ぷかぷか日記

みんなでワークショップ

  • 時間を共有することで、ワークショップという場にぷかぷかさんがいることの豊かさが、リアルにわかる
     8月4日(土)ぷかぷか上映会で、午前中に上映する第一期演劇ワークショップの記録映画を作った宮沢あけみさんからメッセージが届きました。  演劇ワークショップは月一回ぷかぷかさんと地域の人たちが集まって、6ヶ月かけて芝居を作ります。最後にできあがった芝居を舞台で発表するのですが、その全部をカメラを片手に記録。膨大な時間の記録を2時間11分にまとめてくれました。みんなで見るにはちょっと長いので、少し短くしてくれるようにお願いし、宮沢さんと二人で削れるところはないか、映像を全部チェックしました。  結果的に削れるところはなかったのですが、全部見終わって思ったのは、宮沢さんの映画は、何をやったかを解説するものではなく、その時間をリアルに一緒に生きる映像なんだということです。だから削ってしまったのでは、その時間の共有というものができなくなってしまうのです。  時間を共有することで、ワークショップという場にぷかぷかさんがいることの豊かさが、リアルにわかるのです。そういうことの大切さを宮沢さんの映像から教えてもらいました。         あ! トモ子ちゃんだ! 宮沢あけみ    映画『ぷかぷか~第1期みんなでワークショップ』を作ってから、もう3年がたつ。  2015年5月、みどりアートパークで最初の上映会をした後、横浜市内や出身の信州キャラバン(長野・松本・佐久)を経て、今回が10回目の上映会。記念すべき上映会に所用で参加できず、すみません!    「映画監督になる!」と上京したのは20年以上前。現場に入ってカチンコを叩き、シナリオコンクールでは最終に残るも一等はとれず、撮ったドキュメンタリーは放送に至らず、出版してもイマイチ売れず……。  そんな中、高崎さんと出会った。「何をやっている人?」と聞かれ、「映像」と答えると、ワークショップやるけれど、撮らない?と誘われた。即答でOKした。なぜなら…その直前、ある障がいのある子の通うフリースクールに2年ボランティアで足を運び、ドキュメンタリーを撮らせてもらうことを、学校側に承諾してもらい、カメラテストも行なった。けれども、保護者の猛反対であえなくボツになったばかりだった。  その前にも、原作の主人公を障がいのある男の子に書き換えたシナリオは、出版社の意向でボツになった。  障がいがある人が映像に出てくれる、ということは、それだけで貴重なのだと身に染みていた。高崎さんは、ワークショップメンバーの募集に、「映像を撮ります」とあらかじめ書いてくれて、これで、直前になってボツという心配もなくなった。  撮影は、私ひとり。カメラに高性能のマイクをつけて撮る。普通なら、撮影、ディレクター、音声…何人かがゾロリといるところを、なるべくフレームものぞかず、相手にカメラを意識させないようにして撮る。だからこそ撮れるものがある、と信じていた。けれども、突発的な彼らの行動に、カメラ一台ではついていけず、ずっとしゃべり続けるお馴染みのメンバーもいるし、聞き取れないほど小さな声のメンバーもいて、音声はほとんど録れていないのではないかと思った。  編集もパソコンでひとりでこなした。膨大な素材を見ているうちに、彼らの突発的な行動の中に、思わぬものが入っていることに気づいた。最初は全く気づかなかったのだが、舞台に堂々と台本を持ってきていたり…なんと言っているのかわからない独り言を何度も聞いているうちに「ここはチーム」をいうことばを発見したり…でも音声ははっきりとは録れていないので、格調高いドキュメンタリーでは絶対にしない吹き出しを入れてみたり…  上映会の企画、チラシ作成、当日の作戦…上映中にパソコンの電源が落ちてしまったトラブルなど…思い返せば、よくやったよなぁ…と自分でも思う。    なぜ、こんなにもできたのか? 改めて考えてみる…私は、なぜ、こんなにも障がいのある人が気になるのか?どうして、これほどまでに、撮りたい、書きたいと思うのか… 娘が620gで生まれ、療育センターに通っていた時間があったから、とそれまでは思っていたが、もっと前から、ずっと興味があった。