ぷかぷか日記

みんなでワークショップ

  • 娘は、もしかしたら、そんな楽しそうな大人たちを見て とても居心地よく、楽しかったのではないか。
    ぽんちゃんからワークショップの感想が届きました。子どもがどうして長い時間にわたるワークショップに参加できたんだろう、という疑問から見えてきたすばらしい感想です。   ●●● 2回目のワークショップに参加してから、ずっと不思議に思っていたことがあります。この日、6歳の娘を初めて連れて参加しました。私が「ぷかぷかに行く」というと、「一緒にいく!」と言ってついてきたのです。9時から16時まで、そんなに長い時間を室内で過ごせるわけがないだろう。私はワークショップの中に入り込んでしまうので、 娘は途中で飽きてしまうだろうから、お昼からはパパに迎えにきてもらおう。そんな気持ちで参加したのですが、お昼になっても「最後までいる!」と言う娘。全くの予想外でした。なぜ、娘はここにいたがるのだろう?そんなに内容に参加しているわけでもなかったので、不思議でなりませんでした。そもそも彼女は、注目されることがとても苦手で始めの名前の紹介などは壁にひっついて動かず、ヤダヤダと言うので、代わりに私が娘の紹介をしたりしました。私も、無理にやらせても意味がないと思ったしみなさんも「いいよ、嫌なんだね、大丈夫だよ」という雰囲気があったので娘のことはあまり気にせず、わりとほったらかしにしていました。その後少しして、チームに分かれて、怪獣になるというワークがあり私は後ろの方にいたので、娘を背中に乗せて腰をかがませ、娘に足を伸ばすように言って「しっぽ」を表現させました。それは楽しんでいたようで、後からも何度も「怪獣のしっぽになったあー」と嬉しそうに話していました。 その後、娘が参加したと言えば、歌を歌う時。私が車の運転中によく「ぴかぴかぴかぴか….」と歌うのでそれが気に入っていたのか、あみちゃんのピアノに合わせて一緒に歌っていました。途中であみちゃんから「よお!」という箇所を、動作付きで歌うようにと指示があったことも彼女をとても楽しませていました。それ以外は、他の子どもたちと部屋の中を行ったり来たり、カーテンに隠れたり、ポールに登ったり、きゃっきゃっきゃとやっていたのですが本当に最後まで「もう帰りたい」と一度も言うこともなく、楽しんでいたのです。試しに「また次も行く?」と聞くと「行くーーーー!!!」と大はりきりで答えたのです。どうしてだろう?確かにお友だちと遊んで楽しかったのかもしれないけれどこんなに長い時間室内にいるなんて、ちょっと考えられない….娘がワークショップを気に入った理由が知りたくてずっと考えていたのですが、なかなかピンとこなくて、考え込んでしまいました。3回目のワークショップの日を、娘は心待ちにしていました。最初の名前の紹介は、いつも通り、嫌がって部屋の外まで出て行ってしまいました。ちゃんとドアの影からみんなのことを見ていたようですが...この日は、午前中、他の子どもの参加者がいませんでしたので、もしかしたらすぐに飽きてしまうのかな?と少し心配になりましたが、全くそんなことはなく、ひとりでポールに登ったり、みんなと一緒に歌ったり、部屋の隅っこで見ていたり…お昼からは他の子たちも来たので、一緒に駆け回ったりしていましたが、なんとなく、彼女がワークショップに来たがるのは、お友だちと遊べるからという理由だけではない、気がしていました。それ以外の理由が何かあるんじゃないか?でもやっぱり、答えがなかなか見つかりません。このままでは高崎さんにワークショップの感想を送れない…モヤモヤそんな日々の中、今日、娘が家の中でゆみっちのマネをしたのです。「ゆみっちでーす」ゆみっちがアクションをしながら自己紹介をした時のマネでした。両手を横に広げ、一歩足を前に出しながら「ゆみっちでーす」と言うのです。やけに楽しそうに、何度もやります。私のマネもしていました。「タルトの好きなぽんちゃんです」ケラケラケラケラ笑いながらいろんな人のマネをしはじめました。「ももちゃんは何が好きだった?」なんて聞いてきたりして。「娘の周りにいる大人たちで、こんなに楽しそうにしている大人たちが一体どれほどいるのだろう?」ふとそんなことを思いました。ぷかぷかのみなさんは、私とそう歳が変わりません。見た目はお若い方ばかりですが、娘にとっては「大人の人たち」楽しそうにしているぷかぷかのみなさんを見て(みなさんにつられて)楽しそうにしている、他の大人たち。娘は、もしかしたら、そんな楽しそうな大人たちを見てとても居心地よく、楽しかったのではないか。そんな風に思ったら、ずっと抱えていた疑問がすっと腑に落ちた気がしました。ワークショップ参加者のみなさん、心から楽しそうに参加されています。私も、とても楽しい。