ぷかぷか日記

「理解する」ことと、「差別や偏見が解消される」こととは、あまり結びついていない気がします。

「共同通信が全国の障害者を対象にアンケートを実施したところ、「大会が障害の理解につながる」との回答が62%に上った。選手の活躍や大会の盛り上がりによって障害への関心が高まり、差別や偏見が解消されるとの期待が大きい。」

と神奈川新聞にありましたが、なんか違うんじゃないかと思いました。

www.kanaloco.jp

 すごくわかりやすい例があったので紹介します。

 大和市で「車いすバスケット体験講座」というのがあったそうです。

「車いすバスケットボールの体験や選手の体験談を通じて、社会福祉への理解を深めるとともに関心を高めてもらおうと、毎年市内の公立小学校・中学校で実施しています。」と体験講座のサイトにあります。

  大和市福祉推進委員会の委員である校長は「子どもたちの目がキラキラしているので意味がある」とコメントしたそうですが、

 「娘が在学中も通学する学校でも実施されました。目の前にいる車いすの子どもには目を向けず、です。娘の車いすを押してくれる級友は増えたりすることはありませんでした。」とお父さんの平岡さんは書いています。

 つまり、車いすバスケットを、目をキラキラさせながら体験しても、その体験が、車いすの当事者と関係を作ることにつながっていないのです。たくさんの人がパラリンピックのテレビを目をキラキラさせながら見ても、多分車いすを押す人が増えたりはしません。当事者との関係を作るということにならないのであれば、「差別と偏見」の解消にはなりません。

 

 車いすバスケットは、体験すると、それ自体がおもしろいのだと思います。だから目をキラキラさせた。ただそれだけのことです。それを「社会福祉への理解を深める」ことと安易に結びつけたりするから、話が薄っぺらになるのだと思います。

 「娘の車いすを押してくれる級友は増えたりすることはありませんでした。」の言葉は、この手のイベントの本質を鋭く指摘していると思います。イベントの企画者、担当者は、どうしてこういう結果になるのか、謙虚に考えるべきだと思います。

 この手のイベントと、当事者と関係を持つことがなぜ結びつかないのか、結びつけるにはどういう仕掛けが必要なのかを、当事者、あるいは関係者の側からの提案も必要なのだと思います。批判するだけでなく、新しい仕掛けの提案こそ必要な気がします。

 

 そもそも「理解する」ことと、「差別や偏見が解消される」こととは、あまり結びついていない気がします。

 ぷかぷかにはたくさんのファンがいます。ファンの人たちにはこの「差別も偏見」もありません。ファンの人たちはぷかぷかさんのことを理解して「差別や偏見」をなくしたわけではありません。ぷかぷかのお店に来たり、ぷかぷかのFacebookや、ホームページを見て「ぷかぷかさんが好き!」とファンになっただけです。

 お店にもFacebookにもホームページにも、理解を求めるような言葉は一つもありません。あるのは「障がいのある人たちとはおつきあいした方がいいよ」「その方がトク!」という言葉と、なんとなく「そうだよね」って納得してしまうような「雰囲気」「空気感」です。

 

 区役所でぷかぷかのパンやお弁当の販売をするとき、こんな行列ができます。パンがおいしいことはもちろんあるのですが、スタッフだけで販売に行ったのでは、こんな行列はできません。やはりぷかぷかさんたちが販売しているから、こんなにお客さんが集まるのです。

 ここには「差別も偏見」もありません。あるのは「おいしいパンがほしい」「ぷかぷかさんに会いたい」の二つです。

 行列ができるような仕掛けをしたわけではありません。ぷかぷかさんたちにお店を任せていたら自然にこうなっただけです。ぷかぷかさんたちが区役所を耕した結果なのです。(詳しくは『ぷかぷかな物語』(現代書館)に書いていますので、ぜひ読んでみてください。)

 ぷかぷかさん自身が、彼らの魅力で「差別、偏見」をなくしているのです。それが上の写真です。

 これは何を物語っているのか、ということです。写真が問いかけているもの、それは社会が持っている「福祉」というものへの根源的な問いではないかと思います。「福祉」は「障害者を理解する」ことでよくなるのか、という問いです。

 

 

 

 

