ぷかぷか日記

みんなでワークショップ

  • 第6期演劇ワークショップが始まります。
     8月17日(土)から第6期演劇ワークショップが始まります。取り扱う題材は宮澤賢治の『ドングリと山猫』です。  山猫からこんなはがきが来るところから物語は始まります。  もう字を見ただけで楽しくなるようなこんなはがき、どんな物語を引き起こすのでしょう。それはオペラと同じ、ひとときの夢の世界です。  わくわくするようなひとときの夢の世界をぷかぷかさんたちと6ヶ月かけて作ります。来年1月26日(日)『表現の市場』の舞台で発表します。楽しみにしていてください。  ぷかぷかは「ともに生きる社会を作ろう」も「共生社会を作ろう」もいいません。社会を作ろう、などと漠然とした話では、世の中、何も変わらないと思っているからです。  それよりも目の前の障がいのある人(ぷかぷかさん)といっしょに何をするのか、何を作り出すのか、というところで実際に何かをやった方が、社会が確実に変わっていきます。何よりも楽しい!です。  この「楽しい」というところが大事だと思います。演劇ワークショップが続けられるのは、この「楽しい」があるからです。ぷかぷかさんたちといっしょに芝居を作るのが楽しいのです。彼らに何かやってあげるとか、支援する、といった関係では、「楽しい」は出てきません。  この「楽しい!」こそが、彼らといっしょに生きる一番の理由です。これがあるから、彼らとの関係が楽しいものを次々に作り出し、社会を豊かにします。  彼らといっしょに作る芝居は、彼らとはいっしょに生きていった方がいい、彼らは社会にいた方がいい、彼らがいることで社会が豊かになる、ということを明確に伝えます。「ともに生きる社会」「共生社会」が何を創り出すのかも。  相模原障害者殺傷事件の犯人が言った「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」といった言葉も、「それはちがう!」と彼らといっしょに作った芝居は明確に否定します。「障がいのある人たちはいた方がいい」「障がいのある人たちはまわりの人たちをほっこり幸せな気持ちにする」「社会を豊かにする」ということが、芝居を見るとすぐにわかります。  何よりも事件を超える社会がどういうものであるか、芝居を見ると少しずつ見えてきます。  ま、そんなこんなの思いを込めて第6期演劇ワークショップが始まります。何が生まれるか、楽しみにしていてください。来年1月26日(日)『表現の市場』で発表します。今から予定あけておいてください。見なきゃソン!ですよ。
  • 今年も100万円、満額回答!
     ヨコハマアートサイト、演劇ワークショップの助成金を申請していましたが、今年も100万円、満額回答でした。  3年連続100万円ゲット!です。とりあえずホッとしました。ただワークショップの費用は全体で200万円をちょっと超えますので、あと100万円をどこかで調達しなければなりません。それがすごく大変。  演劇ワークショップの企画が、「芸術性」「地域協働」「将来性」「実現性」「収支バランス」等、すべての審査ポイントで100点満点で評価されたことは、とてもうれしいです。  申請書の「事業のねらい」には 障がいのある人たちと一緒に新しいものを創り出す関係を作り、そこから芝居を起こしていく。彼らがいてこそできる芝居は、いっしょに生きる理由を明確に表現する。それを社会に発信することが大きなねらい。 といったことを書きました。  「彼らがいてこそできる芝居は、いっしょに生きる理由を明確に表現する。」 そのことにつきると思います。舞台に上げる芝居は、いっしょに生きる理由そのものであり、いっしょに生きると何が生まれるのか、何を創り出せるのかを、明確に示します。  「共に生きる社会を作ろう」とか「共生社会を作ろう」という声はあちこちで聞きますが、そこで何を作り出すのか、明確に提示しているところは聞いたことがありません。一番大事なところが、みんな曖昧なのです。  神奈川県は「ともに生きる社会かながわ憲章」を作り、様々なキャンペーン活動をおこなっていますが、「ともに生きる社会」が実際何を作り出すのか、一向に見えてきません。ものすごいお金を使っているのに、どうして一番大事なところを表現できないのかと思います。  結局は、本気でそれを作ろうとしていないんじゃないか、と思ってしまいます。  芝居は本気にならないと作れません。言葉だけのお遊びをやってては舞台に上げる芝居なんかできません。  障がいのある人たちといっしょに、お互いの思いを表現のかたちでぶつけ合います。ぶつけてもぶつけても先がなかなか見えてきません。本番の舞台の直前まで、バトルが続きます。  そうやってようやく舞台に上げる芝居ができあがるのです。だからこそ、舞台が輝くのです。  2020年1月25日(日)の午後、みどりアートパークホールの舞台で発表します。みどりアートパークは横浜線長津田駅前です。  第六期演劇ワークショップの参加者を募集します。取り上げる素材は宮澤賢治『どんぐりとやまねこ』です。ワークショップの日程は8月17日(土)、9月21日(土)、10月19日(土)、11月16日(土)、12月14日(土)、2020年1月18日(土)、1月25日(土)、1月26日(日)です。時間は9時〜16時くらい。場所はみどりアートパークリハーサル室。舞台発表の1月26日(日)は17時半頃まで。毎回お弁当、お茶持ってきてください。参加費は大人1000円、子ども500円です。参加希望の方は参加理由も書いて応募してください。今年はかなり参加希望が多いので、参加理由を見て決めたいと思います。会場のキャパシティの関係で、募集は15人くらいです。ぷかぷかさん15人、地域の人15人くらいの構成で行きます。  メールの送り先はtakasakiaki@blue.plala.or.jp 高崎です。
  • なーまーねーこ、なーまーねーこ…アキハバラ