いや、そんな言い方ではない。魅力にとりつかれていた、という方が正しい。  私が書くシナリオには、多くの障がいのある子、グレーゾーンの子が何人も登場していた。どうしても書きたいと思っていた。  そして、気づいた。「あ、トモ子ちゃんだ!」  私が幼稚園から小学1年のとき、一緒に通園通学をしたトモ子ちゃんを、あるとき、突然思い出した。小学校1年で私が引っ越してしまい、今は音信不通なので、すっかり忘れてしまっていたが…トモ子ちゃんは、片目が白かった。走るのも遅かったと思う。けれども、私にとっては、一緒に通う友達で、「障がい児」では決してなかった。彼女が障がい児だと気づいたのは、彼女のことを40年ぶりに思い出した時だけだ。  彼女が私と一緒にフツーに過ごしてくれたことで、多分、私は、「障がい者は垣根の向こうにいる」という感覚を持たずにいられて、そういう感覚がたまらなくイヤで、彼らの魅力をできるだけそばで見守りたい、伝えたい、という気持ちが湧いているのだと思う。 トモ子ちゃんに、心から感謝!    そして、私は、『ぷかぷか』で映画監督になったあと、音楽療法士になった。ぷかぷかでも音楽療法実習をさせてもらい、彼らと過ごす時間は、温かくて、楽しみだった。楽器の即興演奏で、フツーなら、誰かの真似をして音を出すのだが、彼らは、堂々と自分の音を最初から出した。人まねなど、誰もしようとしなかった。そして、音を出すまでに時間がかかる人がいると、じっと待ってあげることもできた。互いに認め合っている関係があるからこそできることだ。集団としての力がどれほどあるのか、手に取るようにわかった。彼らこそ、自由だった。  ぷかぷか以外での実習先では、自分では手足しか動かせない女の子…太鼓を渡すと力が入ってしまってうまく打てない子が、ある日、偶然、肱が当たって音が出た。もしやと思って、肱の下に太鼓を置いて、そっと私が歌を歌うと、ちゃんと歌に合わせて太鼓を正確に打ったのだ。その時、初めてわかった。彼女は、それまで表現できないだけで、音楽をちゃんとわかっていたのだ。こちらの工夫次第で、彼女はしっかり音楽をできるのだと。  障がいのある人は、「できない」と誰が決めつけるのだろう…そうではなく、彼らを見るこちらの目が試されているのだ。 私は、力をつけたいと思った。彼らの内的な力を十分に感じようとすれば、たくさんのことを教えてくれて、彼らと「音楽の場」が自然とできていった。 私にとっては、音楽も映像も同じことで、彼らと一緒に過ごす時間が豊かなものになるのなら、どんな方法でもこれからも厭わずやっていこうと思っている。     高崎さん、私を映画監督にさせてくれて、ありがとうございます。 映画『ぷかぷか』が、大ヒットして、「障がい」ということばに取って代わるような世の中になればいい…。 そう思って、タイトルを高崎さんと考えあぐねて、結局、『ぷかぷか』にしたのでした。 ★ダイジェスト版(21分)    https://www.youtube.com/watch?v=xYB810A84eQ    聴覚障害者用テロップ入り    https://www.youtube.com/watch?v=Cd_bbs8OaX0   高崎さんに何度も、「上映には長い!」と言われましたが、全く短くするつもりもありませんでした。だって!それが、彼らの時間なのです。ただ早い、効率、そういうことだけを追いかけている日常からそっと途中下車して、少しだけゆったりとした時間の流れの中に身をおいてもらえなければ、彼らのほんとうの姿は見えてこない…。上映のために短くして、彼らがじっと考え込んでしまう姿をカットしたら、全く面白くなくなってしまう…と、私は譲ろうとしませんでした。 もしかすると、そのために、大ヒットからはほど遠かったのかもしれません。いつも強情ですみませんでした。   最初の頃、上映会に手話をつけようと試みました。手話通訳から、「ぷかぷか」の手話はどうやって?という質問が出て、初めて、手話にもいろいろなやり方があることを知りました。デフパペにお願いして、手話で「ぷかぷか」を作ってもらいました。YouTubeも作って、たくさんの方に手話でぷかぷか、をやってもらいましたが、これも大ヒットには至りませんでした。けれども、今は亡きマッキーの映像を残せたことは、私にとってはとても意味の大きなことでした。   ★手話でぷかぷか(11分)    https://www.youtube.com/watch?v=OL-_tMcdZxY    聴覚障害者用テロップ入り    https://www.youtube.com/watch?v=hCy9d8r_iDA&feature=youtu.be     それでも、私は、ぷかぷかがもっと大きく広がって、街になったらいい…と心底、本気で思っています。 学校や幼稚園、病院、美容室、食べ物や、さまざまなお店…そこに、フツーにぷかぷかさんがいる。 それだけで、私は、安心です。 私にとっての「トモ子ちゃん」が、今の私の根っこを作ってくれたように、彼らが、みんなを幸せにしてくれると、確信しているからです。   上映会…これからも続きますように。 彼らの魅力が、どこまでも伝わっていきますように。  
  • 楽しい舞台ですが、その裏ではいろいろ大変なことがあるのです
     みんなでワークショップ第4期の反省と、第5期の計画の話し合いをしました。  舞台がだんだん大がかりになり、ホールを三日間借り切っているのですが、その期間で完成させるのがすごく大変だったようです。舞台制作は舞台監督を入れた3人とワークショップ進行役の2人も加わって5人でやったそうですが、金曜日は夜10時までやっても終わらず、ほんとうに悪戦苦闘したようです。  お金があれば人を増やしてもう少し楽に仕事ができるのですが、どの程度の舞台を作るかの判断をどこでするかが曖昧になっているところが問題だと思いました。  今回で言えば『注文の多い料理店』の背景画を作ったのですが、最初は山猫の大きな顔を作る話がありました。でも、計画を詰めていくとベニヤが30枚くらい必要で、その費用、作ったあとの再利用など考えると、かなりむつかしいことがわかり、かしわの木を作ることになりました。これもどの程度のかしわの木にするのかは最終的には舞台監督に任せたのですが、舞台監督はとにかくいいものを作りたいの一心で、結果的には、現場の人たちに大変な負担がかかりました。  このかしわの木が完成したのは表現の市場当日の午前中。    舞台監督が暴走したわけではないのですが、舞台のアートディレクターをしっかり決め、その指示の元で現場に無理がかからないような舞台つくりにしよう、ということになりました。舞台のアートディレクターはアート屋わんどの新鋭コンドーですが、若いのでベテランの舞台監督を指示できるかどうかいささか不安。それで、わんどのアートディレクター金子さんにコンドーの後ろに立つご意見番をやってもらい、うまくすすめていこうということになりました。  楽しい舞台ですが、その裏ではいろいろ大変なことがあるのです。      さて8月から第5期みんなでワークショップがはじまります。毎月第三土曜日にワークショップをやって、来年1月27日に表現の市場で発表します。会場はすでに押さえました。  中身についてはこれから決めていくのですが、話題になったのは宮澤賢治の『ほらクマ学校を卒業した三人』です。マイナーな作品ですが、とても面白いです。  赤い手の長い蜘蛛くもと、銀いろのなめくぢと、顔を洗ったことのない狸たぬきが出てきて、「これから誰たれがいちばん大きくえらくなるか見てゐろ」と言うことがテーマで話が展開していきます。  「誰たれがいちばん大きくえらくなるか」なんて、ぷかぷかがやっていることと正反対な気がするのですが、だからこそぷかぷかさんたちがやったら、とんでもない展開になるような気がするのです。  やたら食われてしまうシーンが多いので、うんこの歌を歌おう、という意見が出ました。谷川俊太郎の詩『うんこ』にこんにゃく座の萩京子さんが曲をつけた歌です。        