ぷかぷか日記

「手も足もないナメクジが、どうしてすもうをとるんだ。それはおかしい」

 9月22日、第5期2回目の演劇ワークショップがありました。今期は宮澤賢治作『ほらクマ学校を卒業した三人』を取り上げるのですが、中身はわりとエグい話というか残酷な話なので(といっても、これは人間から見た感想であって、生き物にとっては相手を食べてしまうのは当たり前の話)、場合によっては、

「こんなのいや」

という人が出てくるかも知れません。それでも、すごく面白いところもあったり、ほらクマ先生のいう

「なんでもいいから一番になれ」

という教育方針は、今の社会が目指すものと重なるところがあって、そこをぷかぷかさんたちといっしょに

「それはちがう」

ということがうまく表現できないか、という思いがあります。

 

 まずはお話の概要を進行役のはなちゃんに話してもらいました。

 

赤い手の長いクモと、銀いろのナメクジと、顔を洗ったことのないタヌキが一緒にほらクマ学校に入りました。ほらクマ先生は校歌の中でこんなことを教えました。

 

♪ カメはのろまに 歩いて見せた ウサギだまされ昼寝した 

 早いはえらい 大きいはえらい 勝てばそれまで だまされたが悪い

 なんでもいいから 一番にな〜れ なんでもいいから 一番になれ 

 なんでもいいから 一番にな〜れ なんでもいいから 一番になれ

 

 三年たって三人は仲良くほらクマ学校を卒業しました。三人はうわべは大変仲よさそうにほらクマ先生を呼んで謝恩会をやったり、自分たちのお別れ会をやったりしていましたが、お互いにみな腹の中では

「へん、あいつらに何ができるもんか、これから誰が一番大きくえらくなるか見ていろ」

と、そのことばかり考えていました。

 さて会も済んで、三人は銘々うちに帰ってきて、いよいよ習ったことを自分でほんとうにやることになりました。

 

ちゃうどそのときはかたくりの花の咲くころで、たくさんのたくさんの眼の青い蜂の仲間が、日光のなかをぶんぶんぶんぶん飛び交ひながら、一つ一つの小さな桃いろの花にあいさつして蜜や香料をもらったり、そのお礼に金色をした円い花粉をほかの花のところへ運んでやったり、あるいは新らしい木の芽からいらなくなったロウを集めて六角形の巣を築いたりもういそがしくにぎやかな春の入口になっていました。

 

  クモは大きくなろうと、もう一生懸命であちこちに十も網をかけたり、夜も見張りをしたりしました。ところが困ったことに食物があんまりたまって、腐敗したのです。そして蜘 蛛の夫婦と子供にそれがうつりました。そこで四人は足のさきからだんだん腐れてべとべ とになり、ある日とうとう雨に流されてしまいました。

 

 ナメクジは訪ねてきたカタツムリたちに親切でしたが、相撲をやって投げ飛ばし、気を失ったカタツムリやトカゲたちを食べて、どんどん大きくなりました。カエルも相撲をとって食べるつもりでしたが、塩をまかれ、ナメクジはとけてしまいました。

 

 タヌキは自分のお寺へ帰っていましたが、腹が減って困っていました。訪ねてきたウサギに

「山猫大明神さまのおぼしめしじゃ、なまねこなまねこ」

と妖しいお経を上げながらウサギを食べてしまいます。続いてやってきたオオカミも食べてしまいます。 オオカミが持ってきた籾三升も飲み込んでしまいます。籾がお腹の中でどんどんふくらんで、25日めに狸はからだがゴム風船のようにふくらんでそれか らボローンと鳴って裂けてしまいました。

 

 

と、概要を話したあと、クモ、ナメクジ、タヌキのグループに分かれ、簡単なお話を作ってもらいました。グループに渡した台本は原作の一部分です。

 

 

クモの台本

 「ここはどこでござりまするな。」                    

と云いながらめくらのかげろうが杖をついてやって来 た。        

「ここは宿屋ですよ。」                         

と蜘蛛が云った。 かげろうはやれやれというように、巣へ腰をかけました。蜘蛛は走って出ました。そして                      

「さあ、お茶をおあがりなさい。」                    

と云いながらいきなりかげろうのおなかに噛みつきまし た。
かげろうはお茶をとろうとして出した手を空にあげて、バタバタもがきながら、       

「あわれやむすめ、父親が、旅で果てたと聞いたなら」          

と哀れな声で歌い出しました。                     

「えい。やかましい。じたばたするな。」                 

と蜘蛛が云いました。するとかげろうは手を合 せて           

「お慈悲でございます。遺言のあいだ、ほんのしばらくお待ちなされて下されませ。」                                

と ねがいました。
蜘蛛もすこし哀れになって              

「よし早くやれ。」                           

といってかげろうの足をつかんで待っていました。かげろうはほんとうにあわれな細い声ではじめから歌い直しました。

「あはれやむすめちゝおやが、旅ではてたと聞いたなら、
 ちさいあの手に白手甲、いとし巡礼の雨とかぜ。
 非道の蜘蛛の網ざしき、さはるまいぞや。よるまいぞ。」

 「小しゃくなことを。」                        

 と蜘蛛はただ一息に、かげろうを食い殺してしまいました。そし てしばらくそらを向いて、腹をこすってからちょっと眼をぱちぱちさせて、又糸をはきま した。

 

 

ナメクジの台本

 ある日雨蛙がやって参りました。

「なめくじさん。こんにちは。少し水を呑ませませんか。」

と云いました。 なめくじはこの雨蛙もペロリとやりたかったので、思い切っていい声で申しました。

「蛙さん。これはいらっしゃい。水なんかいくらでもあげますよ。ちかごろはひでりです けれどもなあに云わばあなたと私は兄弟。ハッハハ。」

蛙はどくどくどくどく水を呑んでからとぼけたような顔をしてしばらくなめくじを見て から云いました。

「なめくじさん。ひとつすもうをとりましょうか。」

なめくじはうまいと、よろこびました。自分が云おうと思っていたのを蛙の方が云ったのです。こんな弱ったやつならば五へん投げつければ大ていペロリとやれる。

「とりましょう。よっしょ。そら。ハッハハ。」

かえるはひどく投げつけられました。

「もう一ぺんやりましょう。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」

かえるは又投げつ けられました。するとかえるは大へんあわててふところから塩のふくろを出して云いまし た。

「土俵へ塩をまかなくちゃだめだ。そら。シュウ。」

塩が白くそこらへちらばった。 なめくじが云いました。

「かえるさん。こんどはきっと私なんかまけますね。あなたは強いんだもの。ハッハハ。 よっしょ。そら。ハッハハ。」

蛙はひどく投げつけられました。 そして手足をひろげて青じろい腹を空に向けて死んだようになってしまいました。銀色 のなめくじは、すぐペロリとやろうと、そっちへ進みましたがどうしたのか足がうごきま せん。見るともう足が半分とけています。

「あ、やられた。塩だ。畜生。」

蛙はそれを聞くと、かばんのような大きな口を一ぱいにあけて笑いました。そしてなめくじにおじぎをして云いました。

「いや、さよなら。なめくじさん。とんだことになりましたね。」

なめくじが泣きそうになって、

「蛙さん。さよ……。」

と云ったときもう舌がとけました。雨蛙はひどく笑いながら

「さよならと云いたかったのでしょう。本当にさよならさよなら。わたしもうちへ帰って からたくさん泣いてあげますから。」

と云いながら一目散に帰って行った。

 

 

タヌキの台本

狼が籾を三升さげて来て、どうかお説教をねがいますと云いました。 そこで狸は云いました。                        

「お前はものの命をとったことは、500や1000ではきくまいな。生きとし生けるものならば なにとて死にたいものがあろう。それをおまえは食ったのじゃ。早くざんげさっしゃれ。 でないとあとでえらい責苦にあうことじゃぞよ。おお恐ろしや。なまねこ。なまねこ。」                     

狼はすっかりおびえあがって、たずねました。             


「そんならどうしたらいいでしょう。」
                 

狸が云いました。                              

「わしは山ねこさまのお身代りじゃで、わしの云うとおりさっしゃれ。なまねこ、なまねこ…」
                          

「どうしたらようございましょう。」                  

「それはな。じっとしていさしゃれ。わしはお前のきばをぬくじゃ。このきばでいかほど ものの命をとったか。恐ろしいことじゃ。お前の目をつぶすじゃ。この目で何ほどのもの をにらみ殺したか、恐ろしいことじゃ。それから。なまねこ、なまねこ、なまねこ。お前 のみみをちょっとかじるじゃ。これは罰じゃ。なまねこ。なまねこ。こらえなされ。お前のあ たまをかじるじゃ。むにゃ、むにゃ。なまねこ。この世の中は堪忍が大事じゃ。なまねこなまねこ。 むにゃむにゃ。お前のあしをたべるじゃ。なかなかうまい。なまねこ。むにゃ。むにゃ。 おまえのせなかを食うじゃ。ここもうまい。むにゃむにゃむにゃ。」        

とうとう狼はみんな食われてしまいました。
そして狸のはらの中で云いました。

「ここはまっくらだ。ああ、ここに兎の骨がある。誰が殺したろう。殺したやつはあとで 狸に説教されながらかじられるだろうぜ。」          

 狸はやかましいやかましい蓋をしてやろう。と云いながら狼の持って来た籾を三升風呂敷のまま呑みました。

 ところが狸は次の日からどうもからだの工合がわるくなった。どういうわけか非常に腹 が痛くて、のどのところへちくちく刺さるものがある。 はじめは水を呑んだりしてごまかしていたけれども一日一日それが烈しくなってきてもう居ても立ってもいられなくなった。 とうとう狼をたべてから二十五日めに狸はからだがゴム風船のようにふくらんでそれか らボローンと鳴って裂けてしまった。

 

 

 この台本をそのままやるのではなく、グループごとに話し合い、この台本から見えてくる情景をまず絵に描いてもらいました。

 クモのグループにいたタカハシのおじさんは、台本を読んでも最初どういうお話かよくわからなかったのですが、ヨッシーが目の見えないカゲロウをやるといいだし、それがきっかけで絵が描き上がり、芝居ができました、とおっしゃっていました。 