     先日、今年度のワークショップの反省会と次年度の打ち合わせをやりました。  お客さんがたくさん入り、そのお客さんにすごく支えられて舞台が盛り上がった、と舞台監督の成沢さんは強調されていました。ぷかぷかの出番の頃は立ち見まで出たそうです。  5年前はじめた頃は、客席の半分も入らなかったので、それを思うと、やはり表現の市場でやろうとしていること、ぷかぷかがやろうとしていることが少しずつお客さんに伝わって、それが今回の結果を生んだのではないかと思っています。こつこつやり続けること、情報を発信し続けることがやはり大事だと思います。それとなんといっても、いい舞台を作り続けることです。  あらじん、はっぱオールスターズ、ぷかぷかさんたちのパワーは、いつもながら本当にすごいものがありました。彼らのパワーに「表現の市場」は支えられています。  舞台の背景画、みんな絶賛していました。もうどこに出しても恥ずかしくないくらい。アート屋わんどが引き受けてやったのですが、第1期演劇ワークショップ『森は生きているーぷかぷか版」、第2期『みんなの生きる』。第3期『セロ弾きのゴーシューぷかぷか版』、第4期『注文の多い料理店ーぷかぷか版』、第5期『ほら熊学校を卒業した三人ーぷかぷか版』と続く中で、どんどん力をつけていったようです。小道具、衣装もすばらしかったですね。  タヌキの舞台でセノーさんが「アキハバラ」を連発していました。セノーさんの「アキハバラ」はタヌキの怪しい「なーまーねーこー、なーまーねーこー」のお経に重なって、妙に雰囲気にマッチしていて、みんな笑って楽しんでいました。でも、セノーさんが「アキハバラ」をいうときはパニックを起こしそう、というサインです。高崎はそのサインに舞台に出る前に気がついたのですが、止めきれなくて、そのまま舞台に出てしまいました。  ちょっとまずいな、と思っているうちにお父さんがパニックの時に飲ませる薬を持って舞台袖までやって来ました。お父さんは観客席で、セノーさんのサインに気がついてすぐにやってきたようでした。  私は声が出ない上に、ほら熊学校校長の衣装を着ていたので、近くにいた演出のせっちゃんに頼んで、セノーさんを呼び戻してくれるように頼みました。せっちゃんは黒子になってセノーさんの近くに行き、舞台袖にいる高崎にところまで行くようにいいました。割と素直にいうことを聞いて私のところまで戻ってきました。すぐにお父さんに引き渡し、薬を飲ませました。セノーさんのえらいところはパニックになりかけても、こういうときはちゃんと薬を飲んでくれることです。パニックは程なく収まり、再び舞台に戻ったのでした。  舞台の上でパニックになっていたら、ちょっと大変だったと思います。せっちゃん、お父さん、本当にありがとうございました。  こういう経験は、いろんな意味でぷかぷかを鍛えます。今回も慌てることなく冷静に対応できたことがすごくよかったと思います。   今年8月から始まる第6期のワークショップの内容をどうするかの話し合いをしました。オリジナルな話にするか、すでにあるお話を元にするか。第一期はオペラシアターこんにゃく座のオペラ『森は生きている』をベースにぷかぷか版を作りました。第2期は谷川俊太郎の詩「生きる」を元に、「みんなの生きる」の詩を作り、それを元にオリジナルなお話を作りました。第3期は宮澤賢治の『セロ弾きのゴーシュ』、第4期は宮澤賢治『注文の多い料理店』、そして第5期は『ほら熊学校を卒業した三人』を元にぷかぷか版を作りました。  候補に挙がった作品は宮澤賢治作『ドングリと山猫』。これは萩京子さん作曲の歌(オペラシアターこんにゃく座のオペラに使われています)と林光さん作曲の歌(あみちゃんの一人弾き語りの作品に使われています)があります。  冒頭にある山猫からの手紙は、ぷかぷかさんが書けば、もう立派な背景画になります。    かねた一郎さま 九月十九日    あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。    あした、めんどなさいばんしますから、おいで    んなさい。とびどぐもたないでくなさい。                   山ねこ 拝   もう一つはこんにゃく座のCD『世界は劇場』に入っている山元清多さん作、萩京子作曲の『白いクレヨン』。クレヨンの箱から飛び出す白いクレヨンの小さな冒険物語。外へ飛び出そう!広い世界が君を待ってるよ、という山元清多さんの熱いメッセージです。山元清多さんはもう40年近く前、瀬谷でワークショップを始めた初期の頃、進行役できてくれました。  『銀河鉄道の夜』も候補に挙がりましたが、今年度はデフパペットシアターひとみの人たちが、表現の市場の日程と新作の稽古が重なって全く参加できません。デフパペ抜きでこの大作をやるのはもったいないという意見が出て、これは来年検討しようということになりました。  『鹿踊りの始まり』も候補にあがりました。「わたくしはこのはなしをすきとほつた秋(あき)の風(かぜ)から聞(き)いたのです。」といういい方が私は好きです。この言葉だけで、なんかわくわくします。  そのほかも含め、5月までに検討することになりました。  舞台を見て、ぜひ私もやりたい、という方がたくさんいます。親子で参加、一家で参加、という方もたくさんいて、これだけ多いと参加は抽選になるかもしれません。近くなったらまたお知らせします。
  • なんか、息子を見ている感じになってきて、愛おしくて思いっきりもらい泣きしてしまいました。
