことが書いてあって、今までたっちんとそんなこと話したこともなかったので、
「そうかそうか、たっちんはこんなこと感じてたのか」
と、嬉しくなりました。
ぷかぷかは障がいのある人たちの就労支援をやっているところですが、こういうことを感じながら就労していくんだな、とあらためて思いました。たっちんがぷかぷかを抜けたことは、ちょっと寂しい思いがしましたが、こんな事を感じながら巣立っていったのかと思うと、
「がんばれよな」
って、たっちんの背中を押したくなりました。
今日のぷかぷかの給食です。カボチャのそぼろあん、鮭のカレームニエル、カリフラワー、おからの煮物、味噌汁、ごはん。
これを作った人の日記。
道路側に山と積もった雪。滑らないようにそろーりそろーり足を運ぶ。寒いので生姜を使った「カボチャのそぼろあん」が頭に浮かぶ。
本日のメニューのおからを買い求めて武川食品へ。「おはようございます」いちばんいそがしい中、長いビニールエプロンを掛けた武川さんが小走りで寄ってきて、私の買い物に応じてくれます。
「いそがしいところすみません。おから2袋とこんにゃく2枚」奥さんは急いでビニール袋を用意し、冷たい水に手を入れてこんにゃく2枚を入れ、ショーウィンドウのケースからおから2袋入れてくれます。奥さんの手は赤くなっていました。
支払いを済ませて、電車に乗ってぷかぷかへ。本日の主菜、鮭をどうやって料理しよう。フライよりカレームニエルの方が体が温まるかなと思い、手を動かす。
三保の岩沢さん(農家)から「売り物にならないから使ってよ」といただいた、ぱっくり割れた人参の泥を落とす。メンバーさんがおから用に人参、こんにゃく、油揚げ、ゴボウを千切りに。フライパンにごま油を入れ、ゴボウ、人参、こんにゃくを炒め入れ、おからは別のフライパンでぽろぽろになるまで炒める。おいしくなーれ、と木べらを使い炒める。
そうやってできたのが下の写真の給食。いろんな物語がこの給食にはあります。
昨日、給食とカフェで使う野菜を地元の農家まで買いに行きました。80才になるおばあちゃんが待っていてくれました。雪の積もった畑から掘り出したみずみずしいほうれん草が束ねてあって、それだけで嬉しくなりました。雪の畑から掘り出すのは大変だっただろうと思います。野菜を作った人に、そんな思いを寄せることができるのは、農家とのこういうおつきあいがある故だと思います。スーパーで野菜を買っても、こんな思いにはなりません。これはある意味、さびしいことだと思います。
農家で買った野菜にはそれを作った人、収穫した人の「物語」があるような気がします。だから野菜を目にしたとき、すごく嬉しくなったり、大変だっただろうな、って思ったりしたのだと思います。
ほうれん草、大根、長ネギ、ブロッコリー、人参、里芋、白菜の漬け物、ミカンを買いました。その一つ一つに「物語」があるのだと思うと、野菜を抱えて運びながら、なんだか心があたたかくなりました。
今日の給食はその野菜を使った温野菜ゆずみそがけ、煮物、けんちん汁でした。食事しながら気前よく割れた人参を「持っていって」と分けてくれたおばあちゃんの顔が目に浮かびました。「物語」のある野菜は、食卓まで豊かになるような気がしました。
4月パン屋の隣に開店予定のお弁当、お総菜のお店「おひさまの台所」では、そんな物語がいっぱい詰まったお弁当、お総菜を販売します。楽しみにしていて下さい。
0.5才の誕生会がありました。0.5才のかわいい子どもたちが4人も集まりました。昨年11月に、「ぷかぷかカフェ」でやはり0.5才の誕生会をやった方が、今日の4人組を連れてこられました。ファミレスではなく、あえて「ぷかぷかカフェ」を選んでくれたところが嬉しいなと思いました。
お母さんの一人が、子どもが大きくなって、ぷかぷかで親子3人で食事ができたらいいなと思っています、とあいさつされ、とても嬉しく思いました。
術後5日目、朝と晩に背骨のところから入れていた痛み止めの点滴をやめました。それまで手術以来ずっと続いていためまいや幻覚が、ウソのようにぴたっと止み、久しぶりに晴れ晴れとした気分になりました。
幻覚ははじめ、これが幻覚なのかどうか、よくわかりませんでした。昼間、目を開けているときでも、ふっと夢を見ているような感じになり、なにやらものすごく恐ろしいものがわーっとおそってくる感じがして、その度にびくっと目が覚めました。目が覚めたあとは、なんとも不愉快な感じが残りました。それが多いときは数分おきにあって、一体どうなってしまったんだろうと、不安でいっぱいでした。
看護婦さんに変な夢を見て、気持ちが悪いことを訴えたのですが、「ぐっすり眠れば大丈夫よ」ぐらいしか言ってくれなくて、不安は一向に解消しませんでした。眠っているときも、その変な夢はおそってきて、もう眠るのが怖いくらいでした。
あれが幻覚だったと気がついたのは、点滴をやめた日、すっきりした気分で隣のベッドの人と話をしていて、「ああ、それは幻覚だよ」と言われたときでした。強い鎮痛剤の副作用だったようです。手術以来、ずっと続いていたもやもやした気分が、ようやくすっきり晴れた気分でした。
めまいと幻覚がなくなると、急に元気になって、病棟の廊下を点滴を抱えたままうろうろ歩き回りました。
おなかの中に太くて堅いビニールパイプが横向きに入り込み、それがまわりの肉を巻き込み、少しでも動くと、ギュウッと締め付けてくるような強烈な痛みがありました。歩くとその痛みが更に増して、「ああ、うぅーっ」と思わずうなってしまいました。それでも歩くことは復帰への一歩であり、どんなに痛くてもそこには未来への希望がありました。そして何よりも、また生き返った気がしたのでした。
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。