第6期演劇ワークショップが始まります。

 8月17日(土)から第6期演劇ワークショップが始まります。取り扱う題材は宮澤賢治の『ドングリと山猫』です。

 山猫からこんなはがきが来るところから物語は始まります。

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 もう字を見ただけで楽しくなるようなこんなはがき、どんな物語を引き起こすのでしょう。それはオペラと同じ、ひとときの夢の世界です。

 わくわくするようなひとときの夢の世界をぷかぷかさんたちと6ヶ月かけて作ります。来年1月26日(日)『表現の市場』の舞台で発表します。楽しみにしていてください。

 

 ぷかぷかは「ともに生きる社会を作ろう」も「共生社会を作ろう」もいいません。社会を作ろう、などと漠然とした話では、世の中、何も変わらないと思っているからです。

 それよりも目の前の障がいのある人(ぷかぷかさん)といっしょに何をするのか、何を作り出すのか、というところで実際に何かをやった方が、社会が確実に変わっていきます。何よりも楽しい!です。

 この「楽しい」というところが大事だと思います。演劇ワークショップが続けられるのは、この「楽しい」があるからです。ぷかぷかさんたちといっしょに芝居を作るのが楽しいのです。彼らに何かやってあげるとか、支援する、といった関係では、「楽しい」は出てきません。

 この「楽しい!」こそが、彼らといっしょに生きる一番の理由です。これがあるから、彼らとの関係が楽しいものを次々に作り出し、社会を豊かにします。

 

 彼らといっしょに作る芝居は、彼らとはいっしょに生きていった方がいい、彼らは社会にいた方がいい、彼らがいることで社会が豊かになる、ということを明確に伝えます。「ともに生きる社会」「共生社会」が何を創り出すのかも。

 相模原障害者殺傷事件の犯人が言った「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」といった言葉も、「それはちがう!」と彼らといっしょに作った芝居は明確に否定します。「障がいのある人たちはいた方がいい」「障がいのある人たちはまわりの人たちをほっこり幸せな気持ちにする」「社会を豊かにする」ということが、芝居を見るとすぐにわかります。

 何よりも事件を超える社会がどういうものであるか、芝居を見ると少しずつ見えてきます。

 

 ま、そんなこんなの思いを込めて第6期演劇ワークショップが始まります。何が生まれるか、楽しみにしていてください。来年1月26日(日)『表現の市場』で発表します。今から予定あけておいてください。見なきゃソン!ですよ。

 

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悲しめる方が、人生トクしたと思うから

 障がいのある人たちとおつきあいし、その人たちと出会う、という経験がなければ、障がいのある子どもを持つことは、ただただ大変なことにしか見えません。

 だから

「事件があったことは悲しいけど、でもよかったんじゃない?」(NHK「19のいのち」のサイトにある、事件で犠牲になった方のお母さんが寄せた手記)

などと、ついいってしまったのだと思います。障がいのある人たちとおつきあいのない多くの人は同じようなことを思ったのではないかと思います。

 そういういい方はおかしい、というより、そんな風に思ってしまうのは、人生のとても大事なものを見落としていて、もったいないなぁと思います。ソンしてる、というか…

 

 養護学校の教員になる前は、障がいのある人たちと全くおつきあいしたことがなかったので、多分同じように「でも、よかったんじゃない」って思ったと思います。

 でも初めて担任した子どもたちが、みんな手のかかる重度障害のある子どもたちで、毎日が本当に大変だったのですが、それでもいっしょに何かを作りながら、いっしょに笑ったり、完成したときは「やったね!」って手を合わせたり、一緒に水遊びをして大はしゃぎをしたり、そんな楽しい日々を過ごしているうちに、彼らのそばにいるとただそれだけで、妙にほっこりあたたかな気持ちになり、月並みですが、「人間ていいなぁ」って、彼らの横顔見ながらしみじみ思うようになりました。

 毎日毎日想定外のいろんなことやってくれて、すべてが初体験の私にとっては、本当に嵐のような日々だったのですが、仕事の合間にふっと感じる安らぎのようなものは、それまで生きてきた人生にはないものでした。

 何かができるできない、といった目で見たら、彼らは何もできない子どもたちでした。でも、人が生きていく上で何が大事か、ということを彼らは身をもって教えてくれたように思うのです。