そしてもしかしたら、そんな風に自分が楽しんでいる姿を、娘に見せる機会が今まであまりなかったのも。たいてい毎日こなさなければならない作業に追われていてせかせかと「こわい」お母さんをやっているわけですから…誰からも否定されることもなく「こうでなくちゃいけない」というプレッシャーもなくあるがままの自分で、今を楽しんでいる。そんな大人たちの姿が子どもたちの目にどう映ったのか...高崎さんがブログに書いていましたが赤ちゃんの横顔の写真を見ながら思い浮かんだキャプションが「きみがここで見たことが未来の社会を豊かにするんだよ」だった、と。まさに、それなんだ、と思いました。娘がここで目にし、触れて、感じた、ぷかぷかのメンバーさんの「ありのままの姿」は、この未来への希望だったのではないか。ワークショップ(ぷかぷか)は、大人も子どもも「ありのまま」を認められる場です。大人も子どもも、普段は「こうあらねばならない」という見えない何かからのプレッシャーを感じながら生活していますから、それがない場というのは、子どもにとっても新鮮だったのではないでしょうか。そして、ぷかぷかのメンバーさんが「ありのままの姿」でいられているのは「ありのままの姿でいいんだよ」と、認めてくれる確かな存在(高崎さん)がいるからこそ。彼らを見て、彼らと触れて、ありのままの自分を取り戻す大人たち。(高崎さんご自身もそうなのではと感じます)そんな大人たちと同じようにありのままを認められ、心地よく、その場が大すきになる子どもたち。そうした子どもたちが、一体どんな未来をつくっていくのか...改めて、今ぷかぷかのみなさんたちと出逢えたことの意味の大きさを感じています。
  • むっつり大王は自分の中に
      第二期第三回ワークショップ。第一回は谷川俊太郎の詩『生きる』を読み、みんなの『生きる』を書きました。第二回はその詩に対立するものを書きました。でも対立の力が弱いというか、みんなの『生きる』世界を蹴散らすほどの対立がなかなか見えませんでした。  そこで考えたのが『むっつり大王』。とにかく楽しいことやうれしいことが大嫌い。生まれてこの方、笑ったことが一度もないという暗い人生ひとすじの大王。  その「むっつり顔」をやってみました。「むっつりの階段」というコミュニケーションゲームです。7人くらいが横に並び、最初の人は少しだけむっつりした顔を作ります。隣の人はそのむっつりした顔をよく見て、そのむっつり顔を少しふくらませて次の人に送ります。その次の人は更にふくらませて…というふうにだんだん「むっつり」をふくらませていきます。   むっつりのお面を作りました。紙皿に自分のイメージするむっつり顔を描き、目に穴を開け、輪ゴムで耳に引っかかるようにしてお面を作りました。   自分でむっつり顔をして、その自画像を描くヨッシー   お面をつけてみます。     ピアノに合わせて動き、むっつり顔をする理由を一つあげます。   「うるさい!」とか「こっち見んなよ」とかいろんなことを言っていましたが、反省会で、「私がふだん思っていることと同じだわ」「これだけのことをふだん、みんな自分の中で押さえてるんだね」といった意見が出ました。要するに「むっつり大王」は外からやってくるのではなく、自分の中にいた、というわけです。  「みんなの生きる」を蹴散らしてしまうものとして、わかりやすい「むっつり大王」を持ってきたのですが、それは実は自分の中にいた、という発見。  「むっつり大王」を提案したとき、進行役をやっている演劇デザインギルドの代表のナルさんは 「むっつりは、悪ではなく、弱い状態を表していると思います。弱さというのは、単純じゃなくなるということです。外と、あるいは自分の内部とも葛藤を抱えて、なおかつその原因が見えていないからだと思います。」 と意見をくれました。  今回、むっつりのお面をかぶって、むっつりの理由を言ってみたら、まさにそういったことが少し見えてきた、というわけです。    私たちは日々の生活に追われる中で、谷川俊太郎の詩にある「生きる」の世界を、ともすれば忘れてしまいがちです。    大事にしなければならないことを忘れ、私たちはいったいどこに向かおうとしているのでしょう。     先日、映画「ぷかぷか」を久しぶりに見て、 「ワークショップの場には、なんて豊かな時間が流れているんだ」 と思い、 「障がいのある人たちの、できないところをできるようにしようとか、時間のかかるところを、時間がかからないようにしようとか、そんなふうなことをちっとも考えていないからこそ、この豊かな時間が生まれたのだと思います。」 と書きました。  できることはいいことだ、時間のかからないことはいいことだ、みたいなことにずっと追いまくられる日々の中で、だんだん「むっつり顔」が私たち自身の中でふくらんできているのかも知れません。そして『生きる』の詩にあるような豊かな世界を、知らず知らずのうちに自分で押しつぶしているのかも。  だとすれば、ワークショップが創り出しているものや、ぷかぷかが作り出しているものの中にこそ、この「むっつり顔」を超えるものがあるのかも知れません。    それをどうやって芝居の形にするのか、ここからが勝負です。      
