ぷかぷかさんたちといっしょに初詣に行ってきました。
いろんな思いが渦巻いて
一瞬垣間見えた、ぷかぷかさんたちの小さな物語です。
ぷかぷかさんたちといっしょに初詣に行ってきました。
いろんな思いが渦巻いて
一瞬垣間見えた、ぷかぷかさんたちの小さな物語です。
相模原障害者殺傷事件について考えるための、とてもいい記事を見つけました。
記事の中《「障害者を支援する仕事を約3年も続けてきた職員がなぜあのような障害者観に行きついてしまったのか」という根本的な問題には、マスコミも含めてこの社会はほとんど迫れていない。》という指摘は全くその通りだと思います。
一番の問題は、やはり津久井やまゆり園自体が、その問いと向き合ってこなかったことだろうと思います。「どうして元職員があのような事件を起こしたのか」という問いと向き合い、そこで考えたことを外に向けて発信していれば、それを手がかりにたくさんの人がこの問題を考えることができたと思います。
事件の現場がどうだったのかは、外の人間にはわかりません。わからなければ、考えようがありません。やまゆり園が現場のことを一切語らなかったことは、事件を考える上で、とても大きな問題だったと思います。
取材を一切拒否し、職員には箝口令が敷かれたと聞きます。事件としっかり向き合う、という姿勢が、はじめからなかったのではないかと思いました。
事件直後からホームページは閉ざされ、法人が何を考えているのか全く見えませんでした。
事件から1年後、ようやくホームページが再開されましたが、そこにあったのは、事件を他人事のように語る言葉だけでした。元職員が起こした事件にもかかわらず、謝罪のメッセージは一切ありませんでした。事件の説明ももちろんありません。
やまゆり園のこういう姿勢こそが、事件の解明を難しくしているのだと思います。
神奈川県の事件検証委員会の報告書にも、防犯上の問題ばかりで、やまゆり園の支援の実態などについては一言も触れていません。本当に検証しなかったのか、検証はしたが、報告書作成の段階で削除させられたのか、全くわかりません。いずれにしてもここできちんと検証報告がなされていれば、事件の解明はもう少し進んでいたと思います。
この点について県に質問状を出しましたが、曖昧な答えしか返ってきませんでした。要するにその部分の解明を県としてはやりたくない、というか、そこを解明すると県の責任が問われかねないのだろうと思いました。
ところが、この12月になって突然、やまゆり園がおこなっていた、利用者さんの拘束を持ち出し、指定管理者の見直しをすると言い出しました。裁判の中で、県の責任が問われるかも知れない、と思ったのかも知れません。
記事にある《元利用者家族が語ったやまゆり園と殺傷事件》の対談はぜひ多くの人に呼んで欲しいです。
「うちの子も「みのりホーム」でしたが、毎日風呂にも入れてもらってるはずなのにフケもすごいし、臭いもすごい。」「息子がどういう生活をしているのか気になって、私も記録を読んでみるんですが、読むと胸が苦しくなる。」「うちの子はうんちをした時、自分で拭けないんですが、「出たよ」と必ず言うんですよ。でもやまゆり園にいた時は、パンツにべったりうんちがついている。だから職員の目があまり行き届いていないんだなと思いました。」という母親の言葉からはやまゆり園の支援の実態がよく見えます。
こういうリアルな情報こそ、支援の実態を知る上でとても重要だと思います。やまゆり園としては、あまり表に出したくない情報だと思います。こういう実態があったからこそ、やまゆり園はだんまりを決め込んだのではないか、と思ってしまいます。
裁判でどこまでこういう実態が明らかになるのか。
《相模原事件被害者・尾野一矢さんめぐる大きな取り組み》も前向きのとてもいい話です。
たとえばこんな言葉があります。
《施設では、利用者が一定のルールをはみ出さないように、いわば管理的・監視的に見守るわけですが、自立生活での見守りは、本当に一矢さんらしい生活をしていくために、介護者が一緒に時間を過ごしながら考えていくという姿勢です。だから、同じ「見守り」でも180度違うものだと思います。
そこには介護者の個性も反映してくるだろうし、単に介護者が利用者の黒子になるのではなく、一緒に深い人間関係を築く中で意思決定をしていく。》
「いっしょに深い人間関係を築く」こと。そういうことがやまゆり園ではなされていなかったのだと思います。そういう関係が築かれていれば、あのような悲惨極まる事件は起きなかったと思います。
「相模原事件めぐる議論で語られていない施設の現実」と題した座談会はとても興味深いものでした。
《「思想」「哲学」がなくなり、「管理」が強化された》という指摘は、全くその通りだと思います。
信州小諸の「おむすび長屋」をやっていた田中さんは晩年、いっしょに暮らしていた障がいのある人たちとのおつきあいが、「サービス」に変わり、お金が入ってくるようになった代わりに、彼らとのおつきあいの質が変わってきて,なんだか淋しいよ、と嘆いていました。
福祉の制度が整い、「おむすび長屋」の運営も楽にはなったのですが、いっしょに暮らす障がいのある人たちとのおつきあいの質が変わってしまった、と言う田中さんの嘆きは、問題の本質を言い当てています。
「思想」「哲学」の問題もありますが、もう少し泥臭く考えると、現場での人と人とのおつきあいの質だろうと思います。「尾野一矢さんめぐる大きな取り組み」でも語られた「深い人間関係」です。
お互いを信頼する「深い人間関係」がやまゆり園でどうしてできなかったのか、ということが問われると思います。
ぷかぷかでは障がいのある人たちと
「あなたが好き!」「あなたといっしょに生きていきたい」
といった関係を作っています。
ここには、「深い人間関係」を取り戻す手がかりがあると思います。
今年はぷかぷかが始まってなんと10年になります。なんだか、あっという間の10年でした。え?もう10年?という感じ。
しっかりした事業計画があったわけでもなく、本当に行き当たりばったりの、頼りない運営でした。それでも、今、すごい広がりが生まれていて、これはなんだったかなぁ、と考えています。
それはやっぱり、障がいのある人たちに惚れ込み、
「彼らとはいっしょに生きていった方がいいよ」
「その方が絶対トク!」
と、様々な形で、しつこく言い続けてきたことだろうと思います。
いろいろ苦しいときがあっても、ここの部分だけはぶれなかったこと。そこが大きいと思います。
「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」
を様々な形で発信し、それに共感する人が少しずつ、少しずつ増えてきました。
そしてそれを一番支えたのが、ぷかぷかさんたちのありのままの姿の魅力だったと思います。
「社会にあわせるのではなく、ありのままのあなたが一番すてき」
という人間観であり、価値感です。障がい者は社会にあわせないとだめ、という価値観が蔓延する社会の中で、
いや、そうじゃない、
「ありのままのあなたが一番すてき!」
という人間観、価値観は、当事者、家族の方はもちろん、社会にあわせることが優先し、自分を見失いかけている多くの人を楽にする画期的なものだったように思います。
何よりもそれを前面に掲げることで、ありのままの彼らの魅力に出会ったたくさんの人たちが、ぷかぷかさんのファンになりました。
「障害者はなんとなくいや」「近寄りたくない」という人たちの多い世の中にあって、「ぷかぷかさんが好き!」というファンができたことは、全くの想定外でした。ファンができたことは、いままでにない新しい気づきを生みました。
「ぷかぷかさんたちは、社会を耕し、社会を豊かにする存在」
という気づきです。
「いっしょに生きていくことの意味」
が、更に明確になったように思います。
いろんなことができないとか、生産性が低いとか、何かとマイナスの価値で語られることの多い障がいのある人たちが、ぷかