でんぱたの青年達、今日も畑でのんびり畑仕事。この雰囲気がいい。











社会全体がこういう雰囲気になれば、も少しお互い生きやすくなる気がします。
でんぱたの青年達、今日も畑でのんびり畑仕事。この雰囲気がいい。











社会全体がこういう雰囲気になれば、も少しお互い生きやすくなる気がします。
やまゆり園事件から10年がたちますが、あの事件を超える物語を私たちはどれだけ作ってきたのかと思います。事件の犯人は「障害者はいないほうがいい」といいました。それを超えるのは、「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」というだけではなく、いっしょに生きていくことで何が生まれるのか、社会がどうなるのかを語り、作り、それを持続させていくことが必要ではないかと思います。
事件を受けて作った映画『Secret of Pukapuka』です。
ぷかぷかのお店です。



みんな元気に働いています。




刺繍を作る人もいます。

こんな絵を描く人もいます。

こんな作品を作る人もいます。


いっしょに芝居を作るとこんな舞台ができあがります。


こういう活動は社会を豊かにします。障がいのある人たちといっしょに生きていくことで社会が豊かになるのです。だからいっしょに生きていった方がトク!なのです。
昨日の東京新聞
結局のところ彼も福祉施設での「支援」という上から目線でしか障がいのある人達を見てなかったということではないかと思います。フラットな関係、相手と人として出会っていれば、相手を殺すなどといったことはできません。人として出会うことの大切さを改めて思います。
いっしょに生きていった方がトク!というのは、相手と人として出会うことが前提としてあります。「いい一日だったね」って、お互いニッと笑うような、そんな関係があの忌まわしい事件を超える社会を作っていくのだと思います。事件直後にあちこちで語られたアーダコーダのコムツカシイ話ではなく、「今日楽しかったね」って、笑顔で言えるおつきあいを障がいのある人達と作ること、それが事件を超える社会を作っていく最初の一歩ではないかと思います。
ぷかぷかさんの中には亡くなった美帆さんの今を想像し、
「いろんなとこに旅をしてね、ぴょんぴょんとんでね」
と語る方もいました、と先日取材に来た方がおっしゃってました。私たちにはない発想を持ったこういう人こそが、これからの新しい社会を作っていくのだと思います。
彼等は支援される人ではなく、新しい社会を作っていく人達なんだと思います。そんな風に思えるかどうかが、今問われている気がします。
こんなステキな笑顔の人達が新しい未来を作っていきます。


やまゆり園事件から10年です。あの悲惨な事件を、なんとか忘れないようにしたいと思うのです。
やまゆり園事件という抽象的なことではなく、美帆ちゃんをはじめ、19名もの人たちが「障害者はいないほうがいい」などという理不尽極まりない理由によって命を奪われてしまったことです。それを忘れない。
何よりも彼らがいないという現実にこの10年向き合ってきた遺族の方達がいるということ、そのやりきれない悲しみを想像すること。
大事なことは、あの事件は私たちにとってなんだったのか、どうしてあんな悲惨な事件がこの社会で起こってしまったのか、私たちに責任はないのか、を問い続けること。
そうして私たちは今、何をするのか、どうやってあの忌まわしい事件を超える物語を作っていくのか。ここがいちばん大事だと思います。なにもしなければ、あの悲惨極まりない事件を起こした社会は何も変わりません。社会が変わらなければ、また似たような事件が起きます。現にいくつかの福祉事業所で虐待が起こっています。相手を人として見ない、という点で、やまゆり園事件と虐待は地続きなのだと思います。
障がいのある人達と人として出会い、人としておつきあいしていく。支援などという上から目線で相手を見ない。どこまでもフラットにつきあう。そうやってはじめて、あの忌まわしい事件を超え、豊かなものを創り出せるのだと思います。
何よりも
「いい一日だったね」
って、お互い笑顔で言い合えるような日々を作っていくこと。それが事件を超える物語になります。
ぷかぷかの日々は、その物語を作り続ける日々といっていいのかも知れません。あのような悲惨極まりない事件を二度と起こさないために。