ごきぶりの うんこは ちいさい      ぞうの うんこは おおきい      うんこというものは      いろいろな かたちをしている      いしのような うんこ      わらのような うんこ      うんこというものは       いろいろな いろをしている      うんこというものは      くさや きを そだてる      うんこというものを      たべるむしも いる      どんなうつくしいひとの      うんこも くさい      どんなえらいひとも      うんこを する      うんこよ きょうも      げんきに でてこい      昔子どもが小さい頃、保育園で歌ったら、まぁ、いろいろ意見が出ましたね。でもね、  「うんこよ きょうも げんきに でてこい」 って、子ども達が毎日うんこに呼びかけるような日々来たら、みんな元気になるような気がするのです。    三月にまた話し合って最終案を出します。楽しみにしていて下さい。    
  • ななちゃんはぷかぷかさんたちとどんな未来を創ってくれるんだろう
     港南区から親子でワークショップに参加した方の感想です。今までわんどのアートのワークショップには何度か参加されていたのですが、演劇ワークショップは、おつきあいの深さが全然違うんですね、とおっしゃっていました。 ●●●  せつさん、あみさん、ぱっつんさん、高崎さん、第2グループや、他のみなさんには、ずいぶんハラハラさせてしまった事と思いますが、こんな私でも舞台に出させて頂き、本当にありがとうございました。  自由奔放な ななもいきなり前日に子犬という役に変更してしまい、ぶんさんに急遽お面を作って頂いたりもんちさんとことちゃんにフォローして頂き、ワークショップの間も含め、ぷかぷか版だったからこそ、のびのびと参加させて頂けたのだと思います。  今は、家でラップの芯を繋げて立てて柱を作り、あの広場のうた を歌ったり、「お兄さん達の太鼓がかっこよかった!!」とラップの芯でダンボールを叩いたり、すっかり表現の市場 一色です(笑)  何度も申しますが、演劇とは無関係で生きてきたもので、今回の演劇ワークショップは私にとってはものすごい挑戦でした。  12月くらいまでは舞台に立つ実感がなく、朝から夕方まで一緒に歌ったり色々話し合ったり、一緒にお昼を食べたりが楽しく、回を重ねる毎にみなさんと関係が深まって行くのが嬉しかったです。  ここまででも、わんどのワークショップだけだったら味わえない濃い関係を味わわせて頂いたと思っていました。  1月のリハーサルや本番は緊張し過ぎてほとんど記憶がありませんが、まず自分がそんな緊張を味わうのもなかなかないことでしたが、ぷかぷかさんとも一緒に緊張して、あの舞台に立てた事はすごく、本当に、貴重な経験で、港北の上映会で高崎さんが、苦労があるから生まれるものがある、みたいなことを仰っていたのを思い出しました(ごめんなさい、今回のは苦労ではないのですけど)。あの場を共有出来た事で、さらにぷかぷかさんとの距離が縮まった気がします。  本番の映画、自分がどんな風になってるのか観るのもちょっとこわいですが、楽しみにしたいと思います。  あと、本番の前日の日、朝行くとしょうへいさんがわざわざななに寄ってきて「ななちゃん、おはよう」と言いに来てくれたんです。同じ第2グループにいながらも、ななはほとんど話し合いに参加してなかったし、直接二人が話したりしてるのも見てないけど、しょうへいさんがななの事を気にかけてくれてた事を知ってすごく嬉しかったです。  「あの広場のうた」について。 初めは、手拍子もあって難しさが先行していましたが、何回目かのワークショップで、詩が自分の中にストレートに入って来て、歌っていてこみあげてきた事がありました。 自分もこの詩にあるような社会になればいいなと思っていたので。  数年前、家の近くのあるマンションの前の公園の木にカラスが巣を作りました。その巣の真ん前のマンションの住人が、理由ははっきり覚えていませんが、カラスが巣を作った木を切ってほしいと自治会だか管理組合だかに言い、区かどこかに言って切ってもらった、という事がありました。人間の都合で自然をどんどんなくし、行き場のないカラスが巣を作った木を切って…。自分の目の前からいなくなればそれで良いのかな、もしカラスが次は残されたすぐ隣の木に巣を作ったらまたその木も切るのかな、子供の為の公園の木が減って行くかもしれない、さみしい話だな、と。  