ぷかぷか日記

セミナーのお知らせ第3弾

3月8日(火)オンラインセミナーでぷかぷかの話をします、第3弾

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こんな事前質問がありました。

 

  利潤を追求する企業に対して、障がい者採用など、思うことはありますか?

 

 養護学校の教員をやっている頃は企業で仕事をやっていけるような訓練みたいなことをやっていました。今から思うと恥ずかしいことですが、いろんなことができることがいい、といった価値観です。企業に子どもたちを合わせようとしていたのです。

 ところがぷかぷかを始めてから、自分を押し殺して社会に無理にあわせるよりも、そのままの彼らの方がずっと魅力的であり、その魅力こそが社会を豊かにすることに気がつきました。

 ですから、障害者雇用というのも、障害者のためというより、企業のためにやった方がいい、と考えるようになりました。できないことをできるようにするにはどうしたらいいのか、と考えるのではなく、できない人と一緒にやっていくにはどうしたらいいのか、と考えるのです。そう考えることで、企業が豊かになるのではないか。

 こんなことはできて当たり前、と考えていることが、なかなかできない人もいます。そういう人もいる、という気づきはとても大事です。私たちの中にある人間のイメージを少し広げてくれます。そのできない人と一緒にやっていくにはどうしたらいいか、を現場の人たちみんなで考えるのです。

 生産性の論理の中で、生産ができない人とどうやって一緒にやっていくのかを考えることは、ものすごく大変です。でも、その大変さが現場の人たちの思考を鍛えます。

 生産性の論理の中で、辛い思いをしている人はたくさんいます。いつも生産目標に追われたり、人生にゆとりがなくなったり…。

 どう転んでも生産性の論理に合わせられない人とどうやって一緒にやっていくのかを考えることは、生産性の論理はほんとうにすべての人に幸せをもたらすのだろうか、と問うことでもあります。生産性の論理を絶対視するのではなく、この機会に柔軟に疑ってみる。そうすると、私たち自身、生きることが少し楽になります。

 

 できないことがいろいろあっても、その人がいることで現場の雰囲気がなんだかゆるっとなったとか、何かあたたかな雰囲気が生まれたとか、楽しくなったとか、いろいろあると思います。そういったことが生産の現場でどのような意味を持つのかを考えてみることはとても大切なことです。

 そういったことを考える中で、「できるできない」で人を評価するのではなく、もう少し違う視点から人を見る、ということが出てきます。そういう視点は現場を豊かにします。

 そんな風に考えていくと、障害者雇用というのは、企業の現場を豊かにすることが見えてきます。

 

 いずれにしても頭を柔らかくしてあたった方がいいですね。

 下の写真見て、「これまちがってる」ではなく、「あ、なんかおもしろいじゃん、今日はこれで行こう!」みたいなセンスで、次々に起こる想定外のことに楽しく向き合う方が、日々が豊かになります。

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 障害者雇用の現場も同じです。ガチガチの頭で向き合っていると、お互い辛くなるだけです。障害者雇用は、ガチガチの頭をほぐす、いいチャンスです。

反対さん

精神障害の人たちのグループホームの建設に反対する人たちに焦点を当てたドキュメンタリー映画『不安の正体』の上映会をします。

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 映画は先日東京で見たのですが、グループホーム建設の説明会で「こんな人たちが来れば治安が悪くなる」「子どもたちの安全を守れるのか」「地価が下がる」などの怒号が飛び交い、娘が精神障害の当事者である私にとってはほんとうにこたえました。相手のことをよく知った上での抗議ではなく、偏見、思い込みの上に立った怒号です。

 単なる偏見、思い込みであっても、それは当事者、関係者を傷つけ、苦しめます。だから

 「反対派はけしからん」

と、つい私たちは思っています。そんな感じで私自身もグルーホーム建設反対運動について何本かブログを書いてきました。そのブログを読んだ方のメールにこんな言葉がありました。

「反対さんも、それはそれで生きにくいんじゃないのかなと思います。」

 ほんとうにその通りだと思います。相手と会って、ちゃんとおつきあいすれば、

「なんだ、自分と変わらないじゃん」

となるのですが、知らないことで不安が増幅し、自分を苦しめます。生きることがどこか不自由になります。

 そんな人たちを「反対さん」と表現するところがいいと思いました。「反対派」ではなく、「反対さん」。

 なんかね、とがった心が丸くなる感じがしました。そうやって相手を見ていくことが、私たちの側にも必要だと思いました。

 偏見、思い込み故に「反対さん」の心もとがっています。その心を丸くするにはどうしたらいいのか。それが今回の上映会のテーマです。

  昨日「ぷかぷかさんお昼ごはん」(ぷかぷかの食堂)の入り口にあったメニューです。なんか見ただけで、キュンとあたたかな気持ちになりました。一瞬にして相手の気持ちをやわらかくしてしまう。これがぷかぷかさんのチカラです。まねできないです。

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 こういうセンスで「反対さん」たちに、とがった心が丸くなるようなメッセージを届けたいと思うのです。 

 5月7日(土)横浜線長津田駅前の「みどりアートパーク」のリハーサル室です。時間は午後1時〜4時です。監督の飯田基晴さんも参加します。

 部屋が60人と狭いので、参加希望の方は高崎まで連絡下さい。045−453−8511(ぷかぷか事務所)ですが、いないことが多いので、takasaki@pukapuka.or.jpにメール下さい。参加費は800円です。

彼らと出会う人が増えると、社会全体が豊かに

3月8日(火)オンラインセミナーでぷかぷかの話をしますー第2弾

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セミナー事前質問ーその2

 

●やまゆり園事件について、どう思いますか?

(世間は犯人の異常性や施設の防犯の不備などを理由にしていますが。)

 

 ひとことで言うと、日々相手をしている障がいのある人たちと「人として出会ってなかった」ということだと思います。人として出会っていたら、あのような残虐なことはできません。

 障がいのある人たちは「支援」するという関係が一般的ですが、その関係は相手と人として出会うことを阻害するのではないかと思っています。「支援」は相手に何かやってあげる、という上から目線の関係であり、フラットな関係ではありません。相手を自分よりも下に見るので、相手と人として出会い、たくさんのことを相手から学ぶ、ということができません。

 

 私は養護学校の教員になった時、日々想定外のことをやってくれる障がいのある子どもたちに、どう対応していいのかわからず、もうほんとうにオロオロする日々でした。弱さむき出しで、裸で向き合った感じでした。でも、それ故に、相手と人として出会えた気がしています。オロオロしながらも、彼らのそばにいると、妙に心が和み、あたたかな気持ちになることに気がついたのです。

 いろいろ大変だけど、なんだかいい人たちだなぁ、この人たちのそばにずっといたいな、としみじみ思うようになりました。月並みですが、彼らとおつきあいする日々の中で、「人間ていいな」ってしみじみ思えるようになったのです。そういう、人が生きていく上でとても大事なことを、彼らは教えてくれたのです。あれができないこれができないと馬鹿にされている彼らに教わった、というところが大事です。ここにこそ、彼らといっしょに生きる理由があります。

 

   宮崎からやってきたこうちゃんは、そばにいるだけで気持ちが和みました。

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 これが、彼らと人として出会う、ということです。「支援」という関係が、そういう出会いをも生むのであれば、事件は起こらなかったと思います。

 事件についてのブログで、「支援」という関係について何度も書きました。書いたブログは、ぷかぷかのサイトだけではなく、障害者支援団体のネットワークサイトにも投稿しました。ところが何度も投稿しているうちに、二つのサイトから閉め出されました。「支援」という関係について批判的に書いていたので、多分胸にチクチク刺さったのだと思います。その痛みをしっかり受け止めるのではなく、排除してしまったのです。

 そういう意味で、事件はやまゆり園の問題にとどまらず、「支援」という関係に寄りかかっている福祉事業所全体の問題でもあると思っています。

 

 彼らと人として出会うと、私たち自身が人として豊かになります。彼らと出会う人が増えると、社会全体が豊かになります。

「おいしいから買う」 という関係

3月8日(火)オンラインセミナーでぷかぷかの話をします。

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 事前の質問にこんなのがありました。

 

●パン屋でも、本気で美味しいパンを焼きたいという熱意の根源には何がありますか?

 

 福祉事業所で何かを販売すると、よくあるのが

  「障がいのある人たちが作ったものだから買ってあげる」

「障がいのある人たちの作ったものだから買ってもらって当然」

という、お互いのもたれ合いの関係です。こういう関係の中ではおいしいものは生まれません。何よりもメンバーさんの仕事のテンションが下がります。仕事のテンションが下がると、人生のテンションが下がり、人生の楽しさが激減します。

 そういったことを考え、ぷかぷかでは

 「おいしいから買う」

という関係を作ってきました。「障がいのある人たち」という言葉に甘えるのではなく、自分たちの作った商品そのもので勝負しようと思ったのです。

 

 以前、区役所の弁当販売でほかの福祉事業所と販売日が重なったことがあって、

「どうして調整しないんだ」

と、区役所に文句を言った事業所がありました。話し合いの場で、私は

「お互い競争すれば、もっといいものができるのではないか」

といったのですが、相手の福祉事業所の方は

「うちは福祉だから競争しません」

などといいました。

 いいものを作る努力を、福祉を理由にやらない、といってるのです。こういう発想だから、いいものはできないのだと思いました。メンバーさんたちの仕事のテンションも上がりません。メンバーさんの人生なんて、考えたこともないのだろうと思いました。

 

 ぷかぷかさんたちは区役所などの外販に行って、全部売れると

 「完売しました!」

とうれしそうに報告してくれます。彼らの笑顔が更にお客さんを呼び込みます。お客さんが増えると、更に売り上げが伸び…という好循環が生まれます。人生が楽しくなります。

 ぷかぷかはみんなでいい一日を作ることを大事にしています。いい一日を作るのは、お互いいい人生を生きたいからです。そういう思いがあって、「おいしいから買う」という関係を大事にしてきたのです。

バングラディッシュにぷかぷかのような場所を作りたい

 バングラディッシュにぷかぷかのような場所を作りたい、といって相談にきた人がいました。

 バングラディッシュで長年福祉活動をやってきた方で、日本に帰国した際、『ぷかぷかな物語』を読み、

《 障がいのある人たちといっしょに生きること自体に価値がある 》

という考えにとても共感。今度新しい場所を作るので、ぜひぷかぷかみたいな場所にしたいという話でした。

 バングラディッシュでは「障がいのある子どもが生まれるのは母親のせいだ」と思われていて、そういう子どもが生まれると離婚されてしまうことが多いそうです。そんな中、家族から見捨てられた障がいのある子どもたちを集め、小さなコミュニティーを作ってきたといいます。

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コミュニティーを作ってきた岩本さんの似顔絵をさっそく描いていました。

   

 

 家族に見捨てられ、辛い思いをしている障がいのある子どもたちやそのお母さんたちをなんとかしたいと思っている中で、

《障がいのある人たちといっしょに生きること自体に価値がある》

という考えとの出会いは、

「そうか、そんな風にみんなが考えるようになれば、この社会が変わるかも」

と大きな希望を作り出したと思います。

 

 今活動しているところよりも、もっと貧しいところ、より厳しい環境のところで新しい事業を立ち上げるそうで、その志の高さを尊敬します。福祉制度の全く整っていないところでどんな風に運営していくのか、話を聞いただけで頭がクラクラしそうです。ぷかぷかとして何ができるのだろう、と思いました。

  向こうで活動するメンバーさんたちの写真送ってもらえれば、ぷかぷかさんたちに似顔絵を描いてもらいましょう、という話が出てきました。できあがった似顔絵を向こうに送り、どこかに展示してもらうような、そんなおつきあいが始まれば、そこからまたいろんな新しい関係が広がっていく気がしています。

 

 ぷかぷかのロールパンや食パンを食べて、子どもたちやお母さんたちといっしょに作れたらいいなとおっしゃってました。おいしいパンができたら、まず自分たちで食べてみて、おいしい!って思ったら、小さなお店をかまえて販売すればいい。多分バングラデッシュにはないパンで、評判になるかも。パンは毎日食べるものなので、アクセサリー等を作るよりもしっかりと収益を生み出します。