 どんなに手のかかる子どもでも、その子がそこにいること、そのことに価値がある、ということを、彼らはてんやわんやの毎日の中で教えてくれたのです。教え方はちょっと乱暴でしたが、それ故に体にしみました。

 「どんなに手のかかる子どもでも、その子がそこにいること、そのことに価値がある」なんて、大学の哲学の講義に出てきそうですが、講義で聞くような話はすぐに忘れてしまいます。

 体にしみこんだものは、自分の生き方になります。「19のいのち」のサイトに投稿されたお母さんの手記を読んだとき、お母さんの悲しみが突き刺さるようにわかりました。子どもがいること、そのことにかけがえにない価値があったのですから。

www.nhk.or.jp

 お母さんの悲しみを自分の悲しみとして悲しむことができる、というのは、自分の人生の幅が広がったということであり、豊かになった、ということだと思います。

 「でも、よかったんじゃない」って思うより、私はいっしょに悲しむ方を選びます。悲しめる方が、人生トクしてると思うからです。

 

 「そうだ!」って、この人もご飯食べながらいってますよ、きっと。

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いろんな人と出会える場があれば

  養護学校の教員になって3年目頃(今から40年ほど前です)、「電車の中で障がいのある生徒が赤ちゃんの髪の毛を引っ張り、とても怖い思いをした」という投書が新聞に載り、それを巡っていろんな話をしました。

 

 「静かにするのよ、と毎日いって通学するより仕方がないのです」

 「私一人で買い物に行ったとき、友裕君は?って聞いてくれる関係に」

 「どうして電車の中でみんな黙っているんだい?」

 「だめよ、そんなことしたら、赤ちゃんいたいでしょ」

 「教師たちの反応はさっぱり」

 「お母さんたちの話を聞いて、心が耕されるみたいだった」

 

 昔書いた『街角のパフォーマンス』という本にそのときの記録を書いていますので(下の方にコピーを貼り付けました)、興味をある方はぜひ読んでみて下さい。ここに出てくる「遊ぼう会」の仲間が、生活クラブのお店の駐車場で開かれていた「青空市」に養護学校の生徒たちと手打ちうどんのお店を出したり、そのつながりで演劇ワークショップを始めたりしました。『街角のパフォーマンス』は絶版になっていますが、内容的には今の社会に十分通用する話、というか、未だにあそこに書いたことを社会は超えていないんじゃないかと思います。ですので、少部数プリントオンデマンドを注文してみようかと思っています。

 40年前の話なのに、その40年で社会はよくなったのか、というと、あの頃よりも社会はもっとばらばらになっているように思います。

 福祉の制度は充実してきたと思いますが、福祉事業所の職員が「障害者はいない方がいい」などといって19名もの重度障害のある人たちを殺す、という信じがたい事件が起き、それを様々な形で支える社会があります。

 NHK「19のいのち」のサイトにあった、犠牲になった方のお母さんが寄せた手記に

《 事件後、長年つきあいがあり兄のことも知っている近所の人に「事件があったことは悲しいけど、でもよかったんじゃない?」と言われたことが悔しくて…》

というのがありましたが、このなかにある

「でもよかったんじゃない?」

の言葉、いった本人は悪気はなかったと思うのですが、いわれた側はひどく傷つき、自覚のないまま、事件を支える側、障がいのある人たちを社会から排除する側に立ってしまっているのです。

 それを間違っている、と言葉で指摘しても、多分なかなか伝わりません。やはりどこかで障がいのある人たちといい出会いをすることだろうと思います。

 ぷかぷかは、まさにそういう場として始まり、たくさんの出会いを作ってきました。新聞に投書が載った頃を思えば、はるかに確かな形でまわりが変わりつつあります。

 ぷかぷかで働く障がいのある人たちが好き!というファンがたくさんできたり、自分の地域にもぷかぷかみたいな場所を作りたいという人が何人も現れたり、これは相模原障害者殺傷事件がおきるような社会にあって、大きな希望だろうと思います。

 

コピーした文字が小さくて読みにくいのですが…

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全然、不幸なんかじゃなかったのです。娘が私のもとにうまれてくれて本当に幸せでした。