グループホーム建設反対の話も同じで、どんどん排除して行く社会ではなく、「あの広場のうた」の詞の様に逆にみんながどんどん集まって行くような社会になれば、みんなが生きやすくなるのに、と思います。 ●●●  ぷかぷかさんたちとのステキな関係が手に取るようにわかりますね。すばらしい体験だったと思います。  ななちゃんは広場に柱を立てるところでみんなに声をかける役をやりました。芝居をすすめるタイミングをみんなに知らせる大事な役です。  その時の役がよほどおもしろかったのか、家でもそのシーンを思い出しながらやっているという話。なんか楽しいですね。  ぷかぷかさんたちといっしょに芝居をやり、いっしょに創り出した時間が今も忘れられないくらい楽しいなんて、ステキな話だと思います。ななちゃんはぷかぷかさんたちとどんな未来を創ってくれるんだろうとすごく楽しみです。  演劇ワークショップは、こうやって希望ある未来も作ってくれるんだと、感想を読みながら思いました。相模原障害者殺傷事件を本当に超えるのは、こうやってぷかぷかさんたちと生きる希望ある未来を実際に作っていくことだと思います。  今回はななちゃんをはじめ、何人かの子ども達がワークショップに参加しました。ぷかぷかさんたちと過ごす時間の楽しさを存分に味わいました。彼らが作ってくれる未来にこそ、希望がある気がします。  しょうへいさんは自閉症で人とのおつきあいがあまりうまい方ではありませんが、それでも朝ななちゃんを見つけて 「ななちゃん おはよう」 って、声をかけたりしたのは、しょうへいさんにとってもななちゃんはとても親しい存在になっていたんだと思います。  お互いにとって大事な存在であること、そんな関係を演劇ワークショップは作ってくれたのだと思います。
  • 「守る」のではなく、積極的な「攻め」
     第4回表現の市場をやりました。チラシの裏には相模原障害者殺傷事件への思いを書きました。事件は障がいのある人たちの全面的な否定でした。それに対して表現の市場は障がいのある人たちの全面的な肯定を舞台で表現するものです。  栃木県で農業をやっている上野さん(ぷかぷかのライ麦パン、お昼ごはんのいろいろ米は上野さんの作品です)はそのチラシの裏を読んで、これは行かねば、と思ってきたそうです。お話を聞くと、事件のあと、みんな障害者を「守る 」と言っているけど、結局は「囲い込む」わけで、彼らを「生かす」なんてことは全く考えていない。それを考えると、表現の市場でやっていることは彼らを全面的に生かすというか、積極的な「攻め」ですよね。それがいいと思ってきました、とおっしゃってました。  うれしいですね。そんなふうに表現の市場を語ってくれた人は初めてです。  積極的な「攻め」という風に見ると、あの舞台の元気さの意味がよくわかります。   アラジンはいつものように迫力ある太鼓演奏。  ぷかぷかで働いているダイちゃんもいつになく元気!演奏会の終わったあとのこのほてった顔。いい人生生きているんだなと思います。こんな顔見ると、障害者云々の蔑んだ目線は恥ずかしいです。  はっぱオールスターズも、アラジンと並んで元気そのもの。アラジンのメンバーよりも年上で、みんな社会人です。仕事やりながらこんなことをする時間を大切にしている人たちです。「10年後、20年後もがんばります」って言ってましたが、40代、50代になっても舞台に立ち続けて欲しいなと思います。  ロビーコンサートをやった「ラブ・エロ・ピース」は「死んでない 殺すな」という歌を歌っていました。祐二さん、エネルギーのかたまりですね。おっちゃんがエネルギッシュに歌う姿は、みんなを元気にします。  そしてぷかぷかの芝居は広場に一本の柱を立てるところからはじまりました。  オペラシアターこんにゃく座の「世界は劇場」というCDに入っていた「あの広場のうた」は、聞きながら、「え〜っ、これって、ぷかぷかのことじゃん」って思ったのです。    ♪ 歌が生まれ 人は踊り出し     物語がはじまる  あの広場がここに  人が集まり、元気になる広場。たくさんの物語がはじまった広場。歌は「ぷかぷか」が街にあることの意味を、更にふくらませたように思います。 