 近くであればパン教室をやりに出かけられるのですが、バングラデシュでは、そう簡単には行けません。せめてパン作りの簡単なビデオを作ってプレゼントしようかなと思っています。粉を計るところから始まって、こねる、発酵させる、分割し、成形し、更に発酵させて、焼き上げます。誰が見てもわかるようなパン作りのビデオです。それを見て、

「あ、なんかおもしろそう、ちょっとやってみるか」

ってみんなが動き出したらいいなと思うのです。新しい歴史が始まるかも知れません。役に立たないと家族から見捨てられた障がいのある人たちといっしょに働いて、お金を稼ぎ、自立するのです。なんだか夢があっていいじゃないですか。

 

 

 「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージを込めた映画を作ってプレゼントしたいと思っています。障がいのある子どもを見捨ててしまうような社会が、映画くらいで変わるとは思えませんが、少なくとも、見捨てられた障がいのある子どもたちやお母さんたち、彼らに寄り添ってきた人たちにとっては、大きな希望になります。障がいのある人たちといっしょに生きることが、新しい希望を生み出すのです。

 日本よりもはるかに厳しい状況なので、日本よりももっと深く、自分事として受け入れられるのではないかと思っています。彼らが動き出せば、社会が変わります。

 彼らを排除する社会は健康な社会とは思えません。映画は社会が健康を取り戻す小さなきっかけを作ると思います。

 映画の企画が煮詰まったらまたお知らせします。

 

 バングラディッシュの小さなコミュニティの映像

www.youtube.com

 

 バングラディッシュでコミュニティーを作ってきた岩本さんの活動報告会

www.jocs.or.jp

彼らと作り出す豊かな日々を地域に差し出す

 昨日「不安の正体」の上映会に行ってきました。精神障害の人たちのグループホーム建設を巡って地域で反対運動が起こりました。その記録映画です。

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www.lowposi.com

 

 グループホームの説明会会場に飛び交う怒号は、ほんとうに聞くに堪えないものでした。こんなふうにして障がいのある人を地域から閉め出すと、快適な地域社会が実現するのだろうか。その問いを怒号を発する人たちは自分に向けて欲しいと思います。

 社会の貧しさをひしひしと感じる怒号でした。その怒号とどう向き合えばいいのか。それを超える言葉を私たちはどうやって紡ぎ出せばいいのか。

 「障害者差別解消法」で、住民に対する説明、住民の合意は必要なくなった、と弁護士の方はおっしゃってましたが、といって反対住民がそれで納得するとは思えません。じゃぁ、どうすればいいのか。上映後のトークイベントで、そのあたりの掘り下げがなかったのはとても残念でした。

 

 ぷかぷかは「障害者差別はイカン!」とか「障害者差別をなくそう」みたいなことは言ったことがありません。そういう思いはあっても、もう少し違う方法で、障害者差別のまん延する社会を変えていこうと思っています。

 ぷかぷかが一番大事にしていることは「ぷかぷかさんたちといっしょにいい一日を作る」ということです。そうすることで生まれる豊かさこそが社会を変えていくと考えているからです。実際、その豊かさに気づく人が少しずつ増え、ぷかぷかのまわりの社会はずいぶん変わりました。つい先日の金曜日にはそういった人たちがぷかぷかの話を聞く講演会を開いてくれました。ホームページアクセス数は100万を超えます。

 彼らと作り出す豊かな日々は、あのやまゆり園事件を超える社会をどうやって作っていくのか、といったことにもつながってきます。事件を批判するだけでは社会は変わらないのです。

 

 たまたま上映会の日の午後、オペラシアターこんにゃく座のオペラ「あん」を見に行きました。

www.konnyakuza.com

 物語の舞台となったどら焼き屋であんこ作りの得意なおばあさんが働くことになります。あんこがおいしくて行列のできるお店になります。ところがおばあさんは昔ハンセン病を患い、指が曲がっていました。その噂が広まり、客足は途絶えます。

