ぷかぷか日記

彼らといっしょに生きる理由、いっしょに生きる意味を語っている

 演劇ワークショップ、今年も中止にします。コロナ禍にあっては、みんなで思いっきり歌が歌えません。みんなでべちゃくちゃと芝居作りの話し合いができません。なので、去年に引き続き、今年もやめることにしました。

 とても残念に思っています。

 演劇ワークショップはみんなで芝居を作ります。演出家が書いた台本を元に芝居をするのではなく、みんなであーだこーだ言いながら芝居をつくっていきます。ぷかぷかさんたち、つまりは障がいのある人たちといっしょに新しいものを創り出すクリエイティブな関係にあるのです。

 彼らがいるからこそできるものが、ここから生まれます。彼らといっしょに生きると何が生まれるかが具体的に見えてきます。それはいっしょに生きる理由を明確に語っています。あーだこーだ理屈っぽい話ではなく、誰にでもわかる芝居という形で、彼らといっしょに生きる理由、いっしょに生きる意味を語っているのです。

 

 演劇ワークショップをやっていると、障がいのある人に向かって「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」とごく自然に思えます。そう思える関係が自然にできるところが、演劇ワ−クショップという場の素晴らしいところです。ですから、でき上がった芝居にはそういった関係がいっぱい詰まっていて、見る人にもそれが伝わります。

 「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」というメッセ−ジです。

 

 津久井やまゆり園事件で「障害者はいない方がいい」というメッセージが拡散されました。「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」と思える関係と真逆の関係です。にもかかわらず、事件のメッセ−ジに共感する人がたくさんいました。社会の実情が見えた思いがしました。

 「それは違う」とはっきり言っていかないと社会がだめになると思いました。「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」と、今まで以上に言っていく必要があると思いました。

 それまで以上に演劇ワークショップには力が入りました。助成金申請書にも思いを目一杯込め、事件以降、100万円の満額回答を3年連続で勝ち取りました。

 にもかかわらず、それを諦めざるを得ない状況に追い込まれました。本当に悲しいです。

 来年になれば、新型コロナウィルスの感染状況が収まっているのかどうか全くわかりません。人と人のおつきあいがふつうにできない、というのは大きな社会的な損失を生むのだと思います。

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好きだなぁ、この人たち

 何するわけでもなく、ただ一緒にひなたぼっこする時間が、もう抱きしめたいくらい愛おしい。北海道から来たウエムラさん、今日はそんなひなたぼっこをぷかぷかさんと一緒にしました。

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【今日、3人でひなたぼっこしたねー。楽しかったねー。】

 ぽつぽつとメンバーさんが帰路に着き始める時頃のアート屋わんど。机の一角で、アサノさんが日記を書いていました。「アサノさん、毎日日記書いてるんですか?」と私が尋ねると、答えの代わりに、「今日3人でひなたぼっこしたねー。楽しかったねー。またやろうねー」という言葉と、何ともいえない幸せそうな顔が返ってきました。昼食後の休憩時間に、わんどの前の階段付近でアサノさんとコブカタさんと一緒にひなたぼっこをしていたのですが、それを思い出して日記に書いてくれていたようです。

 私は、アサノさんの言葉を聞いて、もう一回ひなたぼっこをしたような気持ちになりながら、私も今日のひなたぼっこのことを日記に書こうと思ったのでした。

 特別何かをしたわけでもなく、特別何かについて語り合ったわけでもなく、ただ一緒に、ぼんやりとひなたぼっこをしただけでしたが、そんな何気ない時間にこそ、大切なことがいっぱい詰まっているような気がします。

 

【名前知らなくても、まずはみなさん「こんにちは!」】

 アサノさんとコブカタさんと一緒に、アート屋わんど前の階段付近で昼食後のひなたぼっこをしていたときのことでした。わんどに向かって左手の団地出入口から、3~4歳くらいの小さな女の子とお母さんが出てきました。女の子が、私たちの目の前を横切ってターッと駆けて行きます。ちょうどそのとき、おかし工房にじいろの厨房から、黄色いエプロンを付けた男の子がチョロッと顔を覗かせて、「こんにちは!」と女の子に向かって親しげに手を挙げました。私は、その様子を見て、女の子とお母さんはぷかぷかの常連さん親子なのかなぁと思ったのですが、次の瞬間、黄色いエプロンの男の子の口から出てきた言葉に思わず笑ってしまいました。