  人には番号ではなく、名前があります。名前があるから、その人を思い浮かべることができます。逆に、名前がなければ、その人を思い浮かべることができません。

 津久井やまゆり園障害者殺傷事件では、殺された19名の方の名前が匿名で報道され、誰が亡くなったのか一切わかりません。

 誰かの死を悲しむ、というのは、その人の人生を思い浮かべることだと思います。人生を思い浮かべることができなければ、その人の死を悲しむこともできません。

 社会が、死に及んでなおも名前さえ言えないところまで障がいのある人たちを追い込んでいること、死を悲しむことも許さないこと、その残酷さに社会の側がどの程度気がついているのでしょう。

 

 NHKの「19のいのち」というサイトは、その問題に応えるサイトだったと思います。19人、一人一人のエピソードを匿名のままですが載せています。

 「19歳の女性」のエピソードにはサイトを開いた当初、こんなことが書いてありました。

 《 短期で施設を利用していたころから、かわいらしい笑顔で人気者でした。》

 施設関係者から寄せられた情報だったようですが、一人の人間が、わずか一行で語られていることがどうしようもなく悲しくなったことを覚えています。

 ほかの方も多少言葉は増えても、似たり寄ったりで、読むのが辛いほどでした。

 それは当時の取材状況をそのまま語っていたのだと思います。その後サイトは少しずつ充実し(最前線の記者ががんばったのだと思います)、何人かの家族の方が手記を寄せ、一名ですが、写真を載せている方もいます。施設の職員の方が寄せるエピソードもずいぶん充実してきました。

 最近は19歳の女性の母親が手記を寄せています。辛い思いで書いたのだと思います。読みながら涙がこぼれてしまいました。 

www.nhk.or.jp

 

 サイトにはこんな投稿もありました。

 

 名前が出せない中で、娘さんの姿を一生懸命描いたのだと思います。「娘は一生懸命生きていました」と。

 

 寄せられた家族の方の手記の中にこんな言葉があります。

《それでも一日も早く裁判が始まってほしいと願うのは、犯人がどうしてこういう事件を起こしたのか、なぜ息子が死ななければならなかったのかを知りたいからです。》

「なぜ息子が死ななければならなかったのか」。この問いは、犯人だけでなく、私たち自身が受け止めなければならない重い問いだと思います。

 

 家族の方に対し、近所の方がいわれたという言葉、

《事件後、長年つきあいがあり兄のことも知っている近所の人に「事件があったことは悲しいけど、でもよかったんじゃない?」と言われた》

「でもよかったんじゃない」は、とても残酷な言葉です。でも、多くの方がふっと思ってしまう言葉だと思います。どうしてこんな言葉が出てしまうのか、私たち自身が考えなくてはならない問題だろうと思います。

 

 家族の言葉は、障がいのある人たちはどんな風に社会の中で受け止められているのか、を鋭く突いています。その問いに私たちはどのように応えていくのか、「19のいのち」のサイト見ながら思いました。その問いを考えつづけることが、事件を超える社会を作っていくことにつながるのだと思います。

 

 こういった作業は、本来なら事件を起こした津久井やまゆり園がやるべきことだと思います。なぜ福祉の現場の職員がこのような事件を起こしたのか、という検証も含めて。

 津久井やまゆり園は、相変わらず事件については一切語りません。どうして語らないのか、ここにこそ事件の核心があるように思います。

 マスコミはここにこそ切り込んでいってほしいと思います。

彼らに任せた方が、社会はうまく回る。

 つるみに「ぷかぷか」を作っちゃおう、 のFacebook。初めてぷかぷかに来たときの印象をこんなふうに書いています。

 

 初めてぷかぷかにお邪魔したときはそれまで見た福祉事業所と大違いでびっくりしました。そこで働く人たちがみんなが生き生きと働き、やたら楽しそう!ごはん処に入ると「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは」と言われました。びっくりしながらも友人のおうちにお邪魔したような嬉しい気持ちになりました。席に着くとお料理を運びながらもいろいろ声をかけてくれます。スマホを貸してと言われ渡すとあっという間にFacebookでつながってくれたテラちゃん。テラちゃんには、たくさんのお友達を紹介してもらいました。テラちゃんと出会わなければ決してつながることのできなかった人たちとお友達になることができました。これはもう人生観がひっくり返るくらいの衝撃的な出来事でした。
障がいを持つ人たちとこんなに近い距離でお付き合いできる事業所を私は他には知りません。