 その深刻な差別の問題に作品はどう向き合ったのか。

 おばあさんの生きた世界の豊かさを差し出すのです。そうやってハンセン病の差別を超えようとしたのだと思います。豊かさを歌い上げる歌には、ちょっと涙がこぼれました。

 

 グループホームの話に戻ります。

 グループホームができれば、地域でいろんな新しいおつきあいが生まれます。精神障害の人ってこんな人たちだったんだ、っていう出会いもあります。出会いは、人間の幅を広げます。それが地域社会を豊かにしていきます。

 そういったことをグループホームを運営する側がきちんと語っていく、発信していく、出会いの場、機会を積極的に作っていく、そういったことが大事ではないかと思います。そういうことの積み重ねが、映画の中のあの「怒号」を超えていく社会を作っていくのだと思います。

 

★5月7日(土)午後1時半よりみどりアートパークのリハーサル室で上映会をやります。問い合わせはNPO法人ぷかぷかの高崎まで。takasaki@pukapuka.or.jp

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彼らと出会ったおかげで、人生の幅も面白さも100倍くらい広がった。

 2月11日の「ともに生きるってなんだろう」セミナーの事前質問第五弾です。

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●養護教員をされていたと伺っていますが、「養護」に就いた理由があったらお教えください

 

 養護学校に行ったのは別に希望したからではありません。私は小学校の教員になるつもりで採用試験を受けました。当時養護学校を希望する教員がいなかったのか面接の時に、希望すれば養護学校も行けます、みたいな話が出て三つの選択肢が示されました。

①養護学校に行きたい

②養護学校は行きたくない

③積極的ではないが、行ってもいい。

 私はそれまで障がいのある子どもとおつきあいの経験もなく、障害児教育を勉強したわけでもなかったので、養護学校がどういうところなのか、ほとんど知りませんでした。障がいのある子どものいる学校という漠然としたイメージしかありませんでした。なので、養護学校に行きたい、なんて思いはさらさらなく、かといって養護学校はいや、というのでもなく、ま、頼まれれば行ってもいいか、くらいの気持ちでした。で、③を選択しました。

 ところが面接が終わってすぐに、養護学校の校長から電話

「養護学校に来てみませんか?」

やさしいお誘いの電話です。断るわけにも行かず、しゃあない、行くか、みたいな全く後ろ向きの気持ちで養護学校で仕事をすることになったのです。

 

 養護学校に行ったものの、障害児教育も勉強してないし、おつきあいもしたことないし、どうつきあったものか全くわからず、悪戦苦闘の日々が始まります。

 おしゃべりできないし、字も書けないし、着替えもできないし、うんこの後始末もできないし、できないことだらけの子どもたち相手の日々が怒濤のように始まりました。日々想定外のことが起こり、

「ヒャ〜、どうしよう、どうしよう」

とオロオロするするばかり。でも、このオロオロする、という弱い人間丸出しで彼らと向き合ったが故に、人として彼らと出会えたと思っています。こんなにおもしろい人たちがいたんだ、という発見です。

 障害児教育をしっかり勉強して、その知識で彼らと向き合っていたら、人として彼らと出会うことはなかったと思います。人として出会えたからこそ、その後の人生の幅も面白さももう100倍くらい広がったと思っています。

 彼らと出会う前は、やっぱりいろんなことができない人、というイメージしかありませんでした。でもよ〜くおつきあいしてみたら、そういったマイナスイメージを遙かに超える人間の面白さ、魅力を彼らは持っていました。重度障がいと言われている子どもたちです。こんなおもしろい人たちがいたんだ!という発見は、私の中にあった人間のイメージを大きく広げてくれました。

 

 ケンタローという子がいました。ケンタローは犬が大好きでした。いっしょに散歩に出かけた時、犬がいて、ケンタロウーは駆け寄っていきました。で、何したかというと、犬を思いっきり抱きしめ、犬の顔をペロペロなめ始めたのです。犬の方がびっくりしていました。