「・・・あ、誰?誰だっけ!?」。「誰だっけ?」と首を傾げながら、男の子はまた「こんにちは!」を繰り返しています。私と一緒にひなたぼっこをしていたアサノさんも、「こんにちはー! 名前はー?」と言いながら、女の子とお母さんのほうへ駆け寄っていきます。

 女の子とお母さんが買い物を終えて帰る時には、アサノさんと黄色いエプロンの男の子は、「○○ちゃん、ばいばい。また来てねー」と、団地の出入り口までお見送りしていました。

 見知らぬ人と人とのあいだにある壁をひょいと飛び越えてしまう2人を見ていて、「好きだなぁ、この人たち」と思ってしまう人は、きっとたくさんいるんじゃないかなぁと思います。

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 日々おつきあいしてると、つい忘れてしまっている大切な時間を思い出させてくれました。ウエムラさん、ありがとう。

 晴れた日にはぷかぷかさんと一緒にひなたぼっこしよう。まったりした時間の中で、ひょっとしたら忘れていた大切なものを思い出すかも。いや、思い出さなくてもいい。おひさまのあたたかさの中で、何もかも忘れよう。ああ、いい気持ちって思うだけでいい。そばにはぷかぷかさん。幸せなひととき。

 

 知らない人との間にある垣根から全く自由なぷかぷかさん。どうして私たちにはあの自由さがないんだろう。あの自由さがあれば、世界はもっと平和になる気がする。

 

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うんとこしょー、どっこいしょ

 ぷかぷかでは「みんなでいい一日を作る」を目標にしています。北海道から来たウエムラさん、昨日はでんぱたのぷかぷかさんといっしょにいい一日を作ったようでした。

 

 でんぱたから畑に移動後、みんなで長靴に履き替えて作業準備。私は、トチモトさんと一緒に草抜きをすることになりました(魚住さんは、トチモトさんと私に石拾いをしてもらうつもりだったみたいだったけど、トチモトさんが草抜きモードに入っていたので草抜きに変更)。私たちが草抜きをする近くで、オオシマさんは石拾いをすることに。

 場所をときどき変えながらしばらく一緒に草取りをしたあと、トチモトさん、仮設トイレが気になり始めたみたいです。トイレの近くに移動して、草を抜いてる?と思いきや、トイレ後ろのホースをいじったり、ドアとパタパタしたり、水流しレバーを下げてみたり、トイレ遊びが始まりました。私はそれを見ながら、「このホース、もとに戻さなきゃ」とか「あっち草いっぱい生えてるから、あっち行きましょう」とか、“正論”を言ってトイレから気を逸らそうとしましたが、見事に失敗して、「いいから、(あんたは)あっち(行ってて)!」と煙たがられる始末です(笑)。

 トチモトさん、トイレから離れた次には、電動草刈り機のほうに吸い寄せられて、そこで草抜きを始めてしまいましたが、魚住さんが、「そこあんまり生えてないからいいよ。あっちたくさん生えてますよ。あそこでやりましょう」と、畑の真ん中あたりの木の下に誘導してくれました。たしかに背の高い草がいっぱい生えています。トチモトさんも、ボウボウの草を見てやる気になったのか、また真剣に草抜き開始。

 しばらくして、すごく抜けにくい草の束に当たってしまったのか、トチモトさんが「うーん、うーん」と顔を少し歪めて唸り始めました。私はもう少し引っ張ったら抜けるかな?と思い、そのまま横で草を抜きながら「抜けないねぇ。もうちょっと、がんばれー」とか言いながら様子を見ていたのですが、いつまでたっても抜けません。見るに見かねて、(一気に引っ張ろうとし過ぎて抜けないのかなと思ったので)2つに分けて引っ張ってみたらどうですか?とか、ここはあとにして別の草抜きますか?とか声を掛けるものの、トチモトさんの耳には入りません。