     ぷかぷかのファンの方が、何度ぷかぷかに通っても、ついつい教育者目線になっていたり、どうしても「してあげる」というスタイルが抜けない自分がいて、なんだかよくわからなくなって、思い切って演劇ワークショップに参加。ぷかぷかさんとの関係が一挙に変わったお話です。 ●●  算数・数学が苦手な子供たちの学習支援ボランティアをしていく中で、生きづらさを感じている子どもたちと接する機会が多くあります。この生きづらさは何だろう。社会が大人がギスギスイライラしているから?常に評価の中にさらされて、「できない」を「できる」にすることを良しとする学校?みんなある程度同じ枠の中にいないとおかしい?この子達は見えない圧力を感じているんだろうなあと思いました。この子たちが生き生きと過ごせる社会はどんな社会?全ての人たちに優しい社会はどんな社会?私には何ができる?などなどいろいろ考えながら、大したことはできないけど「こんな社会に負けるな!おばちゃんと一緒に頑張ろう!」「社会を変えることはできないけど、とりあえず一緒に乗り越えよう!」との思いで今まで子供たちと過ごしてきました。申し訳ないことにこの全ての人たち、子供たちの中に、障害をもった人たちが無意識に入っていませんでした。障害をもった人たちは支援される人たちで分けるとか分けないとか考える前に、私の中では最初から違うところにいたんだと思います。  3年前、息子が働いている放課後等デイサービスでボランティアをして初めて障害をもった子供たちと接しました。その時、「この子達には社会を変える力がある!」「社会の宝だ!」と何だかよくわからないけど感じるものがありました。それからぷかぷかさんのFBを見るようになって、高崎さんのブログを読んでいくうちに、社会に必要なのはこれだあ!って思いました。でも実際にぷかぷかさんたちと、高崎さんのいう「お付き合い」をしたわけではなく、所詮、人が感じたことを見て読んでいるだけで頭で考えていることにすぎないわけで、果たして私はぷかぷかさんたちと「お付き合い」ができるのか、みんなが耕された癒される豊かになったって言ってるけど、自分は感じることができるのか、本当に「トク」と思えるのか確かめたいと思いました。ぷかぷかさんに会いに行ったり、ご飯を食べに行ったり、パン教室に参加したりしました。  通ってわかったこと。ついつい教育者目線になっている自分がいて、上から目線のつもりはないのだけれど、どうしても「してあげる」というスタイルが抜けない自分がいました。「お付き合い」に方法も正解もないのでしょうが、なんだかわからなくなってきたので、おもいきって演劇ワークショップに参加することにしました。大正解です。色々な表情のぷかぷかさんたちと時と場所を過ごしていたら、いつの間にか一緒にいると楽しくて、ぷかぷかさんたちがお友達になっていました。これがフラットな関係なのかな?って思いました。  ワークショップに参加している間、高崎さんから何度も感想を求められても書けなくて…なんで感想が書けなかったか。私の心が想像以上に固くワークショップ前半は教育者目線が抜けなくて、さらに自分の考えていることがあたかも障害をもった方を社会や健常者のために利用しているかのように思えてきて…なかなかしっくりこなかったから…ワークショップが終わってやっと書けそうです。 前置きが長くなりました、以下感想です。  練習は終始、ゆる~く始まりゆる~く進みます。せのーさんは練習中すぐにいなくなっちゃいます。だから、いつも「せのーさんは?せのーさんは?」って気にかけながらやります。それが狸さんチームの中で、狸さんチームのみんないる?になって…みんないるね?になって。誰も「またせのーさんがいないよう!」なんて言わない。あったかいんです。  しょうくんは、いたずらんぼさんで、人一倍恥ずかしがり屋で私の上に乗っかったり甘えてきたり、やんちゃばかりしていました。  でもリハーサルぐらいからスイッチが入って立派なオオカミを演じて、最前列で最高の笑顔で歌って、最後の感想を言った時はしゃくりあげるほど泣きながら頑張った想いを話してくれました。なんか、息子を見ている感じになってきて愛おしくて思いっきりもらい泣きしてしまいました。  ももちゃんは男の子たちのお世話役。お姉さんというよりもお母さん。いつも、「あ~あほんとにもう」と笑いながら手のかかる?男子のお世話を一緒にしました。  恥ずかしがり屋のみっちゃんは、初めはお顔も見れなくてお話もできなかったのが、最後のほうではニコッと笑ってくれるようになりました。  ゆみっちは、おはよーってハイタッチ&ハグ。最上級のウェルカムがもの凄い嬉しかったです。  コンビニの店員を一緒にやったちかちゃん。こうしようああしようと一緒に考えて練習して、いつも一生懸命がとても心地よかったです。  狸さんチームの名役者ヨッシー。彼のまっすぐな表現力には本当に助けられ、私たちのモチベーションをあげてくれて、狸さんチームを盛り上げてくれました。  くもさん、ナメクジさん、ミツバチさんチームのぷかぷかさんたちとも一人一人ほんとにいろいろなことがありました。で、思ったんです。なんだ一緒じゃん。障害があるとかないとか関係ないじゃん。確かに出来ない事や助けてもらう事は多いかもしれないけど私だって出来ない事いっぱいあるし、ぷかぷかさんたちにいっぱい助けてもらったり、大切な事をたくさん教えてもらった。なんでこんな当たり前の事がわからなかったんだろうって。当たり前なのに!  舞台が終わって解散した時、せのーさんが「ありがとう。」って。今までこちらから話しかけて少し会話はあっても、せのーさんの方から話しかけてきたことは一度もなく、嬉しくって涙が出ました。  ぷかぷかさんたちが作った迫力満点の背景画、魂のかたまりのような文字、小道具も一つ一つとてもセンスが良くてほんとにすごくて、舞台の上でみんなと一つになって、私もいっぱい笑って大きな声で思いっきり歌って、自分が自分にびっくりでした。みんなそれぞれのありのままを表現していて、人としてとても大切なことを教えてもらえたと感謝の気持ちでいっぱいです。  そして、ぷかぷかさんたちの周りにいるこのワークショップに関わった全ての方たちも本当に暖かくて、ぷかぷかさんたちも最高なんだけど、ここに集まってきた方たちも最高で一緒に過ごせて本当に幸せな時間でした。この出会いはぷかぷかさんたちのおかげです  最後に輪になった時、演劇指導をして下さったせつさんが、この演劇は誰も損なわない、お話に演出に自分を合わせていくのではなく、ありのままを表現して作っていく演劇だとおっしゃっていました。