少し前の記事ですが、障がいのある人達のグループホーム建設の話があると、やっぱり反対する人が多いようですね。困ったものだと思いますが、でも、この現状から出発するしかありません。
人に対して「不愉快」だなんて、ずいぶん失礼な言い方だと思うのですが、人とおつきあいする上でのそんな最低限の礼儀すら、相手が障がいのある人だとどこかへ行ってしまうようです。障がいのある人への露骨な蔑視。
結局は障がいのある人達とのおつきあいがないところで生まれる蔑視ですが、こういう蔑視は、人の心を貧しくします。そういう人たちの集まる町はどうなっていくんだろう、と心配になります。
障がいのある人が街にいれば、いろんな想定外のことも起こります。うちの娘は精神を病んでいて、少し前まで、不安定になると夜中も大声を出し、隣の家から苦情が来ました。事情を話してとりあえずは収まったのですが、これは障がいがあったが故に、隣の家と新しい関係ができたとも言えます。
隣の家の人は、精神を病んだ人がどんな風になるかを学んだとも言えます。不愉快な思いをしたとは言え、貴重な学びの機会であったとも言えます。
そんな風に考えるならば、障がいのある人達が自分の町に住むことは、いろんなことの学びの機会になります。人間を豊かにする、とも言えます。結果的には社会が豊かになります。
「不愉快」等といって、障がいのある人達を排除することで、ほんとうに豊かな町ができあがるのかどうか、です。
ぷかぷかのまわりでは、「ぷかぷかさんが好き!」というファンの方がたくさんいます。障がいにある人達に対し「不愉快」などといって関係を断ってしまうのか、「好き!」といって、より関係を深めるのか、ですね。
どっちが豊かな町を生み出すのでしょう。
こんな人とは一緒に生きていった方が絶対トク!
まず感じたことは障がいをもつ人たちを支援する対象とした見方でなく、「共にはたらく・生きる」同志として地域を巻き込み(耕す)ながら一緒に活動し、そのほうが絶対楽しいということ。そして持続性があること。「多様性を認め合うインクルーシブ社会の実現を」とどこでも耳にしますが、今の社会の在り方は、教育、就労が障がいをもつ人たちとそうでない人たちとを分けた制度の上で成り立っています。
分離が進むほどその社会の規範に縛られて、障がいをもつ人たちがその多様性を認めてもらうどころか社会に合わせるために押し殺さなければならない、ますます支援、配慮の対象にされてしまう。
ぷかぷかさんのように障がいをありのまま楽しむ方法を作り上げれば、そこに生産性も生まれ、制度も使い倒し、地域も社会も豊かにしていくことを実現していけるのだなととても参考になりました。障がいをもった人たちと関わる仕事をされている方、学校教育関係の方にもぜひ読んでいただきたい一冊です。
何より、ぷかぷかさんたちがとても魅力的です。
だから、内容もおもしろくてあったかくてやさしい。
「好き」という思いで、まわりを巻き込んで、心を耕してやわらかくする。
その場も街も、ふかふかにしていく。
「あなたが好き」から出発した世界に人間の上下はない。
人を矯正していく支援はやはり無意識に「上下」があるのだと思う。
相手だけでなく、修正する側も自分自身が縛られていく。
自分を修正し、社会も修正しようとする。
それが今の息苦しさにつながっているのではないだろうか。
という訳で
先生や支援職にある人やサポートの組織を立ち上げる人には
ぜひ読んでほしいと思う。
他では得られない大きな気づきがあるはず。
最後の相模原障がい者施設殺傷事件への言及も必読です。
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もう読んでしまった方は、ぜひアマゾンのカスタマーレビューを。