いっしょに生きていくことで、こんなステキな舞台が生まれます。


これがあの忌まわしい事件を超える、ということです。
昔学生の頃、大学内の教会でやっていた聖書研究会に通っていたことがあって、その時に石原吉郎という詩人を紹介され、今もその詩集を大事に持っています。ものすごく分厚い詩集で、その中にある評論の中に
《 ジェノサイドの恐ろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることではない、
その中に、ひとりひとりの死がないということが、私には恐ろしいのだ。 》
相模原障害者殺傷事件が起こったとき、保護者の希望で名前を公表しませんでした。ですから誰が亡くなったのか、どんな人が亡くなったのか全くわかりませんでした。ひとりひとりの死がなかったのです。
美帆ちゃんのお母さんだけが、それはおかしい、と声を上げ、美帆ちゃんという女性が亡くなったことを私たちは知りました。そのことによって事件の恐ろしさ、悲惨さをようやく知ることができたのです。

NHKの方が、当時娘さんをなくし、落ち込んでいたお母さんを元気づけようとぷかぷかに連れてきたことがありました。事件の犯人は
「障害者はいない方がいい」
などと主張していましたが、ぷかぷかは
「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」
と主張しています。そんなぷかぷかにやってきたお母さん、ぷかぷかさん達に囲まれ、「あれ、どうしたの?」「どこから来たの?」「お名前は?」と質問攻めに戸惑いながらも、ぷかぷかさん達のなんともいえないあたたかさにふれ、少し元気が出てきたようでした。
当時のブログにこんなこと書いていました。
《先日やまゆり園事件の遺族の方(美帆ちゃんのお母さん)がぷかぷかに見えました。私はどういう言葉で話しかければいいのかわからず、「こんにちは」といったきり、後に続く言葉がなかなか出てきません。事件に関するブログを150本以上書きながら、事件で一番辛い思いをした遺族の方にかける言葉が出てこないのです。
遺族の方を前に本当に困りました。その時周りにいたぷかぷかさんたちが
「あれ、どこから来たの?」「お名前はなんて言うの?」
と、いつもの調子で質問攻め。
「ぷかぷか、頑張ってます」
なんていう人もいました。
そんなぷかぷかさんらしい対応に、遺族の方はみるみる笑顔になり、いろんなお話を楽しそうにされていました。遺族の方を前に、半ば固まってしまった私は救われた思いでした。
「ぷかぷかさんのお昼ご飯」で食事された時、その日のメニューは唐揚げだったのですが、亡くなった娘さんの大好物だったそうで、
「娘と一緒に唐揚げを食べている気分でした」
とお話しになっていました。一ヶ月後に誕生日を迎えるという話も聞き、それならぷかぷかで誕生会やりましょう、という話になりました。
「ぷかぷかさんのお昼ご飯」は誕生日を迎える方のリクエストで誕生日メニューが決まります。ですからその日は唐揚げにすることになりました。お母さんひとりで食事するのは寂しいと思い、亡くなられた娘さんの写真を見ながらぷかぷかさんが等身大の「分身くん」を段ボールで作り、お母さんの隣に並べて食事してもらいました。帰りの会でささやかな誕生会もやりました。小さなステージに娘さんの分身くんに座ってもらい、みんなで「ハッピーバースデー」を歌いました。娘さんの好きだった音楽をガンガンかけ、みんなで思いっきりダンスをしました。誕生日カードもぷかぷかさんが描いてプレゼントしました。お母さん、本当に大喜びでした。
遺族の方はそっとしておいた方がいい、とよく言われます。でもぷかぷかさんたちは違いました。そっとしておくどころか大歓迎し、誕生日会までやってしまったのです。お母さん、たくさんの元気をもらえたようでした。
事件を超えるって、こういうことではないかと思います。事件で一番辛い思いをした遺族の方が元気になる。これはすごく大事なことです。今まで、多分誰もやっていなかったことです。それをぷかぷかさんが、何か特別なことではなく、いつもどおりの感じで、さらっとやってしまったのです。
ぷかぷかさんといっしょに生きていく中にこそ、事件を超えていく鍵があるような気がしています。
昨年の上映会に参加した方が、ぷかぷかさんもいっしょにいる上映会の賑やかな雰囲気の中で
「とがった心が丸くなる」
と感想を書いていましたが、一番のキーポイントを言い当ててる気がしました。
事件を考える集まりで、お互いの考え方のちょっとした違いで、とても険悪な雰囲気になってうんざりしたことがあります。事件を考える集まりなのに、みんなの心はとがったままだったのだと思います。心がとがったままでは、事件を超える社会を作るとかいっても、なんだか寒々しい気がします。
その心をゆるっとしてくれるのがぷかぷかさんです。とがった心を丸くしてくれるのです。11月14日の上映会(第6期演劇ワークショップ『どんぐりと山猫』の記録映画)にはぷかぷかさんもたくさん参加します。彼らのチカラを借りて、事件を超える社会がどうやったらできるのか考えたいと思うのです。
美帆ちゃん、君のこと忘れないよ。
それは事件を忘れないということ。この社会でどうしてあのような事件が起こったのか。この社会の、何が問題なのか。それを考え続けること。そのことの大事さを美帆ちゃんは教えてくれたように思うのです。
お母さんからは美帆ちゃんのお話をいろいろ聞きました。唐揚げが大好きだったそうで、12月5日の誕生日に近い給食のメニューは唐揚げにしました。