 仕方ないのでもう少し横で見ていると、トチモトさんが草をひっぱりながら、小さな声で、

「うんとこしょー、どっこいしょ」

と言い始めました。私も草をむしりながら、トチモトさんに合わせて

「うんとこしょー、どっこいしょー」

と言ってみます。トチモトさん、もう一回引っ張って、今度は

「うんとこしょー、おじいさん」

 まるで絵本の『おおきなかぶ』みたいです。なんだか楽しい気分になってきた私は、ためしに、

「うーん、まだまだ抜けない。おじいさんの次は?」

と投げ掛けてみました。するとトチモトさん、

「おばあさん」

と返してきます。

 

わたし:おばあさんもやって来ました。もう一度みんなで…。うんとこしょー、どっこいしょ。

トチモトさん:うんとこしょー、どっこいしょ。

わたし:はぁ、まだまだ抜けません。おばあさんの次は誰が来ますか?

トチモトさん:まご!

わたし:はい、まごも来ました。

 

そう言う合間も、ヌノモトさんはウンウン唸りながら引っ張っています。

 

わたし:でもまだまだ抜けません。まごの次は誰が来ますか?

トチモトさん:ねこ!(絵本では、ここで犬が来ますね)

わたし:おお、ねこもやって来ました! もうそろそろ抜けるかなぁ…

 

 「うんとこしょ」のやりとりはここで終わって、結局、上から引っ張っても引っ張っても抜けなかった草は、根っこからグッと掘り起こして抜きました。

 この「うんとこしょ、どっこいしょ」のやりとりは、トチモトさんは、もうすでに覚えていないかもしれません。草を抜くのに一生懸命だった彼にとっては、何のことはない言葉のやりとりだったのでしょうが、私にとっては、とっても嬉しくて楽しい言葉のキャッチボールでした。おひさまの下でぽかぽかとあたためられる背中と同じように、私の心もぽかぽかじんわりあたたかくなりました。

 「あっち行ってて」と言われて内心しょんぼりしたり(笑)、一緒に「うんとこしょー、どっこいしょ」をやって嬉しくなったり、今日はたくさん揺さぶられた1日でした。

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 こんなに楽しい草刈りがあったのですね。ぷかぷかさんのおかげです。スタッフだけでやっていたら、こんなに楽しい草刈りにはなりません。ぷかぷかさんと一緒だったからこそ生まれた楽しさです。働くことが楽しくなります。ぷかぷかさんに感謝!

  「いっしょに生きていく」って、こういう日々を積み重ねていくことだと思います。「うんとこしょー、どっこいしょ」って、一緒に声を出したり笑ったりしながら…

その混沌とした音楽が、なんだか愉快でたまらない

昔、取材に来た若い新聞記者が、帰りの会に参加し、司会の進行そっちのけでいろんなことが起こっている帰りの会を見ながら

「これはカオスですね」

といったことがあります。帰りの会をとてもよく表した表現だと思いました。カオス、つまり無秩序で混沌とした状態でありながらも、でも、帰りの会はなんとなくまとまってちゃんと終わっていた(今はコロナで全員が集まる帰りの会はやっていない)ので、ま、不思議といえば不思議。そこがぷかぷからしいというのか、カオスは当たり前というのか、これこそがぷかぷかというのか、なんとも表現がむつかしい。でも、だからこそ、帰りの会はなんともいえず楽しかった。

 

 北海道から来ているウエムラさん、昼間っからそのカオス状態を見つけたようでした。

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 バラバラで混沌としているようで、それが「わんど」のメロディなのかな?

 今日の「わんど」での昼下がりのこと。

 いつも魚住さんが座っている席のあたりにいるセノーさんが、クククッと楽しそうに笑いながら(いたずらっ子みたい…)、またゲオに電話を掛けている。

 

セノーさん:『~~(映画の名前)~~』は、洋画ですか? 邦画ですか?
店員さん:それはー、洋画ですかね。

 