人は踊り出し… あの広場が、今、ここに! 注文の多い料理店・序  手話による表現 これはお肌のための野菜パック? 西洋料理店というのは、来た人を西洋料理にして食べる店… 親方がもうナフキンをかけて、舌なめずりして待っています 星めぐりの歌 見た人の感想 ・あのみなさんの「そろわなさ」「バラバラさ」がよかったです。 そろってないけど、楽しそうで、笑えて、練習したんだろうなと思えて、そろってなくてもいいよね、むしろそろってないパワーがいいよね、と素直に思いました。 ・「ぷかぷかしんぶん」を読み、なんておもしろく、自由なんだろうと思い、「表現の市場」を見たい思いで本日来ました。様々な方の協力で作られている舞台、地域の方もいっしょに参加しているのに驚きました。私もぷかぷかさんと過ごす時間が作れたらいいなと思いました。いつかパン屋さんにも伺いたいと思います。 ・今、障がい者と健常者の狭間でぷかぷかしている自分。この世界はきっと変わっていくだろうなぁと思いつつ、どう生きればよいのかなぁと悩む日々。生きるヒントが少しだけ伝わってきました。 ・表現の豊かさを感じられます。とかく自分の表現が少なくなり、まわりと同じことを強いられる中、自らのこと表現する大切さを学ばされます。 ・いっしょに歌いたくなりました。ポジティブな気持ちが歌や音や言葉に表現されていて、とても楽しめました ・日常生活で私が考えていることがちっぽけに感じました。本当に心のリセットができました。 ・心があたたかくなりました。 ・夢のような時間をありがとうございました。 ・とても豊かな時間でした。 ・ステキな時間、ありがとうございました。今更ですが「表現の市場」というネーミングはぴったりだなと思いました。 ・みなさんの熱い気持ちが伝わってきました。また、元気をもらいました。 ・心がときほぐされていきました。 ・みなさんがすごく楽しそうで、輝いていて、見ていて幸せになれました。
  • 1月21日(日)いよいよ本番です。
     今日は舞台で初めて通し稽古をやりました。大丈夫かなという感じですが、ま、心配してもしょうがないし、最後はいつもみんなしっかりやってくれるので、安心しています。セノーさんも午前中は「あ、き、は、ば、ら、いく〜!」とパニック気味でしたが、それでも午後はちゃんと舞台に立ったりしているので、実はちゃんとわかっているのではないかと思います。  段ボールの柱で練習  見えない柱がちゃんと見えます。  舞台を作る人たちは昨日は夜10時頃まで働き、今夜も遅くまで準備していました。そういう人たちの献身的な働きぶりで明日の舞台はできあがります。どんな舞台ができあがるか、楽しみにしていて下さい。  pvプロボノの人たちによって、映像の記録を撮ります。カメラ6台で撮るそうです。できあがりを楽しみにしていて下さい。
  • 彼らに「いてくれて、ありがとう!」って、心の底から言えるような舞台を作ります。
     1月21日(日)午後2時からみどりアートパークのホールで第4回《表現の市場》が開かれます。 より鮮明なチラシはこちら pukapuka-pan.xsrv.jp  その中で第4期「みんなでワークショップ」で作った芝居『注文の多い料理店・ぷかぷか版』を発表します。昨年8月から月一回土曜日にぷかぷかさんと地域の人たちが集まって作ってきた芝居です。  障がいのある人たちがいっしょだからこそできる楽しい芝居です。彼らとはいっしょに生きていった方がいい!と、端的にわかる舞台です。  相模原障害者殺傷事件の犯人は「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」「障害者は生きている意味がない」などといいました。そしてそれに、なんとなく、「そうだよなぁ」と同調する社会がありました。  「みんなでワークショップ」は障がいのある人たちに「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」と自然に思えるような関係を作ります。「障害者はいない方がいい」なんてとんでもないです。いないと困るのです。  彼らといっしょにやるワークショップはほんとうに楽しいです。彼らはワークショップのたびに幸せな一日を私たちにプレゼントしてくれるのです。「障害者は不幸しか生まない」なんてとんでもないです。彼らは幸せな一日を作ってくれるのです。  「みんなでワークショップ」の場は、障がいのある人たちに支えられています。彼らがいなければ、とても淋しいワークショップになります。「障害者は生きている意味がない」なんてとんでもないです。彼らがいてこその「みんなでワークショップ」なのです。  彼らに「いてくれて、ありがとう!」って、心の底から言えるような舞台を作ります。