  • 読売福祉文化賞を受賞しました。
     9月に読売福祉文化賞に演劇ワークショップのことを書いて応募したところ、先ほど若い女性から「読売光と愛の事業団ですけど…」と電話があり、「こういう電話があるってことは…」と、ちょっとどきどきしたのですが、読売福祉文化賞受賞のお知らせでした。  なんと100万円ゲット!です。今年もワークショップの助成金を6カ所も申請し、2カ所80万円弱しかもらえず、発表会の舞台製作費も入れると150万円くらいかかるので,どうやってお金を工面しようか頭を抱えていました。ですから、今回の受賞は飛び上がりたいくらいうれしいです。 1 公益性ある創造的な事業で、ハンディを持つ方や地域の人々に元気を与え、ネットワークを広げている 2 個人または団体が生き生きとした活動の場を持てる支援や企画を実践している 3 福祉の現場において、多様な文化の向上に尽くしている 4 明確なテーマを持って、目覚しい実績をあげ、将来も継続、発展が期待できる  というものが対象になっていたので、これはもうワークショップにぴったりだと思い、応募したのでした。 活動をはじめたきっかけと詳しい内容   障がいのある人たちは「なんとなくいやだ」「怖い」「何をするかわからない」といった形で、社会から締め出されていることが多い。彼らを社会から締め出していく時、社会は受け入れられる人間の幅を狭め、お互いが息苦しい社会になっていく。いろんな人がいる、という多様性こそが社会の豊かさなのだが、彼らを締め出すことはその豊かさを失うことでもある。これは社会の大きな損失であり、課題であると考える。  彼らを締め出すのは、彼らに問題があるのではなく、彼らのことを知らない、ということが大きな原因になっている。この課題を解決するためにNPO法人ぷかぷかは街の中に障がいのある人たちの働くお店(パン屋、カフェ、お惣菜屋、アートショップ)を作り、街の人たちが彼らを知る機会を毎日の生活の中で作ってきた。  演劇ワークショップは街の人たちと障がいのある人たちの関係を更に深め、いっしょに新しい芝居を作っていこうというもの。新しい関係を作るだけでなく、そこから今までにない新しい文化といっていいほどのものを創り出す。  昨年6月からぷかぷかの利用者さんと地域の人たちが月一回集まって演劇ワークショップをおこない、11月にみどりアートパークのホールの舞台でみんなで作った芝居を発表した。それは、障がいのある人たちといっしょだからこそできた芝居であって、「ぷかぷか」が日々ホームページやFacebookページで発信している「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージを具体的に目に見える形で表現したといってもいい。  できあがった芝居は彼らが一緒にいた方がいい理由を端的に物語る。芝居はだから、彼らに対する社会のさげすんだ目線をひっくり返すほどの内容を持つことになる。 ホームページに詳しい記録が載っている。 「ぷかぷかパン」検索→「ぷかぷかホームページ」→左側メニュー欄「みんなでワークショップ」→「みんなでワークショップ第1期2014年6月〜11月」 ワークショップの詳しい記録。 「みんなでワークショップ」→「映画ぷかぷか物語」 ワークショップの記録映画から見えてきた物語 これまでに得られた成果  障がいのある人たちといっしょに演劇ワークショップをやると、彼らに対して「あなたがいないと困る」といえる関係が自然にできる。社会の中で邪魔者扱いされている彼らとそんな関係を切り結ぶことがで来た意味は大きい。 また障がいのある人たちといっしょだからこそ作ることのできた芝居は、今までにない新しい《文化》と呼んでいいほどのものだった。 今後の活動予定と抱負 2015年9月より「第二期みんなでワークショップ」を開始。今年は「みんなの生きる」をテーマに芝居を作っていく。月一回集まってワークショップをやり、平成28年2月14日(日)にみどりアートパークホールの舞台で芝居を発表する。 推薦者 近くのNPO法人レクタスの理事長塚原さんに推薦理由を書いてもらいました。  障がい者が地域でパンを作り、売っているだけでは、地域の方との交流は限定的なものとなる。「ぷかぷか」は、パン販売を地域を越え、隣接の市や区に交流を広げるだけでなく、芝居作りを通して地域の人たちと障がい者との交流を深めていくという素晴らしい企画を実践化した。