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絵の発表

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芝居の発表

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 ナメクジグループでは、ショーへーさんが

「手も足もないナメクジが、どうしてすもうをとるんだ。それはおかしい」

と言い出したのがきっかけで、手も足もあるナメクジを描き始め、そこからイメージが広がっていったそうです。

 はじめは芝居をやる気があるのかないのかはっきりしなかったのに、いざ発表になると行司役をやったイクミさんは、練習にもなかったセリフ

「ひが〜し〜、なめくじやま〜、に〜し〜、かえるやま〜

なんていいだし、なんかすごいなぁ、とおっしゃってました。 

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みんなが絵を描いているそばで、こんな関係ができるところがぷかぷかのワークショップのいいところです。

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絵の発表

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芝居の発表

ひが〜し〜、なめくじやま〜

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はっけよ〜い

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のこった、のこった…

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塩をまかれて、ナメクジは足からとけてしまいました。

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 タヌキグループはテラちゃんがタヌキの絵を迷いなく一気に描き、それにあわせてハヤチャンがオオカミを描いたところから動きが始まりました。

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絵の発表

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芝居の発表

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食べられるオオカミのパーツ(きば、頭、背中など)に別れて表現したところがすばらしかったと思います。

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 今回、とりあえず芝居を作っていく手がかりがつかめました。これをどう広げていくかが、そこにぷかぷかのメッセージがどれだけ込められるか。最初にメッセージありき、ではつまらないので、ぷかぷかさんと一緒に作っていく中で、どこまでそういったものを見つけられるか、だと思います。

 10月には、クモにカゲロウが食べられるところをデフパペットシアターひとみの人たちに「浄瑠璃」でやってもらう予定です。

「あはれやむすめちゝおやが、旅ではてたと聞いたなら、
 ちさいあの手に白手甲、いとし巡礼の雨とかぜ。
 非道の蜘蛛の網ざしき、さはるまいぞや。よるまいぞ。」

また、青い目の蜂たちが飛び回るシーンをプロの振り付け師と一緒に作ろうと思っています。

 これからどんどん面白くなります。

障がいのある人たちは、私たちの心を軽くしてくれる人たち

 朝日新聞の今朝の天声人語。白髪についての話はすごく面白かったです。

 

 白髪を染めずにテレビに出演し、話題になっている女性がいる。フリーアナウンサーの近藤サトさん(50)。「若さが美しい」という考え方から自分を解放したいと思ったと先日の本紙で語っていた▼きっかけは東日本大震災だった。防災用品を用意しているとき、無意識に白髪染めも入れていた。「世の中が大変なときに、私は何をしているんだろう……人として空っぽだなぁとがっかりしたんです」。若く見せようとするのをやめ、楽になったという▼ロマンスグレーがかっこよさを求めるなら、グレーヘアで手に入るのは解放感や自由さか。こうでなければいけないという思いを脇に置けば、心はもっと軽くなるかもしれない。髪でも、ほかのことでも。

 

 

 ぷかぷかさんたちは、社会にあわせるのではなく、彼らのそのままの姿で働いています。「こうでなければならない」といった「規範」や「縛り」が一切ありません。そんな彼らが、ぷかぷかの自由な空気感を生み出しています。

 「ぷかぷかに来るとホッとする」

というお客さんが多いのは、その自由な空気感のせいだと思います。

 その空気感の中にいると、「こうでなければいけない」という思いを自然に脇におけるのだと思います。そうすると、自然に心はもっと軽くなります。

 昨日来たお客さんは、「お酒も音楽もないのになぜかお祭り気分」なんていってましたが、心が軽くなると、お祭り気分になる人もいるようです。

 

 障がいのある人たちは、私たちの心を軽くしてくれる人たち、というふうに見ることができれば、「障がいのある人はあれができない、これができない」といった思い込みから自由になれます。彼らとの関係が豊かになります。

 こういう関係を築いていくこと、それが共生社会だろうと思っています。

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 彼らの自由さに演劇ワークショップの中で気がついた人もいます。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 

「大好きなことを思いっきり表現する」 このことが、どんなに素敵なことか

 「共生社会」を目指そう、と最近よく言われるのですが、そこでの障がいのある人たちとの関係はどうなんだろう、という議論はあまり聞かれません。なんとなく障がいのある人たちと「共に生きる」というところで、なんとなくみんな賛同している感じですが、そこでもまだ障がいのある人たちに「何かやってあげる」ような関係があるとしたら、今の社会と「共生社会」はどう違うんだ、ということになります。

 どうも聞こえのいい言葉だけが先行し、その中身の吟味が十分になされていない気がします。

 「ともに生きる社会かながわ憲章」のサイトにもあまり掘り下げた議論が見当たりません。相模原障害者殺傷事件を受けて、あわてて作ったという感じです。「共生社会」ってどんな社会なのか、もっともっと議論が必要な気がします。

www.pref.kanagawa.jp

 

 演劇ワークショップや表現の市場では、あまり意識はしていませんが、あえて言うならその「共生社会」がすでに実現しているかも知れません。第二期演劇ワークショップに参加した方が、ぷかぷかさん達と一緒にワークショップをやる中で、彼らとの関係について、彼らの表現についてすばらしいことを書いています。「共生社会」を言うなら、こういう関係で生きる社会のことだと思います。

 

 

発表会、とても楽しく感動的な時間でした。

なんだかまだ頭がぼぉー・・・としています。

 

最初の辻さんの「ギンギラギンにさりげなく」で、いきなりやられました。

出番が多いので、さすがの辻さんもちょっと緊張してるかな?