というやりとりを何回も繰り返す2人。ときどきセノーさんは、「いや、それは邦画アニメですよね」とか、なんとかですよね、と店員さんに異議を申し立てている(笑)。

セノーさんと店員さんのやりとりにクスクス笑う私の横では、テラちゃんが頭を机について、グーグーといびきをかきながらお昼寝中。

そして私の左後ろでは、赤いパーカーを着た男の子が、パチパチ手を叩きながら何やら体操中(片足上げて、足の下で手をパチッと合わせる体操みたいなのをしていた)。

セノーさんとゲオの店員さんの会話を彩るように、一定のリズムを刻むパチパチという手の音と、テラちゃんのいびきの音。昼下がりのわんどで生まれるそれぞれの音は、まったくバラバラな音のようで、ちぐはぐなメロディを奏でる一つの楽曲のようにも聞こえたのだった。その混沌とした音楽が、なんだか愉快でたまらない。

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 そう、この混沌とした状態だからこそ、そこから新しいものが生まれるのだと思います。世界が生まれる前、混沌が満ちていたように。

 混沌をなくし、ぷかぷかが秩序ある正しい集団になったりしたら、なんだか気色悪いし、居心地が悪くなります。このごちゃっとした、なんだかよくわからない雰囲気こそ、私はほっとします。

 「その混沌とした音楽が、なんだか愉快でたまらない」と語ったウエムラさん、いい感覚してるな、と思いました。

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なぜか心が満たされていくような感じが…

『ぷかぷかな物語』を読んで、なんと北海道から見学に来た方がいます。北大大学院で環境社会学、地域社会学を勉強しているウエムラさんです。昨日来て、一週間くらい滞在の予定です。

 

 昨日の気づき

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 ふと、窓越しに外を見ると、女の子2人と男の子1人の3人組が集まって、なにやら楽しそうに立ち話をしている。その「学校帰り」ならぬ、「ぷかぷか帰り」のおしゃべりの様子に、頬がふふっと緩んでしまった。「何話してるのー?」と輪の中に入っていきたいような、いや、やっぱり、外から眺めたまま、その風景を味わっていたいような。3人の周りからふわっとあたたかい空気が流れていて、そのただのおしゃべりの様子を見ているだけで、なぜか心が満たされていくような感じがしたのだった。

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 仕事が終わって、帰り道、ぷかぷかさんたちがお喋りしている。いつものことなので、私なんかはそのまま通り過ぎてしまうのですが、ウエムラさんにとっては、すごく新鮮な風景だったようです。

 ぷかぷかさんがそこにいること。お喋りしていること。たったそれだけのことなのに、

 

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 3人の周りからふわっとあたたかい空気が流れていて、そのただのおしゃべりの様子を見ているだけで、なぜか心が満たされていくような感じがしたのだった。

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と書くウエムラさん。

 きっと、私がこの手紙を見つけた時の、心がキュンとなってしまった時のような、そんな気持ちだったのではないかと思いました。 

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 彼らがいる、というのは、詰まるところこういうことではないかと思うのです。それをもっともっと言葉化したいと思うのです。感じたことを言葉として残しておく。やまゆり園事件が起きるような社会にあって、それはとても大事なことだと思うのです。優生思想云々の大きな話、小難しい話ではなく、ただ彼らのそばにいて、「心が満たされていくような感じがした」こと、「心がキュンとなった」ことなどを、とにかく書き留めておく。そういったことが日々積み重なると、物語が生まれます。心あたたまる物語です。その物語は、お互いがもっと心地よく暮らせる社会を作っていきます。

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ぼくはおしことにかんぱています。

こんなお手紙書いた人がいました。

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 心がキュンとなって、幸せな気持ちになります。こういう手紙を書く人は社会の宝だと思います。だからこそ、いっしょに生きていきたいと思うのです。

 こういう人が世界の中心にいたら、人を傷つける争いなんかはなくなるんだろうと思います。誰かをやっつけるとか、やり返す、といったこともなくなります。

 

 津久井やまゆり園事件に関し、たとえば「現代思想2016年10月号 緊急特集=相模原障害者殺傷事件」にあった

 

【「当事者」からの視点】
事件の後で / 熊谷晋一郎
相模原障害者虐殺事件を生み出した社会 その根底的な変革を / 尾上浩二
相模原市障害者殺傷事件から見えてくるもの / 中尾悦子
相模原市で起きた入所施設での大量虐殺事件に関して / 白石清春
「言葉に詰まる自分」と向き合うための初めの一歩として / 星加良司

 