 「犬が好き」というのはこういうことなんだと教えられた気がしました。ふつうは手でなでたり、抱きしめたり、です。それを一気に超えてしまったのです。

 彼らとおつきあいしていると、こういった私たちの常識では考えられないことがたくさん起こります。だから障害児なんだ、と否定的に見てしまうと、そこからは何も出てきません。そうじゃなくて「犬が好き」というのはこういうことなんだって、新しい気づきとして受け止めていけば、自分の人生の幅がぐんと広がります。私は彼らとのおつきあいで人生が豊かになったと受け止めています。

 彼らといっしょに生きると、社会が豊かになる、といつも言っていますが、彼らとの出会いが教えてくれたものです。彼らといっしょにやっている演劇ワークショップは、その豊かさを目に見える形で舞台で表現します。

 

 彼らを前に、どうしていいかわからずオロオロしたこと。その弱い人間丸出しの中で、彼らと出会えたこと。そういった経験が、30年後、「ぷかぷか」を作るいちばんの動機になっています。

 彼らと出会って、ほんとに人生が変わりました。100倍くらい楽しくなったと思っています。彼らに感謝!です。

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彼らのこと「素敵な人たちだなぁ」って思えるような出会いをするだけです。

 2月11日の「ともに生きるってなんだろう」セミナーの事前質問第四弾です。

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●タイトルになっている『ともに生きること』が、なかなか難しいのは、何に起因しているのか、お聞きしたい。

 

 いちばんの原因は学校教育の中で、障がいのある子どもたちとそうでない子どもたちがわけられていることだと思います。柔らかい感性を持っている子どもの時に障がいのある子どもたちとおつきあいする機会があれば、「あっ、楽しい!」って、みんな思うし、それがきっかけでおつきあいの幅がどんどん増えていきます。

 大人がお膳立てした「交流」の時間では、「あっ、楽しい!」って思えるような出会いは生まれません。そういった関係の薄さが大人になってもずっと尾を引いていて、「ともに生きる」ことがむつかしくなっているのだと思います。どうつきあっていいのかわからない、ということです。

 「ともに生きる」とか「共生社会」といった言葉がやたら飛び交っていますが、言葉だけで実態がなかなか見えません。実態を作り切れていない、作れない。本気で作ろうとしていないんじゃないか。だから「ともに生きる社会」とか「共生社会」が何を生み出すのか、といった肝心な部分が語れないし、表現もできない。

 そういう言葉を口にする人が、障がいのある人たちと実際に何をやってきたのか、何を作り出してきたのか、が問われているのだと思います。

 

 福祉事業所では障がいのある人たちが働いています。でも、そこにあるのは「ともに生きる」関係ではありません。障がいのある人たちはいろいろできないことが多いので、自分たちがいろいろやってあげないと何もできない、と考えているようです。「支援」という上から目線の関係です。これは「ともに生きる」関係ではありません。

 上から目線の関係からは何も新しいもの、おもしろいものは生まれません。目の前に素敵な人たちがいるのに、もったいない話だと思います。「支援」という上から目線の関係にいると、相手を「素敵は人たち」とは思いません。そう思っていないから、そこからは素敵なものなんか生まれません。もったいないです。

 ぷかぷかはタカサキが養護学校の教員をやっている時、彼らに惚れ込み、彼らといっしょに生きていきたいと思って始めました。なので、彼らのこと、いつも「素敵な人たちだなぁ」と思っています。

  そう思っていると、こんな楽しい絵をササッと描いてくれたり、楽しい、魅力あるお店を作ってくれたりします。

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 素敵な人たちといっしょに芝居を作ると、こんなに素晴らしい舞台ができます。

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 「ともに生きる社会」が何を生み出すのか、写真を見るとよくわかります。いつも言っていることですが、いっしょに生きると、社会が豊かになるのです。だから「いっしょに生きなきゃソン!」と私は思っています。

 

 「ともに生きる社会」は誰かが作ってくれるものではありません。私たちが作るのです。彼らを理解するために小難しい勉強したり、誰かのむつかしい話を聞いたりではなく、「素敵な人たちだなぁ」って思えるような出会いをするだけです。そしてそんな出会いのできる場を街の中に作るのです。