なんて、始まる前は思ってたのですが、全くの杞憂でした・・・。

舞台の中央で、しょっぱなからあのテンションでのパフォーマンス!

度胆を抜かれました。

一瞬にして、会場がひとつになりましたね。

そして、ギンギラギンの威力は次の団体、そして次にもどんどん広がって

「表現の市場」の核になっていたように思います。

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思い返してみると、ワークショップの回を重ねるごとに

いろいろなことをこころとからだで学んできました。

班に分かれてそれぞれの「生きる」の詩を作ったとき、

その時は気づいていなかったけれど、出てきた詩に

意味づけをして、もっともらしくまとめたい、と思っている自分がいました。

ついでに告白しちゃうと、発表するんだし、

他の班も当然そんな感じだよね?くらいに思っていました。

 

なので、「電車にのりたい~!」とか「野球がしたい~!」とか

純粋な気持ちをそのまま発表している人たちを見て

内心「これでいいの?!」って思っていました。

そして、そう思いながら、高崎さんの方を見たら、ものすごーく楽しそうに

笑っておられて、「あれれ?これでいいんだー」と

複雑な心境になった回もありました。

 

「これをやりたい!」って思うと同時に

「でもそれって求められていること?」とか

「他の人が見たらどう思うかな・・・!?」とか

瞬間的に考えちゃってる自分に気づかされました。

 

花岡さんのセリフにもありましたが

「わたしってどれだけ自分で自分をしばりつけていたんだろう・・・」

ってワークショップ中に何度も思いました。

そして、そんな自分に対面しないといけないから

ワークショップは楽しいけど、苦痛な時もありました。

 

だけど、今日ぷかぷかさんと発表会の舞台に立って

確信することができました。

 

誰に遠慮することなく

「大好きなことを思いっきり表現する」

このことが、どんなに素敵なことで

周りの人を、そして世の中を元気に幸せに

するんだってことを!

 

横山さんたちとやった野球、楽しかったなぁ~。

天ぷらそばもおいしかったなぁ~。

そして今日も布団で寝られるって最高に幸せだ~~。

 

ぷかぷかのみんな、ありがとう。

そしてこうした機会をつくって下さった高崎さんやせつさん

お世話になった皆さま、本当にありがとうございました。

 

いい夢が見られそうです。

 

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 明日県の共生推進課の方がぷかぷかに見学に来ます。推進している「共生社会」に対して、どんなイメージを持っているのか聞いてみたいと思っています。

 共生推進課といえども、多分障がいのある人たちとそれほどおつきあいしているとは思えないので、人権研修会の提案をしてみようと思います。ぷかぷかさん達が講師で行きます。セノーさんは多分

「あ〜〜〜」

とか言いながら固まってしまいます。その固まったセノーさんと共生社会を生きるとはどういうことなのかを考えて欲しいと思います。聞こえのいい言葉ではなく、本音の言葉で話して欲しいと思います。

 そうだ、ワークショップに誘ってみよう!と、突然今思いつきました。ぷかぷかさん達の中でもまれ、たじろぎ、思うように言葉や表現が出てこない不自由な自分に気づく中で、「共生社会」ってなんだ、って考えて欲しいと思うのです。

 演劇ワークショップは、どこかでいつも必死になるところがあります。適当にやり過ごしているのでは、前に進めないことがたくさんあります。彼らの前に真剣になって立つ。必死になって立つ。そのことを共生社会推進課の人にぜひ経験して欲しいと思うのです。

 そうそう、忘れなければ、川崎市で普通学級で学びたいという障がいのある子どもの思いを邪魔した教育委員会のことも聞いてみようと思います。

「私、ちょうどこれでいい」

NHKの「19のいのち」のサイトに最首悟さんの投稿が載っています。

www.nhk.or.jp

 文中に《実際に意思疎通できず食事も排泄も自分でできなくなった時に、実は心の内は平穏な状態でのんびりと過ごしていて、「私、ちょうどこれでいいな」と思っているかもしれない。》という箇所がありましたが、「私、ちょうどこれでいいな」は星子さんのことを思いながらの言葉なんだろうなと思いました。

 意思疎通ができず、食事も排泄も自分でできなくなっても、「私、ちょうどこれでいい」。そうか、そう思う人がいるかも知れないんだ。そう思うと、なんかちょっと気持ちが楽になります。

 NHKスペシャルの中で、星子さんが寝そべったまま、左足の指で、右足のふくらはぎをコキコキ掻くシーンがありました。かゆいというよりも、いつもそうやって遊んでいる感じでした。ですから足の指の動きが実に手慣れている感じでした。食事も排泄も自分でできない人とは思えないよほど、器用に足の指を動かしていました。

 寝そべった姿勢で、ああいう器用なことは私には絶対にできないと思いました。星子さんて、ああいう器用なことをしながら楽しんでいることがいっぱいあるんじゃないかと思いました。