ありのままの自分でいること、いられること。今の社会では難しくなっていると思います。  表現の市場が終わってとっても寂しかったけど、またここからぷかぷかさんたちとの「お付き合い」の始まりなんだと思ったらすごく楽しくなってきました。  今でも、頭の中で「広場のうた」や「うんこのうた」がずーっとグルグル廻っています。  今回演劇ワークショップに参加して、今関わっている子供たちの可能性をさらに信じ、寄り添える自分に少しはなれたかなと思います。これもぷかぷかさんたちのおかげです。  本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。                              (ともちゃん) ●● 《なんだ一緒じゃん。障害があるとかないとか関係ないじゃん。確かに出来ない事や助けてもらう事は多いかもしれないけど私だって出来ない事いっぱいあるし、ぷかぷかさんたちにいっぱい助けてもらったり、大切な事をたくさん教えてもらった。なんでこんな当たり前の事がわからなかったんだろうって。当たり前なのに!》  演劇ワークショップはみんなで芝居を作る場です。でもそこでは演出家が決めたとおりに芝居を作っていくのではなく、みんなで「あーだ」「こーだ」いいながら作っていきます。地域の人たちが引っ張っていくのではなく、ぷかぷかさんと地域の人たちがどこまでもフラットに、一緒に作っていきます。だからこういう気づきが出てきます。  演劇ワークショップは、ただ単に芝居を作るだけではなく、そういう新しいことに気づく場、関係なんだろうとあらためて思います。  1980年代の初め、フィリピンから入ってきた演劇ワークショップに参加しました。それはもう目が覚めるような体験でした。一番感じたことは、演劇ワークショップの場で、人は限りなく自由になれる、ということです。 「これ、養護学校の生徒たちとやったら、今までにない新しい関係が生まれるんじゃないか、そこから新しいものが生まれるんじゃないか」 と、自由な空間が生み出す新しいものへの強烈な予感がありました。  で、横浜から東京練馬区の田舎にあった黒テントの事務所に何度も足を運び、養護学校の生徒たちと地域の人たちで一緒にやるワークショップの進行役をお願いに行きました。そのときの相手が、今、表現の市場で舞台監督をやってくれている成沢さんです。  あのときの予感が、今、こうやって花開いている気がするのです。  舞台が終わって、セノーさんに「ありがとう」っていわれ、その一言に 《 嬉しくって涙が出ました 》 っていう関係。  みんながね、輝いていたなって思うのです。
  • ぷかぷかさんと一緒に立った舞台、やり切った感、ハンパなかった。涙がこぼれ落ちてしまいました。
     栃木から毎回新幹線を使ってワークショップに参加した親子のすばらしい感想です。これほどまでの言葉を引き出すぷかぷかさんの存在の大きさをあらためて思います。 ●● 1・また来ます! あふれ出る涙がとまりませんでした。本番終わってみんなで輪になったとき、“泣かんよ。笑顔で終わるとよ”って決めていたのに。今日で終わりか、また会いたいな。そう強く思いました。      始発のバスに乗って新幹線へと乗り継ぎ、約3時間の道のり。月一回とはいえ、最後までやりきれるかいな… どうしようかと迷いました。その一方で、やまゆり園事件の被告と底流で繋がっていると言う息子… なら、一度一緒に体感してみればいい。高崎さんの言う「障害のある人と一緒に生きると豊かになる」って何が豊かになるのか、何がトクなのかを。半年間一緒に過ごしたら何か感じることがあるかもしれんよ。親子であーだこーだの意見交換… えーいっ!やらない後悔よりする後悔!そんな思いで息子と参加した演劇ワークショップでした。 2・おぉ、楽しい! やっていくうちに腹の底から楽しくなってくるのです。初めの頃は照れやちょっと取り繕いながら、自分を隠したりカッコつけたりしていたけど、だんだんと弱いところもさらけ出しながら、自分が表現豊かになっていくように感じてくる。回を重ねるたびに新しい発見がありました。 Aと質問したら、Bと返ってくるだろうという今までの人生観では全く歯が立たず、私の予想をはるかに超えてくる。そうくるか、そういうのもありやんね、そりゃそうだ、ごもっとも。みたいな、そんな感動体験が私をいつまでも惹きつけてはなしません。それにみんなすごく素直で思ったことをストレートに表現するから、リアルで人間味があってとても魅力的に思えて、私はぷかぷかさんの大ファンになっていました。私にとってそこは自然と笑顔になれる場所で、優しい空間でした。そんな彼女、彼たちと一緒に立った舞台。やり切った感、ハンパなかった。ぷかぷかさんたち一人ひとりとふれあった思い出が頭の中で駆け巡り、みんなで頑張った喜びと終わってしまった寂しさとが複雑にからみあって、涙がこぼれ落ちてしまいました。本番直前、廊下の片隅でセノーさんと手を繋ぎ練習したときのあのいい表情も脳裏に焼き付いて離れません。 3・息子がやるべきこと 発表会前日。6回目のワークショップを私は法事で欠席したため、休んだ分大丈夫かなと不安でたまりませんでした。それに輪をかけて不安なことが私にのしかかってきました。今までなんだかんだと言いながらも一緒に参加してきた大我が「ワークショップには行かない。部活に行く」と言い出しました。聞けば、大我の所属している社会福祉部でのボランティア活動とワークショップが重なっていたらしく、はじめの頃は理解してくれていた先輩も、毎回毎回休むので、「学校の部活が優先だろ」と先輩からつっこまれ、副部長だったのを下ろされたと言います。 そんなこととは知らない私は、どうしたものかと気をもみました。でも、板挟みになりながらも、誰にも言わずぷかぷかさんを一番に考えてやってきたのだからやっぱり、最後まで参加してほしいと願いました。大我もいろんな葛藤や思いがあったと思います。