お母さんも食べに来たことがあって、その時、
「高崎さんは気がつかなかったかもしれないけど、美帆ちゃんもいっしょに食べてたんですよ」
といい、そうか、唐揚げのメニューにするってそういうことなんだ、と思ったりしました。美帆ちゃんを思い出すだけでなく、美帆ちゃんも食べに来るんだ、って。
ぷかぷかさんの中には美帆ちゃんの誕生日にはいつもバースディカードを作ってお母さんに送る人もいます。丁寧に丁寧にカードを描きます。できあがったカードは私の方で美帆ちゃんのお母さんに送るようにしています。

6月6日(土)、みんなでお昼ごはんを作りました。









































先日の宮崎県串間での上映会、ワークショップを企画した石山さんの思い。


やまゆり園事件から10年になります。あれだけ衝撃的な事件があったにもかかわらず、障がいのある人たちを取り巻く状況はそれほど変わったとは思えません。
神奈川県では「共に生きるかながわ憲章」を定めていますが、当たり前のことが書いてあるだけで(優等生の作文のよう)、これで社会が変わるとはとても思えません。
https://www.pen-kanagawa.ed.jp/kanazawa-sh/documents/message3.pdf
「障がいのある人とは一緒に生きていった方がトク!」
といった感じの、泥臭いおつきあいこそが、今必要なんじゃないかと思います。いっしょに笑うとか、いっしょに怒るとか、腹を立てるとか、いっしょに寝っ転がるとか、そういったふだんの暮らしの中でのふつうのおつきあいをコツコツ作っていく。
そのおつきあいをちょっとずつ広げていく。広げていくことで社会は少しずつ変わっていきます。
「共に生きる社会を作ろう」といった大きな話ではなく、身近にいる障がいのある人達と小さな物語を日々作っていく。「今日いっしょに笑ったよ」とか、「けんかしちゃった」とか、「一緒にお出かけして楽しかったよ」といった日々の小さな物語こそが大事。
「支援」という上から目線ではなく、どこまでもフラットな関係で彼等とつきあっていく。それがいっしょに生きるということ、共に生きるということです。
事件があったからって、社会はすぐに変わるわけではありません。何よりも多くの人は、私には関係のないこと、と思っています。それが社会です。そんな社会をどうやって変えていくのか、なんて大それたことは考えず、とにかく彼等と過ごす日々を丁寧に作っていく。そして
「いい一日だったね」
って、お互いが笑顔で話せるような、そんな関係を大事にしたいと考えています。
長い目で見たとき、そういったことの積み重ねが、あの事件を超える社会を作っていくのだと思います。希望を持ちましょう。


宮崎県の串間でぷかぷかの映画『Secret of Pukapuka』の上映と1時間ほどの簡単な演劇ワークショップ、それにみんなでわいわい話し合いをやってきました。











演劇ワークショップはほとんどの人が初めてだったので、とても新鮮な感じで受け止めてくれました。こういう非日常的世界での気づきは自分の日々を見直すきっかけになります。人生が弾んでくるかも。 機会があればまたやりましょう。
「あ、私の所でもやってみたい」と思われた方は高崎までメールください。takasaki@pukapuka.or.jp
30日、宮崎県の串間で『Secret of Pukapuka』の上映、1時間ほどの演劇ワークショップ、なのはな村の藤崎さんとの対談、討論会を行います。


『Secret of Pukapuka』の予告編
主催する石山さんは以前こうちゃんといっしょにぷかぷかに見学に来ました。
こうちゃんはこんな絵を描きます。

演劇ワークショップはわずか1時間ほどなのでたいしたことはできないのですが、それでも今までにない新しい出会い(自分自身との出会いも含めて)があると思います。なのはな村の藤崎さんとは30年ぶりくらいに会うので、いろんなおもしろい話ができるのではないかと楽しみにしています。
時間があれば昔子ども連れでいった鶏小屋と畑を見たいと思っています。



そうそう、もうすぐ完成するぷかぷかの映画の予告編の上映もします。
宮崎にお住まいの方、ぜひお越しください。
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。