パンを作っている利用者さんが芝居に参加することで、一人一人の生き方を広げ、可能性を広げるだけでなく、できあがった芝居自体が障がいのある人たちといっしょに地域社会に生きる理由をわかりやすく、地域住民の目に見える形で訴えることができていた。昨年の舞台発表でも多くの人たちの共感を呼んだ。ぷかぷかのこれまでにない企画、そこで創り出したものは、単なる福祉活動ではなく、地域社会を巻き込み豊かなものにし、それを地域文化にまで発展させようとする壮大な夢につながっている。  読売新聞もこういうことに100万円もぽんと出すなんて、なかなかやるなぁ、と思いました。ワークショップで創り出すものに100万円の価値をつけた,ということです。大事に使いたいと思います。   第二期みんなでワークショップは今苦戦していますが、発表会は2月14日(日)みどりアートパークホールです。詳しい時間などはまた後日発表します。100万円の舞台、ぜひ見に来て下さい。  昨年の記録映画は1月7日(木)にみどりアートパークホールでアンコール上映会をやります。
  • 「むっつり大王」と向き合う
     第二期みんなでワークショップで作っている「みんなの生きる」の詩の世界を蹴散らかすような「むっつり大王」は,生まれてこの方笑ったことがなく、楽しいことやうれしいことが大嫌い。超根暗人間で、いつも不機嫌きわまるむっつりした顔をしています。そのむっつり大王の案がいくつか出てきました。   これはデフパペットシアターの大里さんの案。「ああつまらない」「ああおもしろくない」と不満たっぷりの顔ですが、どこかかわいくて憎めない感じ。   これはぷかぷかの近藤さんの案。口元がいかにもむっつり。目にも不機嫌さがあふれ出ていて,何かにつけ因縁つける、いかにも陰気な大王です。   これもぷかぷかの近藤さんの案。不機嫌さの塊のような顔。幸せそうな顔見るともう蹴飛ばしたい衝動に駆られるやっかいきわまる大王。      みんなの幸せな時間をたたきつぶしてしまう「むっつり大王」。いかにも手強い相手ですが、「生きる」「幸せ」とか「楽しさ」とか「喜び」といったものは、何もしなくてもいつでも手に入るものでもなく、時にこういうやっかいきわまる「むっつり大王」のような存在と闘う必要があるのだと思います。「平和」と同じです。何もしなくても「平和」があるのではなく、不断の努力が大事、ということは戦争に巻き込まれる危険がいっぱいの「安保法案」が通ってしまう最近の政治状況を見ればすぐにわかります。    最近「ぷかぷかに来ると癒やされる」「ホッとする」という人が増えてきたのも、社会全体がどこか息苦しくなっていることの裏返しのような気がしています。息苦しさを生み出しているのは何なんだろうか、という問いは、私たち自身がいつも考え続けねばならない問いだと思います。 「むっつり大王」は「生きる」「幸せ」をぶちこわす一つのシンボルではあるのですが、「むっつり大王」と向き合うとき、「生きる」の詩にある「かくされた悪を注意深くこばむこと」の「かくされた悪」に気がつくのではないかと思うのです。        
  • むっつり大王
     第二期の「みんなでワークショップ」は谷川俊太郎の詩「生きる」を朗読することから始まりました。そのあと、それぞれの「生きる」の詩を書き、それをまとめて、みんなの「生きる」を作ったのですが、これだけでは芝居が立ち上がってきません。で、前回、一回目で書いた詩に対立するものとして「嫌なこと」とか「悲しいこと」で詩を書いたのですが、みんなが共有できる対立軸がなかなか見えてこなくて、どうしたもんか、と進行役をやっている演劇デザインギルドのせっちゃんと打ち合わせしました。      このクジラが対立軸を作るのに使えないかとも思ったのですが、1時間くらい話してもなかなかいいアイデアが出てきません。いや、いろいろアイデアは出てくるのですが、みんなを引っぱっていくだけの力のある物語がありません。う〜、困ったな、と思いながら、もう一度今回の詩の出発点に戻ります。  生きているということ、今、生きているということ、それは旅行に行くこと、映画に行くこと、ダンスをすること…、と、楽しいこと、うれしいことがずらっと並びました。それと対立するもの、みんなの思いをつぶしてしまうもの、それは何なんだろう、とあらためて考えました。  楽しいことが嫌い、うれしいことも嫌い、旅行も映画もダンスも大嫌い…そういう人はいつもむっつり顔、そうだ、「むっつり大王」っていうのはどう?って,カフェでお茶飲みながら、突然せっちゃんに聞いたのでした。  とにかく楽しいことやうれしいことが大嫌いで、生まれてこのかた一度も笑ったことがなくて、いつも「むっつり顔」。