でも、舞台に出ると決め、一緒に舞台に立ってくれたことは、嬉しかったことの一つでした。 4・人と人をつなぐもの“表現の市場” ワークショップに参加してこの半年、たくさんのことを感じ、たくさんのことを学ばせていただきました。お芝居を一緒につくり、舞台に立つという同じ目標に向かって協力しながら、終わったときはハイタッチして喜びを共有した。同じ目標に向かって取り組むこと、気持ちを分け合うことができるこのような場が私も日常的になればいいのになと思いました。 このような取り組みはいつしかできてしまった健常者と障がい者のカテゴリーを「人間はどんな境遇にあろうともどんな障害をもっていようとなかろうと人は人」という思いで結びつける。今まで障がいのある方と接するとき支えてあげなきゃと、上から目線でのボランティア活動しかやってこなかった自分を振り返り、見つめ直すいい機会をいただけたと思っています。新幹線は利用しましたが、それ以上にお金では得ることのできないすっばらしい経験をさせてもらいました。親子で最後まで参加できて本当に良かった。 今、思えば大我の宿題がきっかけでぷかぷかパン屋さんの新聞記事を読み、テレビの番組で高崎さんを見て、ブログでワークショップを一緒にやる方募集中と知って、ぷかぷか映画の試写会へとつながったのは偶然ではなく私たち親子にとって必然だったのだと、そう思わずにはいられません。大我は何がトクなのかわからんかったと言うのですが、ワークショップに参加して悩んだり後悔したり考えて自分と向き合ったこと自体が、何も考えずに過ごす人生と比べてもうすでにたくさんトクしてるって大我に伝えました。 私が最後に泣き崩れてしまったとき、ボルトくんが背中を支えに来てくれました。彼はずっと大丈夫?と声をかけてくれていました。私が落ち着くのを待って手をはなそうとする時も「もう手をはなしても大丈夫かな?」「放すよ、いいかな?」って言って自分の席にもどられました。今まで生きてきてこんなに優しい言葉をかけてもらったことがあったかいなと、やさしさが心に響いて本当に癒されました。彼のやさしさに心から“ありがとう”と言いたいです。誰かと心で繋がれることって何よりも力になる。私も人の喜びや悲しみにそっと寄り添えることができる人間になりたいと思います。  暖かくなったら、今度は働くぷかぷかさんの姿を見に行くつもりです。今からワクワク楽しみにしています。 高崎さん、こんな親子を受け入れてくださってありがとうございました。                               (きょんたん)                                       《 なんて生きる価値のある人たちだろうと思った。》(きょんたんの息子) 中学二年生の夏休み。「相模原殺傷事件」が起きた。「障害者は生きる価値がない」と。あまりの衝撃に朝起きて顔も洗わず、テレビのニュースにしがみついていたのをよく覚えている。 僕は被告のような思想は誰の心にもあるのではないかって、それがずっと心の奥で引っかかってきた。例えば街で障害者の方が突然大きな声を出す様子に嫌悪感を抱き、関わりたくないと思ってきた自分。中学生になり、知的障害者施設にボランティアに行こう!と誘われたときに、障害者の方は怖いという勝手な思い込みで、「行きたくない。それだけは勘弁して」と言い張った自分。それは僕も無意識に差別する側に立ち回っていて、被告の発想と心の奥底で繋がっているのではないかと。僕の心は弱くて醜い。“やっぱ俺は、クズだな・・・”と思ってずっと過ごしてきた。 一年後の夏休み、“新聞を読んで感想を書こう”という宿題のため新聞の記事を探していたら、〝障害者と一緒 豊かな生″という見出しに目が留まった。ぷかぷかパン屋さんの記事だった。僕はなぜかその記事を捨てずに取っていた。高校生になったある日、たまたま付けたテレビ番組にぷかぷかさんや高崎さんがでていてあの新聞記事とリンクしたことに少し驚いた。母からワークショップに誘われたときは、どうしようか悩んだが、高崎さんのいう豊かになるってなんだろう、それが知りたくて確かめたいと思った。 (2017年7月25日朝日新聞) ぷかぷかさんと接してきておもしろかったり、ときにはむっとしてしまったり、いろいろあったけれど、何よりも僕は人前で表現するとかが嫌で嫌で、そこから逃げていた自分だったように思う。リハーサルの日もそう。僕にも役があり、しかもオオカミのかぶりものまであるとわかったとき、やっぱり今日は部活にいっておけばよかったなと後悔した。舞台に立つなんてなれないことに身体はどっと疲れた。しかし、ぷかぷかさんたちはニコニコ元気、とてもいい笑顔だった。疲れた顔をしているのは僕だけで「なんでこの人たち笑っていられるんだろう」と不思議だった。その姿を見ていて、ぷかぷかさんたちはやらされてるとかでなくて、自由にありのままの姿で表現することを楽しんでいる。特に一緒にオオカミ役をやったしょうくん(こうきくん)が♪なんでもいいから一番になーれ♪と歌っている姿がきらきらと輝いてとっても印象的だった。僕にはやらされているという気持ちがずっとどこかにあった。ぷかぷかさんと僕の違いはそういう心の違いだと思った。 本番当日。舞台も終わり、最後に円陣を組んでみんなの意見を聞いていたとき、しょうくんが泣きながら、この演劇に対しての思いを話しているのを聞いて、心にぐっと突き刺さるものがあった。僕の前で悪ふざけしたり、おどけてみせるしょうくんしかみえていなかったので、あんなしっかりした思いで頑張ってきたんだと、それに比べ僕はなんなんだ。本番はでたくないと、なんか駄々をこねている小学生のようだったと恥ずかしくて穴があったらはいりたくなった。そして、元気の出ない僕に「着替えよう」とか「頑張ろう」と声をかけ続けてくれたしょうくんや、相手を思いやり大切にするぷかぷかさんたちの姿をみて、生きる価値がないなんてとんでもないぞ。なんて生きる価値のある人たちだろうと思った。 一緒に参加した母はこの半年、本当に楽しそうだった。