といった小難しい言葉よりも

「ぼくはおしことにかんぱています。」

の手紙の方が、はるかに人の心に届きます。「障害者はいない方がいい」のではなく、こういう手紙を書く人たちとはいっしょに生きていった方がいい、と素直に思えるのです。

 

  昨年7月に、たまたまNHKが取材した近所のお年寄りの方は、ぷかぷかの大ファンで、ぷかぷかさんに会えないと寂しくて寂しくてしかたがない、ぷかぷかに来ることは自分の生活の一部です、とおっしゃっていました。

 「ぼくはおしことにかんぱています。」といった感じのぷかぷかさんの日々のメッセージが近所のお年寄りの方に届いていたのだと思います。これが、社会を変える、ということです。ぷかぷかさんたちが、お互い気持ちよく生きていける社会を作っているのです。

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「ぷかぷかしんぶん」の持つ手作りのあたたかさはSNSでは絶対に表現できないもの

 2010年4月より月一回発行してきた「ぷかぷかしんぶん」がなんと11年目に入ります。A5版6ページの手書きの小さなしんぶんです。小さなしんぶんですが、街を耕すという大きな仕事をしてくれました。

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 ぷかぷかしんぶんは「ぷかぷか」ができてすぐに、ここではどういう人たちが何をしているのかを地域の人たちに伝えるためにはじめました。ぷかぷかを始めた当初、「声がうるさい」と苦情の電話がかかってきたり、同じところを行ったり来たりすると目障りだとか、いろんな苦情が来たこともあって、情報を発信していかないとまずいなという気がしていました。どうして彼らと一緒に働いているのか、といったこちらの思いを伝えたいと思いました。

 「障がいのある人たちの社会的生きにくさを少しでも解消する」ということを法人設立の目的にしていたのですが、障がいのある人たちを排除する社会とたたかう、とかではなく、やわらかい話でその社会的生きにくさを解消したいと思っていました。それを表現したのがぷかぷかしんぶんです。なるべく心あたたまるような話を心がけ、彼らといっしょに生きていった方がいいよ、というぷかぷかの理念を伝えたいと思っていました。

 幸い読んでくれる人が徐々に増え、「お店には行ってないけど、しんぶんは楽しみにしていますよ」と、しんぶん配っている時に話しかけられたり、「あたたかな話に感動しました」と電話がかかってきたり、どこを曲がっても同じ風景に見える団地の中で、はじめの頃は時々迷子になる人がいて「ぷかぷかさんが迷子になってますよ、見ててあげるから迎えに来て下さい」と電話がかかってきたりしました。地域の人たちはぷかぷかさんたちのこと、ちゃんと見ててくれてたんだ、と思いましたね。ぷかぷかさんたちがこの街を歩くことで、街が変わってきたのだと思いました。

 「ぷかぷかしんぶんは」単なる情報発信ではなく、地域社会をやわらかく耕してくれる存在でした。

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 10年前に比べ、SNSによる発信は格段に進歩しました。そんな中にあっても、「ぷかぷかしんぶん」の持つ手作りのあたたかさはSNSでは絶対に表現できないものです。そのあたたかさはぷかぷかさんのあたたかさでもあります。地域を耕す上で一番チカラを発揮してくれたのはこのあたたかさです。それをこれからも大事にしていきたいと思っています。

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一矢さんを支えるつもりが、なんだか一矢さんに支えられてるみたいです。

一矢さん、陶芸の日。前回に引き続き、今日も植木鉢を作りました。お父さん、お母さんが見ていたせいか、今日はとてもいい顔してやっていました。

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この集中力

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 ダイナミックな植木鉢を介護の大坪さんと一緒に作りました。

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 この植木鉢を持って、苦情をよこした家にあいさつに行きます。いよいよ「友達大作戦」開始です。さてどうなりますか、乞うご期待、というところですが、実際、どういう展開になるか全くわかりません。

 

 その時に手渡す「かずやしんぶん」製作中です。

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 これを見て、そうか、一矢さんてこういう人だったのか、って心和ませてくれたら、と思っていますが、そううまくいきますかどうか。「ケ!」とかいってゴミ箱に捨てられる可能性だってあります。むしろそっちの可能性の方が大きい気がします。その時こそが勝負だと思っています。