  • こんなにカッコよくは歌えないけど…
     オペラシアターこんにゃく座の『あの広場のうた』何度聞いてもいい歌です。こんなにカッコよくは歌えないけど(私たちはもっとゆっくり歌います)、1月21日(日)表現の市場の舞台で、思いを込めて歌います。広場に一本の柱を立てるところからはじまります。 www.youtube.com
  • 台本にはなかったのですが、突然ダンスをやることに
      1月13日(土)、第4期第6回みんなでワークショップがありました。  「あの広場のうた」は今度の発表会のメインになるほどの歌です。ぷかぷかがやってきたこと、創ってきたことをとてもうまく表現している歌だと思うからです。   歌が生まれ  人は踊り出し   物語がはじまる  あの広場がここに  ぷかぷかはまさにあの広場を霧ヶ丘に創ったのではないかと思うのです。そして広場の中心に柱を立てたのは、ぷかぷかさんです。ぷかぷかの企画を立てたのはタカサキですが、歌が生まれ、人は踊り出し、物語がはじまる あの広場の中心に柱を立てたのは、やっぱりぷかぷかさんだと思うのです。ぷかぷかさんがいなければ、歌は生まれなかったし、人は踊り出したりしなかったし、まして人がホッと心を温めるような物語は生まれませんでした。 ♪ いまはいつだろう  いつもの朝    ここはどこだろう   いつも場所     いまはいつだろう  いつもの夜   ここはどこだろう  いつもの場所     でもどこかちがう   ここはどこかに似ている     おとなもこどもも  犬も鳥たちも    虫たちも集まる   あの広場みたい     耳をすませば見えてくる   目をみはれば聞こえてくる   少しずつ 少しずつ     歌が生まれ  人は踊り出し   物語がはじまる  あの広場がここに     昔 広場に一本の柱   ここに立てよう  目には見えない柱を     昔 広場に一本の柱   ここではじまったぷかぷか  いまここで ♪ 柱は本当はもっと太くて高い  『注文の多い料理店・ぷかぷか版』でどんなことをするかを説明 『注文の多い料理店・序』デフパペットシアターひとみのエノさんが手話でやります。字はぷかぷかさんが書きました。 「きれいにすきとおった風をたべ」なんて美しい言葉だろうと思います。 そのきれいな言葉たちを、エノさんが手話で表現。 台本見ながら打ち合わせ、イメージする、やってみる。 実際にやってみる 小道具たち この西洋料理店山猫軒というのは、西洋料理を出すお店ではなく、自分たちを西洋料理にして食べてしまうお店であることにだんだん気づいていきます。 ハッパにはさんでハンバーガーに ♪ つぼのなかの〜 www.youtube.com ようやくおかしいことに気がつきます。 山猫たちがナイフやフォークを持って飛び出してきます。 ダンスの先生が見本を見せます。台本にはなかったのですが、突然ダンスをやることに。盛り上がるところだし、ま、いいか、ということになりました。ここがぷかぷかのワークショップのおもしろいところ。 www.youtube.com どこかペテン師のような帽子をかぶった紳士たち 手話通訳の方と手話 1月21日(日)午後、みどりアートパークホールの舞台で発表します。ぜひ見に来て下さい。見なきゃソン!ですよ。
  • つぼのなかのぉ〜くりぃ〜むを〜