最後に母が泣いているのを見たとき、この人はぷかぷかさんたちと心と心で向き合って同じ気持ちを感じてきたんだなと思った。 来年は部活を頑張ろうと思う。でも、いつか大学生とか社会人になって、また改めて参加してみたい。そのときは母に負けないように心の底から楽しみたいと思う。高崎さんのいう何が豊かになるのか今の僕にはまだわからないけれど、恥ずかしくてたまらんかった舞台に、ぷかぷかさんたちと一緒に立ててよかったと今、思っている。ありがとうございました。 しょうくんへ 僕なんかと一緒にオオカミ、やりにくかったよね。ごめんなさい。そしてありがとう。 いつかまたしょうくんと一緒に豚でも馬でもなんでも、タッグを組んでやりたいです。                                                                 (タイガ)                                         
  • 舞台に立ち、ライトやお客さんからの拍手を浴びるというのは、こんなにも人を輝かせる
     ワークショップの進行役をやった倉田春香さんが表現の市場についてのブログをシェアしてくれました。そのFacebookに、とても素直な感想がアップされていましたので紹介します。舞台に立つぷかぷかさんたちの輝きをよく伝えています。 ●● 実はBonds of Heartの活動とは別に、こちらのワークショップにも進行役で関わらせて頂いておりました!   横浜にある、知的障害の方達が働くパン屋さん「ぷかぷか」主催の演劇ワークショップ!   8月から月一回、ぷかぷかさん達(知的障害を持つ方達)と地域の方達が、約半年間のワークショップを経て、最終的にホールで発表するものです。   今回で5回目となるこのワークショップ。お話は、宮沢賢治の「ほら熊学校を卒業した3人」を元に作り上げていきました。 私は「地域の方」ではないけれどw第一回目の時からご縁あり参加者として参加させて頂いておりました。 その初めて参加した時、舞台に立つぷかぷかさん達の魅力にはまり、そこからほぼ毎年参加させて頂いておりましたが、今回は初の進行側。やはり参加者の時とは色々かってが違い、あたふたする事もしばしば💦 大変な事もあったけど、とても勉強になり、無事に終わってほっとしております。   何よりやはり、ぷかぷかさん達の舞台に立った時の姿です。もちろん技術的な事でいったら足りない部分は多々あるかと思います。 でもぷかぷかさん達はその場をありのままに楽しんでいる感じがします。本当に素敵な表情です。そしてスポットライトを浴びた時とてもキラキラしていて、やはり舞台に立ち、ライトやお客さんからの拍手を浴びるというのは、こんなにも人を輝かせるんだと思いました。 そんな素直でありのままに舞台に立つぷかぷかさん達を見ていると、こちらまで楽しい気持ちになり、演劇の素晴らしさを改めて教えてもらうような気がします。 このぷかぷかさん達が教えてくれる事を大切に、自身の活動にも活かしていきたいです。   そうそう!こちらのホールでの発表は「表現の市場」といって、ぷかぷかの発表以外にも様々な方のパフォーマンスの発表があります! そこに今年は身体障害の方達との演劇グループ「みなせた」も参加させて頂きました! 今回の「みなせた」の演目はファッションショーならぬ車椅子ショー!会場からは思わぬ拍手も!とても楽しい時間を過ごさせて頂きました!   長くなりました💦 そして写真を撮る余裕が全然なかったので、ぷかぷか代表の高崎さんのブログをシェアさせて頂きますm(__)m 舞台のセットもぷかぷかさん達の手作り!素敵ですよね💕
  • この人はホントに真っ直ぐな人なんだなあと感動してしまいました。
     今回のワークショップに一家4人で参加したお父さん(まーさん)の感想です。  まーさんは演劇ワークショップは初めてですが、ぷかぷかさんたちといっしょに芝居を創っていく中で、とてもいいおつきあいをしています。障がいのある人たちとのイベントでよくある「障がいのある人たちに何かやってあげる」という感覚は全くありません。どこまでもフラットなおつきあいの中で、いっしょに芝居を創っていきます。  地域のふつうのおじさんが、こうやって障がいのある人たちと新しいものをいっしょに創り出す活動をするなんてすごいことだと思います。しかもこれは「病みつきになる」とまで書いています。それほどまでに魅力のある場がここにあります。  ぷかぷかさんのさりげないひとことにまーさんは感動したりします。フラットな関係だからこそできたことです。上から目線の「やってあげる福祉」では、あり得ない豊かな関係がここにはあります。 ●●  当日の感想でも申し上げましたが、今でも「みんな凄いな!」の一言です。  ぷかぷかさんは勿論この演劇に関わった全ての方のエネルギーや思いが重なってなんだか凄い空間だったな、と驚き、喜び、感動などが入り交じった不思議な感覚です。 思えば前回の表現の市場に参加した妻と娘に半強制的に連れられて演劇ワークショップに参加したのが約半年前。  何回かの参加を通じてみんなとは少しずつコミュニケーションも取れるようになれたし、なんともいえない暖かく居心地の良い空間だというのも感じることも出来ました。 ただ、演劇に関しては本当にこれで見ている人に伝わるのか年明けのワークショップでも不安でした。  ところが、本番前日からぷかぷかさん達のスイッチも入ったのか急にいろんなことが形になり始め、「成るようになるかも」ぐらいには楽天的に構えられるぐらいになりました。  そして、本番当日。  せつさんが言っていた通り魔法が掛かりました。みんな最高でした。それぞれが思いのままに自由に自分の演じる役割を表現していました。  気のせいかもしれませんが、一緒にナメクジをやったぷかぷかさん達とはこれまで以上に深いレベルでコミュニケーションが取れ、気持ちが一つになれた気がしました。 この2日間はまさに本番に向けてずっと上昇し続けたような高揚感を味わいました。  