 

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  普通だとこの間にスタッフが割り込み、障がいのある人たちとお客さんのおつきあいはなかなかむつかしいそうです。

 こんなにいい顔しておつきあいできる関係を、どうして自由にやらせないのかと思います。こんなすてきな、楽しい人たちがいっぱいいるのに、自由におつきあいさせない、なんてもったいない話です。

 

 私は養護学校の教員をやっているときに、彼らに惚れ込み、町の人たちにステキな彼らに出会ってほしいと思って、町の中に彼らの働くお店を開きました。

 たくさんの人たちが彼らに出会い、たくさんの人たちが彼らのファンになりました。

 「障害者はなんとなくいや」「近寄りたくない」「怖い」と思っている人たちの多い世の中で、彼らのことが好き!という人が現れた、というのは考えてみればすごいことです。「共生社会を作ろう」とか「ともに生きる社会を作ろう」なんてひとことも言ってないのに、彼らのファンがどんどんできたのです。ファンができたヒミツはどこにあったか。

 「接客を彼らに任せた」

 そこに、ファンができたヒミツがあります。ただそれだけで、彼らのことが好き!というファンがどんどん増えてきたのです。

 

 「敬語が使えない人は接客はだめ!」という福祉事業所があるそうです。ぷかぷかさんは敬語なんて使いません。敬語なんてよく知らない、という人もいます。でもちゃんとお客さんとおつきあいしています。お互い笑顔でお話しし、楽しい時間を過ごしています。

 彼らとの楽しい時間は、お客さんの心を開き、豊かな気持ちにさせます。障がいのある人たちが、社会を豊かにしているのです。

 「敬語が使えない人は接客はだめ!」という福祉事業所の「支援」は、お客さんとのこんなすてきな関係をつぶしてしまうのです。「支援」が、お客さんが豊かな気持ちになれる、すばらしいチャンスをつぶしているのです。もったいない話だと思います。

 

 彼らに任せた方が、社会はうまく回る。上の写真見ながらつくづく思います。

 「支援」をしない方が、社会はうまく回るなんて、なんとも皮肉な話です。

 

どういう表現になるかは、ぷかぷかさんに任すことにした

 つるみに「ぷかぷか」を作っちゃおう、の浅川さん、先日の上映会で自分のやろうとしているものの形が見えてきたそうです。

 演劇ワークショップの記録映画の中で、芝居作りがうまくいかなくで、進行役サイドで、あーでもないこーでもない、と話し合ってるところが、何か新しいものを生み出す予感がした、と書いていますが、その気づきがすばらしいですね。

 

 宮澤賢治の『ほら熊学校を卒業した三人』の原作は、相手をかじって食べてしまう、という結構残酷な場面がいくつかあります。そこのところをぷかぷかさんたちがどんな風に受け止めるのか、すごく心配しました。「こんな話、もういやだ!」って、投げ出してしまうかもしれません。どうしようか、ずいぶん悩みました。そこを全く外すことも考えたのですが、そうするとなんか間の抜けた別のお話になってしまいます。

 「いや、ぷかぷかさんがやれば、原作にある残酷な感じは、多分別の表現になるんじゃないですか」

とぷかぷかの若いスタッフがいいました。いろいろ揺れながらも、結局そこに賭けることにしました。原作のままぶっつけ、どういう表現になるかは、ぷかぷかさんに任すことにしたのです。

 5年間、いっしょに芝居作りをやってきたぷかぷかさんたちへの信頼です。多分私たちとは全く違うイメージで表現してくれる。そういう信頼です。

 「支援」などという上から目線の関係では絶対に出てこない、ぷかぷかさんたちへの信頼。この信頼があるから、彼らとの関係から新しいものが生まれます。

 そうやって作ったのが本番の舞台です。あちこちで笑い声も上がり、本当にあれは『ほら熊学校を卒業した三人ーぷかぷか版』でした。ここにしかない、オリジナルな舞台です。

 ぷかぷかさんと出会い、そこから生まれた、今までにない『ほら熊学校を卒業した三人』でした。「本当に新しいものは、人と人との出会いから生まれる」。宮原さんの言ったとおりのことが演劇ワークショップでは生まれてるのです。ぷかぷかさんの生み出すものを1,私たちが生み出すものを1とすると、1+1が5になるくらいの新しい価値を生み出しているのです。

 ぷかぷかさんたちがいることで、社会が豊かになっているのです。そのことを演劇ワークショップの舞台はしっかり見せてくれます。

 

 つるみの「ぷかぷか」でも、そういうものが生まれてくるといいなと思います。

ameblo.jp

つるみに「ぷかぷか」を作っちゃおう!