「木漏れ日がまぶしい」なんてうれしそうに言おうものなら、うるさい!そんなことはうれしくも何ともない!うれしそうな顔したこいつを逮捕しろ!なんてめちゃくちゃなことを言う「むっつり大王」なのです。  去年の『森は生きている』に,冬のさなかにマツユキソウが欲しい、などといいだしたわがままな王様が登場しましたが、「むっつり大王」はそれよりももっとたちが悪いというか、世界中から楽しいこと、うれしいことを奪い取ってしまいます。そして楽しいことがないので、みんな「むっつり顔」になってしまいます。  これに合わせて、ワークショップの中で、「むっつりの階段」というコミュニケーションゲームをやろうかなと思っています。横一列に7,8人並びます。いちばん端の人がちょっとむっつりした顔をします。その隣の人はその顔をしっかり見て、それよりももう少しむっつりした顔をします。その隣の人はその顔を見て、更にむっつりした顔をします。というふうに「むっつり顔」がだんだんエスカレートしていきます。最後はもう不機嫌が爆発しそうな「むっつり顔」になるというわけです。  その「むっつり顔」を今度は一人ひとり画用紙に描きます。どの顔がいちばん不機嫌かを争う「むっつり顔コンテスト」をやります。一等賞を取った顔をモデルに「むっつり大王」の巨大な人形を作ります。これは人形劇団「デフパペットシアターひとみ」の人たちに協力してもらいながら、高さ3mくらいの大きな人形を作ろうかなと思っています。不機嫌のオーラを辺り一面にばらまく「むっつり大王」の誕生です。  世の中から楽しいこと、うれしいことがことごとくなくなり、みんなむっつり顔になります。そのときにそれぞれが描いた「むっつり顔」の絵をお面にして顔につけます。  さて、「みんなの生きる」の詩にある楽しい世界が「むっつり大王」によって全部つぶされてしまった今、私たちはどうすれば元の楽しい世界に戻れるのか、どうすればむっつり顔から笑顔に戻れるのか、それが今回のワークショップのテーマになります。  「むっつり大王」をやっつけてしまえば、元の世界に戻れるのですが、暴力的に倒すようなことはしたくないなぁ、と思っています。もっとエレガントな方法というか、そもそもどうして「むっつり大王」などという勝手きわまる大王が現れたのか、谷川俊太郎の詩「生きる」の世界を阻害するような要因が、やはり今の社会にはあるのではないか、といったこと。そこを少し丁寧に見ていくような解決方法が探れないものかと考えています。  最近「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」という人が増えているのも、結局のところ、社会がだんだん息苦しくなっていることが背景としてあるのではないかと思います。だからぷかぷかに来るとホッとしたり、癒やされたり、といったことがあるのではないか、というわけです。だとすれば彼らの存在そのものが、この息苦しい社会を救うことになります。  わんどにいる二頭のクジラさんにも登場してもらおうかと思っています。クジラが「むっつり大王」に体当たりしてみんなを救う、といった単純な話ではなく、青い空を大きなクジラがゆったり飛ぶと何かが起こるような、そんな物語です。   よく晴れた朝、こうやって大きなクジラがゆったりと空を飛ぶ日、街にはきっと何かが起こる気がするのです。むっつり大王の弱みにつながる何か、それをみんなで捜そう、というわけです。    と、「むっつり大王」を思いついてから一気にここまで書きましたが、ワークショップは多分思い通りには生きません。思い通りに行かないからこそおもしろいし、思ってもみない新しいものが出てきます。ただその過程は、とてもしんどいものになります。そのしんどさがみんなを磨きます。  とりあえず、この構想を元にせっちゃんにシラバス(ワークショップの進行プログラム)を作ってもらいます。                                                                                                                              
  • 悩むおじさん