 「ともに生きる社会」だの「共生社会」だのの言葉がまだなかった30年前、こんな楽しい場ができちゃいました。「彼らと一緒にやるとすっごく楽しいよ」っていろんなことやっただけです。そうするとこんなにたくさんの人が集まりました。むつかしいことでも何でもありません。

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 写真は『街角のパフォーマンス』。こういう場がどうやってできたのかを書いています。

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ここにこそ、重い障がいを持つ彼らといっしょに生きる意味が

あゆちゃんのお母さんの言葉が素敵です。
 
 生きることのこんなにも深いお話ができるのも、いっしょに生きてきたあゆちゃんのおかげですね。あらためて、あゆちゃんてすごいなって思いました。かゆいところに手が届かなくても、渦巻く思いを言葉にできなくても、人生に不満一ついわず、いつも笑顔で生きてきたあゆちゃん。あの笑顔見るだけで今日も救われました。
 でも、あゆちゃんと同じくらいすごいのが、こんな素敵な言葉たちを紡ぎ出したお母さん。あゆちゃんといっしょに生きる中で直面せざるを得なかった様々な大変な出来事を、こんな風に前向きの言葉に置き換えるお母さんの優しさ、器の大きさ。涙がこぼれてしまいました。
 重い障がいのある子どもといっしょに生きることは、新しい希望を生み出すのだと思いましたね。彼らといっしょに生きる営みが生み出す新しい価値が、社会を豊かにします。ここにこそ、重い障がいを持つ彼らといっしょに生きる意味があります。
 
 昨年、あゆちゃんのお兄さんが取材に来た時、あゆちゃんの本をいただきました。

今、自分の人生、楽しんでる?

2月11日の「ともに生きるってなんだろう」セミナーの事前質問第三弾です。

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●障害を持ち2年後に学校卒業を控えている娘を持つ母親です。進路を決める上で重要な事、身につけておく事をお教えいただきたいと思っています。

 

●障がいのある子どもを育てる時に、将来に役立つ力をどのように身に着けられるよう助けていったらいいか、アドバイスをください。

 

 よくある質問ですね。養護学校の教員をやっている頃は、そういったことも考えていましたが、「ぷかぷか」という働く現場を作ってからは、かなり考え方が変わりました。

 ぷかぷかを10年やってきて思うのは、

「漠然と何かを身につける」

とかではなく、

「今、自分の人生を楽しむ」

ことこそ大事じゃないか、ということです。 

 ぷかぷかは

「いい一日をみんなで作る」

ことを大事にしています。いい一日はいい人生の始まり。みんなでいい人生、楽しい人生を作っていこうよ、というわけです。

 なんのために仕事をするのか。それはいい人生を送るためです。人生を楽しむためです。

 ぷかぷかではみんな仕事を楽しんでやっています。

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 仕事は一日のいちばんいい時間を使います。人生のいちばんいい時間を使うわけですから、仕事は楽しくないと時間がもったいないです。

 仕事は人生そのもの。だから楽しくないと、人生がつまらなくなります。

 

 

 もう一つ。自分のやりたいことをしっかり見つけることです。自分は何をしたいのか。そこがはっきりしているかどうかがすごく大事です。

 以前、「しんごっち」という青年がいました。しんごっちは電車が大好きで、給料が出ると、横浜川崎間のひと駅だけのグリーン車の切符を買い、8分間のわくわくするような旅をやっていました。

 ひと駅だけ乗るのにわざわざ高いグリーン車に乗る人はまずいません。わずか8分の乗車時間ですから、立ったままでも十分行ける距離です。座ったとしても、ゆったりくつろぐような時間はありません。それでも、そこに750円のグリーン車の代金を払って乗るところに、しんごっちの「人生観」があるように思うのです。

 横浜から博多までのグリーン車の旅よりも、短い分、もっと濃縮された、わくわくするような贅沢な時間がそこにはあるような気がします。8分間の胸のときめきこそ大事にしたい、というしんごっちの素敵な人生がそこにはあります。

グリーン車で自撮りしたしんごっち。人生を思いっきり楽しんでいます。

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テーブルの上には慎ましくお茶とおにぎり

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 自分は何をしたいのか。それをしっかり見つけて生きていって欲しいと思うので

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