    『注文の多い料理店・ぷかぷか版』に出てくる扉の言葉の歌。 ♪ ちゅうもんは おおいでしょうが どうか いちいち こらえてください ♪ この歌、コサックダンスのように踊ったらおもしろいんじゃないか、という提案が今日のピアニスト湯田さん(オペラ『ロはロボットのロ』の時のピアニスト)からあり、やってみました。 www.youtube.com ♪ つぼのなかの クリームを 顔や手足に すっかり塗って下さい ♪ www.youtube.com 自分たちが食べられてしまうことがわかり、紳士は泣き出します。ハヤチャンの相手はデフパペットシアターひとみの役者善岡さん。二人とも泣き顔がいい。 www.youtube.com 泣いて泣いてくしゃくしゃになった顔は東京に帰ってお風呂に入ってもなおりませんでした、という歌があるのですが、録画し忘れました。
  • 障がいのある人たちと楽しいことをやって、相模原障害者殺傷事件を超える
     表現の市場のチラシの版ができ、ただ今印刷屋で印刷中です。下記サイトでチラシの表と裏を見ることができます。ダウンロードボタンを押して下さい。 pukapuka-pan.xsrv.jp   表も裏も、味のある文字はミズキさん。ねこの絵はぷかぷかさんたちの共同作品です。裏の下の絵はショーヘーさんです。全体のデザインはわんどスタッフのコンドーです。  裏の文章は高崎が書きました。去年に続き、相模原障害者殺傷事件について書いています。  相模原障害者殺傷事件を起こすような社会は、事件以降変わったのかというと、ほとんど変わっていなくて、相変わらずあちこちでグループホームの建設反対運動が起こったりしています。グループホームの建設反対運動は、障がいのある人たちを地域社会から締め出してしまう運動です。障害者はいやだ、怖い、といった思いがあります。彼らとのおつきあいがないところでの不安が、そういった反対運動の根っこになっています。  いやだなと思っている障害者を地域から追い出せばすっきりすると思っている人が多いのですが、本当にそうでしょうか。地域社会から障がいのある人たちを締めだしてしまうことは、許容する人間の幅を狭めることです。地域社会で許容する人間の幅が狭まると、結果的にはお互いが窮屈な思いをすることになります。お互いが息苦しい地域社会になっていきます。  いろんな人がいること、それが社会の豊かさです。障がいのある人たちを締め出すことは人の多様性がなくなることです。社会はどんどん痩せこけていきます。  だから障がいのある人たちを地域社会から締め出してはだめだ、というのではありません。彼らを締め出すのは、地域社会にとってソン!だと言いたいのです。社会の損失だと言いたいのです。彼らとはいっしょに生きていった方が絶対にトク!だと思っています。社会が豊かになります。  「表現の市場」は、いろんな人がいることの豊かさを舞台で表現します。障がいのある人たちがいてこそできる豊かな世界を目に見える形で表現します。  この豊かさを障がいのある人たちといっしょに作り続けること、それが相模原障害者殺傷事件を超えることだと思っています。事件を超えるというのは、誰かを排除したりしない社会を作ることです。障がいのある人もない人も、お互いが気持ちよく生きていける豊かな社会を実現することです。  障がいのある人たちとの演劇ワークショップは、すごく楽しいです。楽しいことをやりながら、相模原障害者殺傷事件を超えるなんて、なんか一石二鳥という感じがします。障がいのある人たちと楽しいことをやって、相模原障害者殺傷事件を超えるのです。  相模原障害者殺傷事件というと、なんとなく話が重くなり、みんな敬遠してしまいます。でも、事件を超えるカギは、障がいのある人たちといい関係を作ることです。彼らとおつきあいすることが楽しいと思える関係を作ることです。  障がいのある人たちと楽しいことをやるなら、誰にでもできます。彼らといっしょに楽しいパン教室やったり、いっしょに大きな絵を描いたり、ぷかぷかのお店で楽しいお話をしたり、いっしょに楽しい芝居を作ったり、そんなことの一つ一つが、相模原障害者殺傷事件を超える豊かな社会を作っていくことにつながるのです。  表現の市場は、来年1月21日(日)午後2時〜、みどりアートパークホールです。ぜひ来て下さい。  
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