     近所のおじさんことオーヤさんから第2回ワークショップの感想が届きました。普通のおじさんは体を動かすことなんてふだんやらないので、なかなか大変だったようですが、少しずつからだが動き始めたようでした。 ●●  先回、ミラーゲームで体を自由に動かすことに、はずかしさや抵抗がありましたが、今回は先回より自由に動かすことができて楽しかったです。 動くことができたのは、みなさんが自由に動かしているところを見て、こんな動きでもいいのかと思い、もう少し思いのままに動いていいのかと思えたからです。皆さんに感謝です。 ●●  こんな感じで体が動くようになったのです。こんなふうに体が動くことで、オーヤさんは、自分の体について、日々思っていることについて、人生について、新鮮ないろんな発見があったようです。  たまたま2月の発表会の直前が仕事でどうしても来られないといいだし、どうしようか悩んでいるようでしたので、悩むくらいなら仕事休んできた方がいい、とはっきり言いました。仕事仕事で、自分の人生なんかどこかへ置き忘れているような会社生活を送ってこられたのだろうと思います。今回ワークショップに参加することで、思いがけず自分の人生について振り返る機会にもなり、ワークショップがだんだん楽しくなってきました。発表会の舞台に立つこともとても楽しみにしているのですが、直前のワークショップに仕事で参加できないかも、と悩んでいます。  多分今までだと、考えるまでもなく仕事仕事でやってきたのだろうと思います。でも今回ワークショップに参加して、そのあたりが少し揺らいだ、というか、自分の人生こそが大事、みたいなことが少し見えてきたようで、だからこそ仕事をどうするか、すごく悩んでいるようでした。  人間は悩むことで成長します。オーヤさん、大いに悩んで下さい。きっと新しい人生が開けますよ。  
  • これこそがhanaちゃんの言葉じゃないかって
     みんなでワークショップ第二期では、みんなに詩を書いてもらい、それを合わせて「みんなの生きる」という物語を起こそうと思っています。前回、hanaちゃんの思いも入れたいと思い、お母さんにお願いしました。できあがった詩がこれ。「まだ眠いのに無理矢理起こされて学校へ行かされること」「どうせわからないと思われて話しかけてくれないこと」 な〜るほど、なんて思っていたのですが、 これはお母さんの思いに過ぎなくて、hanaちゃん自身は別になんとも思ってないんじゃないかってお母さんがブログに書いています。  すごくおもしろくて、深〜い考察です。 ameblo.jp  hanaちゃんといっしょに生きてると、人生についての思いがこうやって深くなるんだなぁって思いました。hanaちゃんてなんにも言わないんだけど、周りの人たちに深い言葉をいっぱい語らせるんですね。これこそがhanaちゃんの言葉じゃないかって思いました。
  • 人と人が知り合ったり、分かり合ったりするのは 言葉や時間じゃないんだなぁ
     10月17日(土)第2期第2回ワークショップ。前半、「ヤドカリ」というゲームで盛り上がったあと、体で何かを表現することをやりました。石になったり、楽器になったり、恐竜になったり。恐竜が一頭だと何も起こらないけれど、そこへもう一頭登場すると、そこに物語が生まれることを体感したりしました。  「つまさききらきら」と「岩手軽便鉄道の一月」を歌いました。二曲ともとても気持ちのいい、元気の出る歌です。安見ちゃんのピアノで歌うと本当に気持ちよく歌えます。(いつか機会見つけて安見ちゃんの宮澤賢治作品朗読コンサートをやりたいななんて考えています。) A.A.ミルン 詩/小田島雄志&若子 訳 作曲 林 光 www.youtube.com  二人ペアで一人が人間、もう一人が鏡になる「ミラーゲーム」をやりました。相手の動きの通りに動いているうちに、お互いの気持ちが通じてきます。  そのミラーゲームでぷかぷかのメンバーさんと出会った方が感想を寄せてくれました。 ●●●  今日のワークショップも楽しかったです。 やはり、小山さんとペアでやったミラーリング(でしたか?)が忘れられません。 たまたまお隣にいらいしたので、じゃあよろしく!という感じで勝手に ペアにしてしまいましたが、説明を聞いている段階では、私が小山さんの正面に まわりこんでも自然に違う方を向いてしまい、「あら~私とやりたくなかったかな、、」 と少しショックを受けていました(笑) はじまってからは、私が人間の時は上手にミラー役をやってくれていましたが、小山さんが人間の時は、はじめはあまり動きがなく、表情も少し困った感じでした。 途中で役を入れ替わっていいという段階になったら、だんだん波長があってきて、最後の方は同時に全く同じように腕をあげた瞬間があって、すごく嬉しかった。 そしてみんなの前での発表。 最後の順になっちゃったから、大丈夫かな~と内心思っていたのですが、スタートしたら小山さんの動きが凄くバリエーションに富んでいたので、やっている私が一番びっくり するやら嬉しいやら。指を立てたり、表情を変えたり、やってて楽しいし、小山さんって すごく穏やかで優しいんだろうなーって感じたり。 最後の最後は音楽に合わせて、手のひらを合わせて降ろして終了。 心がとっても満たされた感じでした。 