 「私、ちょうどこれでいい」、寝そべったまま、足をコキコキ器用に動かしている星子さんの姿は、まさにその言葉を語っているようでした。

 そして事件で殺された重い障がいを持った人たちは、みんな様々な形で「私、ちょうどこれでいい」って思ってたんじゃないかと思いました。そうやって平和に、おだやかに、いろんな楽しみをもちながら暮らしていたんじゃないか、と。

 

 あらためて犯人の植松は重い障がいのある人と全くおつきあいしてなかったのだと思いました。重い障がいのある人たちと人として出会うことがなかったのだと思います。だから重い障がいを持っている人たちの生きている世界、たとえば星子さんのような人が足をコキコキやって楽しんでいるような世界が想像できなかったのではないか。

 これは彼一人の問題ではなく、やまゆり園という職場が、障がいのある人たちとそういうおつきあいしかやってなかったのだろうと思います。

 

あまりケンカせずに、前向きのいい関係でいたい

 先日のブログでふれた神奈川県の共生社会推進課は12月8日に「共生社会実現フォーラム」という大きなイベントを企画していて、その中のパネルディスカッションに私とぷかぷかさん一人、それに舞台でのイベントにぷかぷかさん達が登場することになっています。そのことで県会議員15名がぷかぷかに見学に来ることになっています。更にその前に共生社会推進課の職員がぷかぷかを見学に来るそうです。

 で、先日のブログに書いたように、教育委員会のやり方は「ともに生きる社会かながわ憲章」に抵触するのではないか、という質問を神奈川県のホームページからする予定ですが、これはストレートに共生社会推進課に行くので、場合によっては、こんなやつは「共生社会実現フォーラム」からはずそう、という話になりかねません。

 個人的には外されてもかまわないのですが、ただ今回の質問は「ともに生きる社会かながわ憲章」を本気で実現するのかどうか、そのためにはどうしたらいいのかを具体的にさぐっていくことにつながるので、ここで共生社会推進課とは、あまりケンカせずに、前向きのいい関係でいたいと思っています。

 相模原障害者殺傷事件のことをずっとやり続けている友人の話だと7月に行った事件を考える集まりに共生社会推進課の人がゲストで登場しているそうです。県の雰囲気が少し変わったと聞きました。ならば余計にここはいい関係を作っていきたいと考えています。少し作戦を考えたいと思います。

 

 5年前、県から来た監査課の人のあまりに失礼なふるまいに、「これはおかしいんじゃないか」と県に質問状を出しました。少し長いですが読んでみてください。

 今回の共生社会推進課とのやりとりも、相手の出方次第ではこんなふうになっていくのかも知れません。共生社会ってなんなのか、それに向けてやるべきことはなんなのか、といったことが深まっていけばいいと思っています。

 ただ監査課の場合は、途中で向こうがやりとりを投げ出したため、中途半端で終わってしまいました。こんなふうに自分のやっていることを問い詰められたことがないのだろうと思います。それに対して誠実にこたえたことも。

 おかしいことはおかしい、ときちんと言っていくことはとても大事だと思います。役人なんてそんなもんだ、と思ってしまうと、何も変わりません。そんなもんだと思いつつも、尚もおかしいことはおかしいと言い続けること。そうすると何が見えてくるのか、監査課とのやりとりはその貴重な記録です。

pukapuka-pan.hatenablog.com

障がいのある子どもが普通学級で学ぶと…

  重い障がいがあっても普通学級の中で学びたいという子どもを無理矢理特別支援学校へ入れようとする川崎市と神奈川県を相手に、「それはおかしい」と子どもと両親が訴訟を起こしました。その第1回口頭弁論。

www.kanaloco.jp

 市と県は特別支援学校が「最良の学び場」と主張しているようですが、下の図のインテグレーションの所を見るとわかるように、障がいのある人たちと健常者が別のカテゴリーとしてきっちりと分けられた状態が、どうして最良の学び場なのでしょう。

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 やはりこの境界を取っ払い、障がいのある子どももない子どももごちゃ混ぜにすることで、いろんな学びが生まれ、豊かさが生まれる、と両親は具体的な例を挙げて明確に語っています。とても説得力があります。

 

 養護学校では同世代とのお友達との交流がなく、和希から幼稚園での表情が失われていた感じでしたが、地域の小学校に出向いて交流が始まると、そこで同世代の子ども達と一緒にいるときは、本当に豊かな表情をしていました…

 地元の小学校の交流では、お互い初対面だったにもかかわらず、運動会の練習の玉入れでは、何度も玉を拾って和希に持たせてくれたり、国語の音読では和希の声を聞き取ろうとしてくれたりしました…

 お楽しみ会では、和希が笑っていることに一緒に喜んでくれたり、和希が教室に入って行くと「来た来た」といって迎えてくれました。そして終わりには「今度はいつ来るの?また来てね」といって、同じ1年生として受け入れてくれました…

 交流の時間は短いので、和希も「え?もう帰るの?」「どうして?」「もっとみんなと一緒にいたい」という気持ちでいっぱいでした…

 幼稚園で、ある子どもが和希の呼吸器のホースをさわろうとすると、他の子が「それはさわっちゃいけないんだよ」と注意をしてくれました…

 