 つるみに「ぷかぷか」を作っちゃおう!という人たちが現れました。障がいのある人だけでなく、誰にとっても居心地のいい場所「ぷかぷか」を、つるみに作っちゃおう、というわけです。

 生きづらさを抱えている人が多いのだと思います。自分らしく生きたい、と思っている人が多いのだと思います。だから「ぷかぷか」のように、みんながホッとできるような居場所を作ろう、ということで動き出したようです。

 

 どんな風にして、そんな場所を作っていくのか。

 ぷかぷかは、「居心地のいい場所を作ろう」ということでスタートしたわけではありません。障がいのある人たちといっしょに生きていこう!って、それだけを考えてスタートしました。

 彼らといっしょに生きていこうって、それだけを考えてやってきたのですが、いつの間にか、来るとホッとするような、誰にとっても居心地のいい場所になっていました。

 どうしてそんな風になったのか。

 

 大きなきっかけは、接客の講習会を受けたときです。講師の人が言った「接客マニュアル」通りにぷかぷかさんがやると、なんだか気色悪かったのです。マニュアルに合わせようと一生懸命やればやるほど、気色悪い、というか、自分を押し殺す姿が痛々しかったのです。それで「接客マニュアル」に合わせるのはやめにしました。お客さんに不愉快な思いをさせない、という一点だけ守ってもらって、あとは自分の思うようにやってもらいました。

 接客マニュアルに合わせる、というのは、言い換えれば、社会に合わせる、ということです。障がいのある人は社会に合わせないとだめ、とかいわれますが、ぷかぷかは社会に合わせることをやめたのです。

 社会に合わせると気色悪い、そのままのあなたが一番魅力的!と、そのとき、しみじみ思いました。

 そのままの自分でいいので、ぷかぷかさんにとってはとても居心地のいい場所になりました。みんなが自由であるとき、お店の雰囲気、空気感が開放感にあふれたものになります。やってくるお客さんにとっても、ホッとできる居心地のいい場所になりました。

 

 つるみで「ぷかぷか」を作っちゃおう!というとき、ここが一番のポイントになると思います。そこに集まるぷかぷかさんたちがどれだけ自由に振る舞えるか、ということです。それと、何よりも私たち自身が、ぷかぷかさんたちといっしょに生きていった方がトク!と思うこと。間違っても「支援」などという上から目線の関係は作らないことです。

 その二つが合わさって、誰にとっても居心地のいい場所を作るのです。

 

 あちこちにこうやって「ぷかぷか」ができれば、社会はもっと居心地のいいものになりますね。

 あなたの町でも、ぜひ! ぷかぷかの映画抱えて応援に行きますよ。

 

 

 つるみで「ぷかぷか」を作っちゃおう!のFacebook

www.facebook.com

 

テラちゃんから突然プレゼントをもらってしまって、すごくキュンとしました。

 メッセンジャーで、上映会の感想が来ました。

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 わたし、テラちゃんから突然プレゼントをもらってしまって、すごくキュンとしました。 そういう、ぷかぷかさんたちにときめくポイントがたくさんある会だったと思います。

 ツジさんが突然歌ったりとか(笑)。 相模原関連のイベント(とは銘打っていなかったですが)のなかで、知的や精神障害のある方と実際に触れ合って、「ああ楽しいな」と思えるものって、ないですよね。(『道草』のような優れた映像作品にも同じくらいの力がありますが、やはり生のインパクトってすごいです)

 もちろん、事件にまつわる深刻な話、現状を省みることも絶対に必要なのですが、 「一緒にいると楽しいんだ」と実際に思わせるイベントのほうが、ポスト相模原時代を変えるうえでは「手っ取り早い」のでは!?と感じました。