 

 地域社会で自立生活をおくっていく中で、こういった困難には必ず直面します。だからこそ、一矢さんと一緒にみんなで地域社会を耕していきたいと思うのです。たくさんの人たちの応援が必要です。ですから「かずやしんぶん」の発行元は「かずやさんとその仲間たち」なんて名前にしようかなと考えています。「かずやしんぶん」の発行(月刊もしくは隔月刊の予定)には印刷代などのお金もかかります。地域に配布するので300〜500部くらい考えています。なので、会費もいただいて10年くらいはしっかり続けたいなと思っています。かずやさんと一緒に楽しいお茶会や食事会をやりましょう。テレビで放映された映像を借りて、自立生活を考える上映会もやりたいですね。かずやさんと一緒に月一回くらいの定期的な地域清掃も考えています。みんなでホウキ持って集まり、道路や公園を掃除するのです。とにかくかずやさんと一緒にやる、というところがミソです。地域の人たちはわいわい人が集まって何を始めるのかって見ています。定期的に掃除をやっていれば、道路も公園も綺麗になります。それを見て、そのうち「私も手伝いますよ」っていう人も多分出てきます。そうやって時間をかけて地域社会をかずやさんと一緒に耕していくのです。

 仲間たちでいろいろおもしろい企画を立てましょう。これからどんな風に展開するのか、すごく楽しみです。一矢さんを支えるつもりが、なんだか一矢さんに支えられてるみたいです。

 

これから展開する友達大作戦はこちら

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

自分たちで居場所を作る

 ぷかぷかはほぼ定員が埋まっていて、新しい人を受け入れることはなかなかむつかしい状況です。そんな中で、じゃあ自分たちでぷかぷかみたいな居心地のいいところを自分の街に作ろう、と動き出した人たちがいます。

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ぷかぷかさんと出会い、一緒に過ごすとなんだかホッとできる。それはぷかぷかさんがありのままに生きているから。だから私たちはぷかぷかに行きたくなる。
そんなぷかぷかみたいな場所があちこちにできたらどんなにステキなんだろう✨
それがぷかぷか作り隊の未来図です。
そのぷかぷか作り隊が公開ミーティングをします。
あーでもないこーでもない、でもこうだったらどうなのよ。そんなたわいもない話から私たちはゆっくりですが一歩一歩歩んでいます。まだまだ歩き出したばかりのひよっこですが、発信することで、たくさんの人と繋がり、私たち自身が学んでいきたいと思っています。
ぷかぷかさんと出会った人もまだ出会っていない人も
ぷかぷか作り隊になったつもりで、参加してみてください!

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 そしていよいよイベントです。

note.com    

 

 北九州でぷかぷかの映画を上映した時も、「いい映画だね」「いいところだね」で終わらず、「だったら北九州にもぷかぷかみたいなところを作ろうよ」と言い出した人がいて、「そうだそうだ」と手を上げる人が何人もいて、実際に動き始め、NHKが取材に行ったこともあります。

   こういうのは、やっぱり自分のところにも居心地のいいところを作ろう、と自ら動き出すのが一番。もちろんやっていく中でいろいろ大変なことはあります。でもその大変なことこそ自分を磨き、成長させます。

 自分で動き出すと、今まで見えなかったことも見えてきます。今までおつきあいのなかった人たちとの素敵な出会いもあります。自分の世界が大きく広がります。

 その時々のいろんな気づきをブログに書いて発信しましょう。書くことで自分の考えていること、気づいたことが整理できます。新しい方向性が見えてきます。更に前に進むことができます。ぷかぷかはブログを書くことで前に進んできました。

 発信することで、新しい出会いが生まれます。Facebookにリンクさせれば、たくさんの人が見てくれます。共感する人が出てきます。九州や北海道からも反応があります。

 おつきあいの幅がグ〜ンと広がって、人生が楽しくなります。ぷかぷかみたいな居心地のいいところを自分の住んでる街にも作ろう、と動き始めたら、人生が楽しくなるのです。

 これはもう動き出さなきゃソン!です。絶対に。

 