 これが障がいのある子どもが普通学級で学ぶことで生まれる子ども達の学びであり、豊かさです。こういう経験をした子ども達が大きくなったときの社会を想像してみて下さい。今よりも豊かな社会が見えてきます。

 それを教育委員会は「特別支援学校」がいい、とせっかくの共生社会への試みをつぶしにかかっているのです。実現するはずの豊かさを思えば、これは大きな社会的な損失です。

 教育委員会の人たちは、障がいのある子ども達としっかりおつきあいした経験がないのではないかと思います。経験がないから、彼らとのおつきあいから得られるいろんな学び、豊かさが想像できないのだと思います。

 

 神奈川県は相模原障害者殺傷事件を受けて「共生社会」を推進させると「共生社会推進課」まで作っています。同じ県の組織でありながら、一方はせっかくできかけている小さな「共生社会」をつぶそうとし、一方は「共生社会」を推進しようとしています。 

 「ともに生きる社会かながわ憲章」には

【私たちは、障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除します】

と書いてあります。普通学級で学びたい、というのは、障がい者の社会への参加です。教育委員会のやっていることは、それを妨げることです。かながわ憲章には、そういったことを排除する、とあります。教育委員会のやっていることは、憲章にしたがって排除すべきです。

 こんなことをブログで書いても、何の効果もないので、神奈川県のホームページにある「私の提案」で聞いてみようと思います。教育委員会がやっていることを、どうして排除しないのか、って。

 

考え方を変える、発想を変える

  全日本印刷工業組合連合会のCSRマガジン『shin』の「障害者雇用」の特集号にぷかぷかしんぶんの記事が載りました。少し長いですが、「障害者雇用」の動きの中で、ぷかぷかの活動をどのように位置づけているかが見えます。

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こちらはPDFできれいに見えます。

http://www.aj-pia.or.jp/csr/img/shin_№13.pdf

2ページから5ページにかけてぷかぷかのことが紹介されています。9ページから11ページにかけて企業の障害者雇用の取り組みが紹介されています。 すごくがんばってるなぁ、という印象です。

 

 

 中央官庁が障害者雇用数を水増ししたという恥ずかしい話が飛び交っている中で、こんなふうに真剣に障害者雇用に取り組んでいる業界があるというのは、大きな希望です。こういう業界こそ、豊かな社会を作っていくのだろうと思います。

 

 これを書いた方とお話しする機会があったのですが、生産性が求められる企業の現場で、生産性が低いとされる障がいのある人たちを雇用するには、彼らが働きやすい環境を整えるだけでなく、生産性とは違う価値観を確立しないと、やはり難しいだろうとおっしゃってました。そういう文脈の中で「生産性のない人が社会に必要な理由」というコラムを取り上げてくれたようでした。

 コラムを取り上げることはできても、コラムの中で話題になっているセノーさんを実際に企業の中で雇用できるか、と考えると、かなり厳しいものがあるなぁ、とつい思ってしまいます。この、つい思ってしまう、ところこそが問題だろうと思います。つい思ってしまうくらい、私たちの考え方、発想が生産性に支配されているからです。

 考え方を変える、発想を変える。そこから障害者雇用が始まるのだと思います。

 

 前にも書きましたが、セノーさんはまわりの人と同じように働かない、生産性がない、と前にいた作業所で居場所をなくしてぷかぷかに来ました。ぷかぷかに来ても、やっぱりあまり働きませんでした。でもぷかぷかは前にいた作業所のように排除しませんでした。どうしてか。

 セノーさんは働かなくても、人を癒やす雰囲気を持っていたのです。彼がそこにいるだけで、まわりの人たちを癒やすのです。この「人を癒やす雰囲気」を「一つの価値」として認める雰囲気がぷかぷかにはありました。働くことと同じぐらいの価値です。

 セノーさんは飲んでいる薬の影響もあって、しょっちゅう居眠りをします。そんなとき、それを見て、

「セノーさん、居眠りするな!」

と、たたき起こすのではなく、

「あ、また寝てるよ、セノーさん、起きなよ、給料減らされちゃうよ」

みたいないい方をします。寝てるときも、みんなを癒やす雰囲気を醸し出しているからです。それをみんな認めているから、あまり強く言いません。

 お客さんもその雰囲気がよくわかっていて、セノーさんの寝ている写真をFacebookにアップするだけで、ものすごいアクセスがあります。見学に来た方がセノーさんを見つけ、

「きゃー、セノーさんがいる!」

なんて騒いだりすることもあります。セノーさんは寝ながらお客さんを増やし、収益を上げていることになります。

  

 働くことだけでなく、「人を癒やす雰囲気」も働くことと同じくらい価値あるものとしてみていく、というのは発想の転換です。

 そうすることで、ぷかぷかの働く環境がすごくよくなったと思います。いつも楽しい雰囲気で、みんなの笑顔が絶えません。結果的には生産性がそのことでアップしているのかも知れません。でも、それはあくまで結果であって、生産性のアップを目標にして「人を癒やす雰囲気」を大事にしたわけではありません。

 