ほぼ会話をしていないのに、そして初対面に近いのに、2人で濃密な時間を過ごしたような、そんな不思議な感覚でもありました。 今、気になるのは、で、小山さんはどう感じたのかなーーー?ってことです。 これって恋に近い?! (余談ですが、これって婚活とかでやったら面白いかもしれませんね) これから目で追ってしまいそうです。 人と人が知り合ったり、分かり合ったりするのは 言葉や時間じゃないんだなぁということに、改めて気づいた時間でした。 そして、音楽の力ってスゴイ!!!ということ。 あみちゃんのピアノがなかったら、きっとこうはなっていない。 ミラーリングをやっている人たち、あみちゃんのピアノ、あの場にいたみんな。 いろんなことが全部つながっているんだな。そうすると凄いチカラが生まれるんだな。  そういったことを表現することが演劇なのかな、となんとなく思った1日でした。 ヤドカリも恐竜も歌も詩も全部楽しかったです。  (ノリピー) 小山さんとノリピー 遅れて参加したサクラちゃんは、さっそくテラちゃんのところへ行き、くつろいでいました。 今日はマツイさんとも気があったようでした。  第1回目では「生きる」を感じる「楽しいこと」「うれしいこと」などの詩を書きましたが、今日は「腹の立ったこと」「悲しかったこと」などの詩を書きました。  前回の詩を整理しながら今回の詩を加え、発表。 サクラちゃんはお母さんといっしょに詩の発表を聞いていました。 「どうせわからないと思われて、話しかけてくれないこと」はサクラちゃんのお母さんの言葉。「こう見えてね、ほんとうは全部わかってるんだよこの人は」と思って話しかけると、サクラちゃんとの距離がグンと縮まって、すごくかわいくなります。これ、実感です。 「今、生きているということ」をそのまま表現している子どもたち。 「楽しいこと」「うれしいこと」に対して「腹が立つこと」「悲しいこと」など、対立するものを持ってくると、二頭の恐竜が登場したときのように、何か物語が生まれます。  各グループに、対立する部分を軸に何をいちばん伝えたいか、といったテーマで発表してもらったのですが、腹の立つ度合いが小さいのか、物語が生まれるまでには至らない感じでした。  くっきりと表現できるような、ほんとうに怒っていること、ほんとうに悲しいことをみんなで捜そう、といった提案もしたのですが、こういう話になるとぷかぷかのメンバーさんはついて来れません。  養護学校の教員をやっていた最後の年の芝居は、今回のワークショップと同じ「みんなの生きる」というタイトル。それぞれの「生きる」を二〜三行で書いてもらい、「みんなの生きる」という長い長い詩を書きました。生徒だけで対立する物語を創ることはむつかしかったので、私の方で「恋愛を禁止する」という勝手きわまる王様を登場させ(みんなの書いた詩には恋愛へのあこがれが多かった)、「さあ、どうする?」というところから物語を創っていきました。  たまたまこの4月、ぷかぷか5周年で作った段ボール製の大きな「空飛ぶクジラ」がアート屋わんどを飛び回っているので、あれを「みんなの楽しい思い出をみんな食ってしまうクジラ」とかいう設定で登場させれば、ぷかぷかのメンバーさんも加わって物語を作れるかな、なんて考えています。   こんな感じで怪しい空飛ぶクジラを登場させよう、というわけです。さぁ、どうなりますか、なんだか楽しくなりそうですね。
  • 彼らは人を自由にする、ということ。
     昨日いただいたワークショップの感想の中に 《昨年は、しょうがいのある人が主役になるための舞台をサポートする、、、なんて非常におこがましい考えが邪魔をして、どこか自由に身動きできない自分を感じていました。  でも、今回は、わたしの心のままに、自由に楽しく参加できたのです。》  この変わりようが、すごくいいなと思いました。《どこか自由に身動きできない自分》から《自由に楽しく参加できる自分》への変化。たまたまカフェのすぐ上に引っ越してきたこともあって、日々ぷかぷかのメンバーさんとのおつきあいがあったことが大きいと思います。  人が生きる上で、この《自由に動ける》ということはとても大事なことです。その《自由》が彼らとの日々のおつきあいの中で生まれたこと。そのことの意味をもっともっと私たちは考えてもいいような気がします。  私自身、養護学校の教員を30年やって、何がいちばんよかったかというと、彼らとのおつきあいの中で、私自身がいろいろなものから自由になったことでした。何か漠然としているのですが、感想を書かれたサカタさんが《自由になった》ことと、やはり重なっている気がするのです。  彼らは人を自由にする、ということ。そのことを私たちはもっともっと注目していいように思うのです。 今日いただいた感想にもそういったことにつながることが書いてありました。  ●●●   ワークショップ第1回目、とても楽しかったです。自然に溶け込めるのかな?と実はちょっぴり緊張しての参加だったのですが、ぷかぷかさんのみんながあまりに自然体で、話しかけてくれたり、抱きついてくれたりしてあっという間に自分で作っていた垣根が吹き飛んでしまいました。自然体って素晴らしい!!!そして、私ももっともっと自然体でいられるようになりたいなぁと感じた出来事でもありました。「生きる」の詩をみんなで作ってみるワークは、自分で詩を書くことは楽しくできましたが、みんなの詩をカタチにしていくのはなかなか難しく産みの苦しみがあるなぁと感じました。でも、ある程度みんなでウンウンうならないと、想いが伝わる詩はできあがらないのでしょうね。みんなで創り上げる詩、そして劇がどんな感じになっていくのかそして、自分にどんな感情がわきあがるのか、これからの全てが楽しみです。
  • またまたすばらしい感想が…
    またまたすばらしい感想が届きました。 ●●● 【胸の奥の芯に、火が灯るような時間でした】ぷかぷか第二期ワークショップの初日前半に、参加させていただきました。初めは、随分、わたし、変わっちゃったんだなあ、、とぼんやり考えていました。1年前、まだ鎌倉に住んでいた頃、ワークショップに参加させていただきながらも、舞台発表の日に都合がつかなくなってしまい、途中で無念のリタイヤ…でも、今は、ぷかぷかさんのご近所に越してきて、毎日、ぷかぷかメンバーのみなさんの息吹を感じながら生活しています。窓をあけていれば、ツジさんの声が聞こえてくるし、階段をおりていけば、セノーさんが佇んでいるし、カフェの前を歩けば、イクミさんが親しく声をかけてくれる、、、随分変わったんだなあ、、とぼんやり考えていました。昨年、参加させていただいたときも高崎さんが何度も「しょうがいのある人と生きるって楽しいよ。このワークショップは共に創るんだよ」と教えてくれていましたが、わたしは、「共に創る」ということをまるでわかっていなかったんだなあと思います。昨年は、今までの仕事の経験も手伝ってか、ワークショップは、しょうがいのある人が主役になるための舞台をサポートする、、、なんて非常におこがましい考えが邪魔をして、どこか自由に身動きできない自分を感じていました。でも、今回は、わたしの心のままに、自由に楽しく参加できたのです。メンバーさんを特別視して、黒子になろうとすることもなくただ、「地域の一人」として「共に創るメンバー」として参加できました。朗読がとても好きであることも谷川俊太郎さんのファンであることもそして、この「生きる」という詩が今のこの世界にぴったりであることもわたしの心に火をつけてくれました。一行一行の言葉に、胸がいっぱいになっていました。A.A.ミルンの歌も宮沢賢治の歌も最高でした!とってもとっても楽しかった!高崎さんが、舞台を創る人の目になって輝いていました。ぷかぷかメンバーさんや、地域のみなさんが語る詩の声がとってもよかった!語った後にすごく嬉しそうな表情がみられて幸せだった!何より、いっしょに参加した2人の息子がみなさんと「共に創る」ことを心から楽しんでいたのが涙がでるほどしあわせでした。土日は夫婦ともどもさまざまな仕事があり、全日程参加は難しいのですが、今度こそ、リタイアせずにみなさんと『生きる』を『共に創りたい』と思います。帰宅後、嬉しくて興奮さめやらずに、茅ヶ崎に住んでいる友人(ぷかぷかさんの大ファンで、映画もみに来てくれました)に、「生きる」の詩をシェアしたんです。そうしたら、「その場で、わたしも朗読したよ。」「わたしも、読みたくなって朗読したよ。」と、言ってくれたのです。ワークショップに参加していない方にももう、高崎さんのワークショップへの想いが広がっていますね。「共に創る」はどこまでも広がっていくのですね。これからがますます、楽しみです。長男も、またぜひ参加したい!と楽しみにしています。地域に住む親子メンバーをどうぞよろしくお願いいたします。   ●●●    ワークショップの前半の参加だけで、これだけの感想が上がってくるほどに、ワークショップの場というのは人を深いところで揺さぶるものがあるんだなぁ、とあらためて思いました。ピアノの音を入れながらの詩の朗読は、進行役をやりながらも言葉が心にしみて、ちょっとじーんときてしまったのですが、詩を読んだ人は私以上に心を揺さぶられたのだと思います。自分の発する言葉が生のピアノの音に支えられて、今まで体験したことのない、不思議な力を持つ言葉に変わるわけですから。こういう揺さぶりが少しずつ少しずつ蓄積されて、最後、みんなを舞台にあげてしまうんだろうと思います。今後が本当に楽しみです。
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