 既存の施設に頼るのではなく、自分たちで理想とする場所を作るのです。ぜひ「ぷかぷか作り隊」のFacebook覗いてみて下さい。きっとヒントが得られます。ぷかぷかも相談に乗りますよ。連絡下さい。

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一人一人の個性が大切にされない同調化社会をぷかぷかさん達が救っている

岩倉政城さんのFacebookにこんな話がありました。
 
口のにおい消しのために人生を棒に振る
在職中、口臭外来を立ち上げた。成分分析機器のガスクロマトグラフィが扱えたから。みるみる外来の4割が口臭患者で埋まった。来る人来る人、口の中の気体成分を測りつづけた。記録計の針の動きを一緒にのぞき込みながら「悪臭ピーク出ませんよ」と告げると、患者は小躍りして帰って行った。
ところが、その患者の一部が戻って来たのです。 「やっぱ、あるんです。バスに乗ったらみんなこっち向いて鼻に手やるんです」。「絶対にあります。店番してたら客がドア開けた途端鼻おさえて帰ってしまいました」。
それでは、と、口のガスを測ってみる。「・・でませんね」。「でませんか。・・・先生のところに来ると安心で口臭が出ないんですかねぇ・・・」。
持参のバッグの中を見せてもらうと口臭抑制グッズが何種類も出てきた。
口臭患者の多くは鏡のような口で、一日の2時間を歯みがきにかける人も。
診断を“幻臭症”とすることは容易。だが、自分がどう生きるかより、“人様”からどう観られているかにばかり気が取られ、自分を生きることをやめ、仕事をやめ、あるいはひきこもる。
自己を主張せず、忖度に沈み、同調化社会がもたらす過度の緊張を生きている。
治療では同じ悩みを持つ人同士が集まるピアカウンセリングなどで対応はしてきた。
でも、一人一人の個性が大切にされない社会が口臭患者を生みだしていることを忘れてはならない。

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 障がいのある人たちが社会に合わせることを強いられている問題と同じだと思いました。「障がいのある人たちは社会に合わせないとやっていけない」と言われ、親子で大変な努力を強いられています。自分がどう生きるかより、社会が求めることを優先しているのです。
 そのことがおかしいと気づいたのはぷかぷかをはじめる時です。今まで何度も書いていますが、私自身「社会に合わせないとやっていけない」と思い、ぷかぷかをはじめる時、接客の仕方くらいは知っておこう、と講師を呼んで接客の講習会をぷかぷかさんとスタッフでやりました。
 「接客マニュアル」というのがあって、その通りにやればいいんですよといわれ、話を聞いた段階では、そうか、この通りにやればもう完璧!なんて思いました。ところが実際にぷかぷかさんがやってみると、なんだか気色悪いのです。がんばってがんばって接客マニュアルに合わせようとすればするほど痛々しいというか、もう見てられない気がしました。
 接客マニュアルに合わせる、というのは自分を押し殺すことです。ぷかぷかは、養護学校の教員をやっている時、障がいのある子どもたちに惚れ込み、彼らといっしょに生きていきたいと思ってはじめました。その彼らが自分を押し殺す姿を見て、もう耐えられない気がしました。
 気色悪い!という直感で、ああ、これはもうやってられない、と接客マニュアルはやめ、彼らのそのままでやっていこうと決めました。
 結果どうなったか。
「何だ、このお店は接客の仕方も知らないのか」
とお客さんは帰ってしまうのではないかと心配しましたが、帰るどころか、
「ぷかぷかさんが好き!」
というファンが現れたのです。全く想定外の展開でした。
 彼らのそのままが一番魅力的であることを、お客さん自身が見抜いたのです。その後ファンが増え続け、そのファンの人たちがぷかぷかを支えてくれています。
 
 何かにつけ社会から排除されることの多い障がいのある人たちです。でも、その彼らをファンの人たちは「ぷかぷかさんが好き!」と支えてくれているのです。
 障がいのある人たちは社会に合わせなきゃやっていけない、といってきた社会を、ぷかぷかさん達が、ほんの少しですが、変えたのです。これは大変な出来事だと思います。
 一人一人の個性が大切にされない同調化社会をぷかぷかさん達が救っているのです。彼らとおつきあいすることで、私たちが救われているのです。
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