 こういったことはもちろん生産性をそれほど重視しない福祉事業所だからできた、とも言えます。でも、生産性がいつも問われる企業の現場であっても、「人を癒やす雰囲気」は大事だと思います。心を癒やすような音楽が流れているとか、柔らかい光で満たされているとかは職場環境を考える上でとても大事な要素だと思います。職場環境は生産性に大きく影響します。

 そこを大事にしようと考えている企業なら、生産性はいまいちだけれど、人を癒やす雰囲気を作ることに関しては誰にも負けない障がいのある人も働くことができます。その人がいることで職場の雰囲気がやわらかくなります。その人がいることで、たくさんの笑顔が生まれます。楽しくなります。

 今まであれができない、これができないとマイナス面ばかり考えていた障がいのある人が、実はこんなすてきな人だったんだ、っていう発見があります。その発見はみんなの心を豊かにします。企業そのものを豊かにします。

 

 考え方を変える、発想を変える、というのはそういうことです。そうすれば今までにない、障がいのある人との新しい物語が始まります。

これってとても「贅沢な時間」

 以前NHKスペシャルで相模原事件の特集をやったとき、紹介したカツタさんの最新のブログです。すごくいいおつきあいしてるな、と思いました。

tantantanto.hatenablog.com

 

 こうやって書くことで、障がいのある子どもとのおつきあいの意味を一生懸命さぐっています。そうやって見つけたのが

 

お互いに、ここにいて良いんだよって。

それを彼女は一言ではなく、長い言葉のやりとりを通して行っているのかなって。

これってとても「贅沢な時間」だと思うのです。

 

 ふつうならうんざりしてしまうような毎日毎日繰り返す同じ言葉のやりとりが、とても「贅沢な時間」、であることに気がついたカツタさん。

 これからの成長がとても楽しみです。

 

 カツタさんについてはこちら

pukapuka-pan.hatenablog.com

ME&YOU=FOREVER♡

 特別支援教育の中で語られる障がい児とぷかぷかさんの違いはどこから生じるのだろうって考えていて、以前出版社の編集者の方が送ってくれたインクルージョンとは何かの資料を思い出しました。とてもわかりやすいです。

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 資料を送ってくれた編集者の方は

 

添付の図は、インテグレーションとインクル―ジョンの違いを説明をするのによく使う図ですが、同じ社会には統合されているけれど、社会という水槽に金魚すくいですくわれたビニールに入った金魚がそのまま入っているような状態で、社会全体を自由に泳ぎ回っているインクルーシブな状態ではない、という図です。

 

このビニールの袋が、就労継続支援とか放課後デイとかグループホーム、特例子会社などの障害に特化した福祉制度、あるいは意識のバリアだと思います。

 

 

 と、とてもわかりやすく書いてくれました。

 ぷかぷかをどうするか、ということばかり考えていて、こうやって全体を見ながら考えることがなかったので、なーるほど、そうだったのか、ととても納得しました。

 福祉制度なんていうのも、すごく社会が進んだように見えるのですが、障がいのある人たちに関しては、小さな時から健常と言われる人たちと障がいのある人たちを分けている社会の仕組みを作っているものでしかない、とあらためて図を見ながら思いました。

 ビニール袋に入れて社会と切り離してしまうなんて、実にもったいない話だと思います。どうしてもったいないと思うのか。

 彼らと一緒に生きていくと、社会が豊かになるからです。ぷかぷかはそのことを目に見える形で実践してきました。

 

  テラちゃんというぷかぷかさんがいます。そのテラちゃんのFacebookにこんな楽しい写真がアップされていました。仲良くなった地域の人といっしょに撮った写真です。

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 二人で楽しんでる様子がビリビリと伝わってきます。よくある障害者と健常者の「交流」ではありません。あるいは障害者に何かやってあげてる写真でもありません。どこまでも二人がこの「今」を楽しんでいる写真です。

 Mの字がちょっと消えていますが、ME&YOU=FOREVER♡ とあります。二人の思いなんだと思います。共生社会を作ろう、なんて言葉のはるか先をこの二人は行っているのです。

 

  ぷかぷかはビニールをかけないことで、こんなすてきな関係をたくさん作ってきました。こんな関係が社会に広がること。それこそが社会の豊かさだと思います。障がいのある人たちはこんなふうに社会を豊かにしていくチカラを持っているのだと思います。

 この写真を加工したのはテラちゃんです。ME&YOU=FOREVER♡の言葉も、相方のAKIKOさんへの思いがあふれたものだと思います。こんなすてきな言葉を障がいのある人が考え出したことに私は感動します。

 本当はこんな言葉を、こんな思いをみんな持っているのだと思います。それを自由に表現できる場、機会があるということが社会の豊かさだと思います。

 ビニールの袋は、そんな豊かさをつぶします。実にもったいない話です。

 

  この写真とは逆に、障がいのある人たちを社会から排除していくと、社会はやせこけていきます。やせこけていった果てに、相模原障害者殺傷事件が起こったと思います。「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」は、やせこけた社会を象徴する言葉です。