去年は観覧する側でしたが、参加した今年はぷかぷかさんとの距離も縮まりとても「得した」気分になりました。  普段、特別問題意識があるわけでもなく、せっかくの休日に半強制的に連れて来られ何が何だか解らないまま参加させられた「その辺のおじさん」でも演劇ワークショップは病みつきになる、というのは本当かもしれないなと思いました。  今年は残念ながらインフルエンザで参加を一番楽しみにしていた妻と、下の子が参加出来ませんでした。次回は是非4人揃って参加したいと思います。 P.S.  クモやたぬきが1番になったときに「くっそー!」と悔しがるナメクジの演技をしたときに、はっきりとは覚えていないのですが横山さんに「そんなこと言っちゃだめだ。なんでそんな事を言うんだ。」的なことを言われて怒られた(?)時に「いや、演技だから…。」と思いながらもこの人はホントに真っ直ぐな人なんだなあと感動してしまいました。     以下、娘の菜夏からです。 高崎さんへ おつかれさまでした。 ワークショップはたのしかったです。 みんなとなかよく出来てうれしかったです。 ほんばんもちょっとドキドキしたけどがんばりました。 高崎さんは感想はどうでしたか? また新しいワークショップを作って下さい。 しゃしんパシャパシャ百枚以上とってください。 おうえんしています。がんばってください~~。                               ななより
  • 「あの広場のうた」を一緒に歌いながら目頭が熱くなりました
     「表現の市場」について少し長い感想書いてくれた方を紹介します。 ●映像クリエイターの仲間の方です。  表現の市場、最高でした! 和太鼓は間に合わなかったのですが、かっこいい車いすのショーから拝見。 江原さんとだいちゃんの演奏にしびれ(あのかっこよさをどう表現したらよいのでしょう)、 はっぱオールスターズのパフォーマンスに笑い転げ(相鉄線のうた、涙を流して笑いました)、 楽しみにしていた洞熊学校ののびやかさ、クリエイティビティにのめりこみました。  私は小学校の4年生から3年間、養護学級の人たちと給食を食べ、放課後の掃除をいっしょにしていたので(そのうち登下校も一緒に)、彼らのやさしさ、人懐こさはよく知っているつもりでいましたが、自分が表現することを仕事にしてきてからは、クリエイターとしての彼らの感受性や表現力に「かなわないなあ」と心底リスペクトするようになりました。  洞熊学校のタペストリーの迫力、おもしろさ、美しさ。 ワークショップを通して、みんなで創り上げたと伺った、ひとりひとりが個性的であると同時に全体でうねるように展開していくストーリーのおもしろさ。 本当に本当に、最高でした。   休憩時間にロビーで買ったパンの香りにがまんできなくなった次女が、なにもつけずに食パンをぱくぱく食べて、おいしーーーい!あまい!と叫んでいました。私はとってもかわいいブローチをゲットして大満足です。 ●同じく映像クリエイターの方で、昨年の表現の市場の記録映画を作ってくれた方です。ぷかぷかのプロモーションビデオ第2弾、カナダで上映した『Secret of Pukapuka』、ぷかぷかさんのカナダ珍道中『ぷかぷかさんカナダをゆく』を作った方です。  今回は体調が悪そうで大変でしたね。でもセツさんが機転を効かせて副校長を演じられたのにはとても感激しました。どんなことが起きても失敗ではない、というのがぷかぷかの舞台のメッセージの1つだと思いますが、図らずもそれを表すシーンになりましたね。前回、前々回は撮影しながら舞台を拝見していたので、カメラのアングルや録音などを気にしながら客観的にしか観ることが出来ませんでいたが、今回は集中して観ることが出来てとても感慨深かったです。予想通り(?)ぐずぐずになるシーンもありましたが、込められたメッセージや舞台の制作の苦労が伝わってきて「あの広場のうた」を一緒に歌いながら目頭が熱くなりました。 ●金沢からワークショップに参加した方です。「第一期の演劇ワークショップの記録映画」を見て、参加しました。ダンスをやっています。  今回「表現の市場」に参加することで “演じる”と“表現する”のちがいというか… 何かを演じてるようだけど、その人らしい、その人だけの表現があることの面白さを発見させてもらいました。 たとえば… ミツバチの動きに、好きな戦隊モノの決めポーズを入れたり 「うさぎとカメのかけっこ」に何故かダンサーが混ざって、ずっと踊ってたり(笑) それは、一人ひとりにとって今の自分を表現する大切な力。 でも、その力が生まれるのは、否定されたり無理やり変えられたりされることの無い場をつくっている皆んながいるからなのかもしれない。 だから 「表現の市場」というテーマの発表を「みんなでワークショップ」という練習を通してつくっていけたのだと思います。 共演した、デフパペットシアター ひとみの方たちやダンス講師の伊藤多恵さんにはカラダを使った表現の可能性や力強さを感じることができました。 ピアノ、チェロ、舞台のシーンそれぞれに奏でられた音、うんこの歌、ミツバチの歌…笑 体調不良で声のかすれた高崎さん、台本にはないセリフや動きが生まれる舞台は何とも “そのままのわたし達”が凝縮された空間だったように思います。 今回の「表現の市場」で何を得たのかはうまく言えませんが、これから自分がどんなふうに生きていくかの大切なスパイスになったことだけは確かだと思います。 ●地元の方でぷかぷかの大ファン。ワークショップには3回参加。今回は内容がグロテスクなのでパスしました。  今回の演劇ワークショップには不参加でしたが、食うや食われる、と言う部分、ナメクジや蜘蛛の連想は(あくまでフィクションと分かっていても)原作を読んで何とも言えない気持ちになってしまったので、参加していたら正直、まずワークショップ中メンタルがきつかっただろうなと思いました。私が気にし過ぎなんですけどね(笑)  なので、この舞台は少々頑張って覚悟して見ました。私の、この話に対する怖い感はともかく。