 宮原さんが「クリエイティビティって、人と人が出会って、これまで見たことがないものを生むことでしょう」とおっしゃっていましたが、まさにぷかぷかさんの活動を言い表していたと思います。

 ぷかぷかさんのもつ自由な空間が、もっともっと広がっていったらいいですね。

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 相模原障害者殺傷事件を超える社会は、あーだこーだとむつかしい議論の先に生まれるのではなく、どこまでも障がいのある人たちといっしょに生きていく先にあるものだと思います。

 ですから先日の上映会もぷかぷかさんといっしょでした。ぷかぷかさんといっしょにいると、会場全体が、とても自由な雰囲気になります。私がマイクで「ここは自由にしていいです」なんていっても、ああいう雰囲気は生まれません。

 あの自由な、みんながのびのびした雰囲気がよかった、という感想がいくつもありましたが、ぷかぷかさんといっしょにいることの意味を実感すること、それが事件を超える社会を作っていくはじめの一歩になると思っています。

 むつかしい議論をいくら重ねても、あのやわらかい雰囲気は作れません。あのやわらかい雰囲気の中でこそ、「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」といった言葉は間違っている、と実感できます。その実感が、事件を超える社会を作り出すのだと思います。

 感想にある「手っ取り早い」というのではなく、ぷかぷかさんと出会うことで、人が変わり、社会が変わるのです。

 宮原さんもいってましたが、ぷかぷかさんとの出会いこそが、今までにない新しいものを生み出すのだと思います。ぷかぷかさんが生み出すものを1,私たちが生み出すものを1,ぷかぷかさんと私たちが出会うと1+1が5になるのです。

 

 「すごくキュンとしました」という感覚をみんなで共有していきたいと思っています。

 

 (テラちゃん!)

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この町にぷかぷかのパン屋があることが、この町の価値を何倍にも上げています。

先ほど上映会の感想をアップしましたが、その中にほかの感想とは全く違うものがありました。

 

 4年前に霧ヶ丘に引っ越してきました。毎朝、ぷかぷかのパンを食べています。娘は保育園でもぷかぷかのパンを食べています。この街にぷかぷかのパン屋があることが、この街の価値を何倍にも上げています。映画を見て、それをますます感じました。霧ヶ丘の街が、ぷかぷかが、ますます好きになりました。

 

 ぷかぷかが街の価値を何倍も上げている、という指摘、すばらしいですね。

 つい先日は、大阪大学の都市デザインをやっている先生が見学に来られました。都市計画をする段階で福祉事業所を入れ込んだ方がいい、と考えている先生でした。街に緩やかな流れがそこから生まれると考えているようでした。

 そういう緩やかな流れ、雰囲気を実際に街に作り出しているぷかぷかは、街の価値を何倍にもしている、という指摘を、この町に住んでいる人がした、ということが本当にうれしいです。

 

 引っ越してきて4年目なので、新鮮な目で霧ヶ丘の街を見ているのだと思います。おいしいパン屋がある、ということは簡単に見つかります。何度かパンを買いに来ているうちに、そのお店は妙に居心地がいいことに気がつきます。しかも毎日楽しい雰囲気。笑顔、笑い声がたくさんあって、お客さんも楽しくなります。元気になります。

 障がいのある人が働いていますが、社会に合わせるのではなく、その人らしさをそのまま出して働いています。彼らの自由な姿は、自由な雰囲気、空気感を作り出します。来る人をホッとした気分にします。

 そんなお店があることは、この街の価値そのものではないか、という気づき。

 そういったお店で見えてくる価値の何倍もの価値をぷかぷかは生み出していることが映画からは見えてきます。

 だから映画を見て、ますますそれを感じました、と書いています。

 

 そういうものは私たちがどうこうして作れるものではありません。やはりぷかぷかさんたちがこの街にいて、自由な、楽しい雰囲気で働いていること。それがこの街の価値を作り出しているのだと思います。

 障がいのある人がこの街で働いていることの意味を様々な形で語ってきましたが、結果的には、それが「この街の価値」になっていたのです。障がいのある人が働いていることが「街の価値」になっているなんて、これは今までにないすごいことだと思います。。

 その価値を私たちが大事にするとき、お互いがもっと生きやすい社会がそこから生まれるのだと思います。

 あらためて、彼らに感謝!です。

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