 上の写真左のAKIKOさんは「テラちゃん(写真右のぷかぷかさん)はいた方がいい」「テラちゃんと一緒にいると幸せ!」って思っています。AKIKOさんはテラちゃんから大事なことをいっぱい学んでいるっていつも言います。一緒にいると学びあえるから、この関係が楽しいのです。ぷかぷかはこんなふうに思う人をたくさん作ってきました。

 犯人の言葉をそれは間違っている、と言葉で否定するのは簡単です。でも「間違ってる」というだけでは社会は変わりません。大事なことは、本当にそう思う人を実際に作り出すことです。上の写真のように。

 

  

 障害者雇用数水増し事件は、社会の貧しさを象徴しています。年内に障害者雇用率を達成します、なんて言ってますが、そんなことで住む問題とは思えません。単なる数あわせではないはずです。障がいのある人たちと本気で一緒に生きる気があるのかどうかが問われている問題だと思います。

 

 

 

ぷかぷかさんのチカラが、こういうときこそ発揮できます

 近所にお住まいで、毎日のように「 ぷかぷかさんのお昼ごはん」にごはんを食べに来るオジサンがいます。オジサンさんは数年前に奥さんを亡くし、子どももいないので一人暮らし。訪ねてくる友だちもいなくて、家にこもっていると、ひとこともしゃべらない日もあるそうです。そんなオジサンにとって、「 ぷかぷかさんのお昼ごはん」はいろんな人とおしゃべりできる貴重な場所のようです。

 わりと面倒くさがりのようで、ここ1年くらい庭がほったらかしで、ジャングルのようになっているそうです。手がつけられない状態なので、業者に頼んできれいにしてもらうとおっしゃってました。いくらかかるんですか?と聞くと12万円もかかるとか。年金暮らしのオジサンにとっては大金なので、食費を削って払います、と笑いながら話していました。

 「たかが草刈りに12万円も支払うなんてばかばかしいですよ。なんでしたらぷかぷかさん達といっしょにオジサンちまで行って、草刈りやりますよ。」

 「ジャングルになっているので無理ですよ」

 「家の庭でしょ、どの程度のジャングルか、一度見せて下さい、自分たちでできるかどうか確かめますよ」

 「そこまで言うのでしたら、どうぞ見に来て下さい」

という話をしたのが木曜日。

 

 で、金曜日もオジサン、ごはん食べに来たので、一緒に食べながら

「晩ご飯はどうしてるんですか?自分で何か作るんですか?」

「コーヒーカップに納豆と卵を入れて、電子レンジでチンするだけ」

「それだけですか?」

「それだけです」

「なんか淋しくないですか?」

「いや、別に。もうごはん食べたいと思わないんです」

「ごはん食べないと死んでしまいますよ」

「いつ死んでもいいんですよ。もう人生に未練もないし…」

 奥さんを亡くし、子どももいないとこうなってしまうのかと、他人事ながらなんだか淋しい気持ちになりました。放っておくと、そのままオジサンの人生がフェードアウトするように思いました。

「あのー、とにかく庭を見せて下さい』

と、オジサンちに庭を見に行きました。

 

オジサンは1年ぐらい手入れしていない、とおっしゃってましたが、庭を見る限り、何年も人が住んでいないような雰囲気でした。蚊がものすごくたくさんいました。これでは近所から苦情が出ます。

 

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 かなり手強い感じがしましたが、庭をいくつかに区切って、一日ひと区画と決めてやっていけば、なんとかなると思いました。

 「大丈夫、なんとかします!」

 「そうですか、じゃぁ、お願いしようかな。」

 「来週、もう一回若いスタッフに見せて下さい」

 「はい、いいですよ、どうぞ」

ということで別れました。

 

 20分くらいしてスタッフの携帯にオジサンから電話が入りました。業者の方は断りました、と。それと携帯は持ち歩いていないので、そちらからかけてもつながらないかも、といってました。

 携帯を持ち歩いていても、かけてくる人がいないんだと思いました。かける相手も。

 郵便受けは、入り口ではなく、ずっと奥に入り込んだところにあって、名前も書いてありませんでした。手紙なども来ないのかな、と思いました。

 オジサンの家のエリアは、毎月「ぷかぷかしんぶん」を配布しているのですが、郵便受けがなかったので、しんぶんを入れたことがなかったとスタッフは言ってました。入って行くのがためらわれるくらい、入り口は寂れていました。

 

 ここは絶対にぷかぷかさんと一緒に来て草刈りやろうと思いました。なんかもうほっとけない感じがしたのです。

 庭をきれいにすれば、気分がすっきりします。きれいになった庭を眺めながら飲むお茶はすごくおいしいと思います。お茶飲みながら、生きてるっていいな、ってちょっとでも思ってくれればと思います。

 それと気が向けば、ぷかぷかさんと一緒に草刈りをやって欲しい。ぷかぷかさんと楽しい話をして欲しい。もうそれだけで元気が出ます。

 どちらかといえば、草刈りよりも、おしゃべりする時間の方をたくさんとりたい。オジサンにとっては、そっちの方が大事な気がします。

 ぷかぷかさんのチカラが、こういうときこそ発揮できます。地域の一人暮らしのお年寄りを元気にします。ぷかぷかさん達の、ぷかぷかさんにしかできない新しい仕事が始まるかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

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