ぷかぷか版だけに話も オドロオドロし過ぎず 、ぷかぷか風に進んで行きます。他を出し抜いても一番になろう、一番になれ!との学校の教え、生徒の蜘蛛やタヌキやナメクジのそれぞれの、やった事、ナレノハテ。そして自由なハチ、、、。  セット、、凄味があってすごく良かったです。回を重ねる毎にますます凄く鋭くなって行く!!次に描写。蜘蛛の影絵での表現、ナメクジがトカゲを舐め溶かしながら食らう場面、狸が死に草に埋もれてゆく描写など、成る程すごいなぁ、、、そう来たか!場面場面の表現がリアルですばらしかったです。ぷかぷかメンバーさんの所々のセリフや動き、表情、一人一人、〇〇さんの動き楽しい!▽さんの(間)あれは偶然? ○○さんのセリフ面白い!などなど、メンバーさんを知っているからこその見方も出来て楽しかったですね。  舞台を見た方が(障碍者イベントと言うと、支援者にしっかり支援された障碍者が決まった事をおとなしくやっているイメージがあるがここでは全く違う)と話しておられましたが、その通り。ですよね。ですです。一括りで障がい者ではなく、あくまで個々の人が立っている感じ。それぞれの人柄がでています。  私は今回出なかったからメンバーさんと過ごす時間が無くて、、やっぱりそれは寂しかったな、、と、しみじみしましたやっぱり、もっと一緒に過ごしたいな。 ●長野から来られた方 この世界に一緒にいられて           シアワセでした  🌀ぷかぶかさんの 表現の市場     自分もわりと長年表現活動やパフオーマンス をやってきているのですが、今日のどの場面 でも「これはなんだ?」「この愉しさはなん だ?」「時間を忘れた!」「この観客の空気 はなんだ?」とおどろくばかりでした。  🌀彼らはとても自然体で今、瞬間をステージの上で生きてそして在ました。  🌀自分がやってきたどの太鼓とも違う。そして二番目の「いろいろな電動車いす と いろいろな私たち」こんなステージがあるのか、そして観客の自然なやさしい拍手  🌀はっぱおーるすたーずの「ラップ相鉄線」がずっと残ります  🌀そしてラストのミュージカル「洞熊学校を卒業した三人 ぷかぷか版」不思議なずっと気になる、豊かな時間が流れていたというか、時間という概念がなかったというか、とにかくぷかぷかさんたちがいたのでした。 
  • 花岡さん自身が舞台を楽しんでいる
     花岡さんが「表現の市場」の舞台にhanaちゃんといっしょに立った話を書いています。  ameblo.jp 《 大きな覚悟を持って社会に出て行くことと同じなんだ。  hanaの重みは、もうhanaだけではなく、色んなものを背負っている重みなのだと。》    確かにそうだと思いますが、そういったものを超えて、花岡さん自身が舞台を楽しんでいる、というところが大事だと思います。だから舞台があんなに楽しい。大きな覚悟だけでnahaちゃんを背負っていては、見る方もしんどくなります。  昔教員をやっていた頃、子どもたちとやる芝居にお母さんたちを巻き込んだことがあります。そのときお母さんたちにいったのは、 「お母さんとしてここに立つのではなく、お母さんを取っ払った一人の人間としてここに立ってほしい。そうしたとき、初めて舞台の上で子どもたちと出会えます」  いつもいつもずっとお母さんでいて、自分を忘れている気がしたからです。それを舞台に立つことで思い出してほしかったのです。  ちょうどその頃体育館の舞台ではなくプレイルームを占拠して「芝居小屋」という自由な空間で子どもたちと芝居をやっていました。お母さんたちもいっしょに立つ機会を作りました。 pukapuka-pan.hatenablog.com  
  • 子供達を連れて行っても気遣わないでいられるから
     演劇ワークショップに親子4人で参加している方の感想です。お母さんとお子さん二人はミツバチのダンスをやりました。 ●●  はじめは、このお話の意味するミツバチらしさを、どう表現するのか全く想像がつきませんでした。  あの短時間で、先生のお話に引き込まれているうちに次々とダンスが出来上がっていき、出演者それぞれがそのままミツバチになっただけというか、大人だったり、子供だったり、ダンスが得意だったり、表現力豊かだったり、子連れだったり、全部を通してそのままの個が尊重されてる気がしました。  個々の表現がそのままどんどん場面に組み込まれていって、左右のグループに分かれて踊る所は、誰の踊りが一番と主張し合うのではなく、お互いの考えた踊りをマネし合っている所が、お互いを認め合っている様にも感じました。  先生が、ダンスを作る段階でそれを自然と盛り込んでしまっているところがすごいと思いました。  このお話の設定のミツバチの様に、型にはまらない、自由なダンスが出来上がって楽しかったです。  ななは自分の自由な表現が出来た事も嬉しかった様でした。りょうやも珍しく脱走する事も少なく(笑)楽しそうに参加していました。 www.youtube.com  私が真ん中でやる役になり、りょうやが本番でどういう動きをするか分からないので、それが心配だと、先生にお伝えしたら、先生が(はっきり覚えていないのですが)「みんなで見るから大丈夫」という様な事を仰って下さった時、同時にその場にいた他の方達も自然に同じ事を仰って下さったのが嬉しくてありがたかったです。  以前、主人に、私がぷかぷかが好きなのは「子供達を連れて行っても気遣わないでいられるからなんだろうね。」と言われた事があります。  うちの子供達は人一倍、好奇心旺盛なので、外に行くと私はヒヤヒヤして目が離せないのですが、ぷかぷかでは、自由にさせていてもいつも皆さん温かく見守って下さるので、元々自分自身にとって居心地のいい場所ですが、子供達にとっても、親の立場としても、優しい場所なのだと思います。  それを、お芝居を作る過程で自然と作り出したのでしたらすごい事ですね。   1月27日(日)親子で舞台に立ちます。
  • 最近の日記
    カテゴリ
    タグ
    月別アーカイブ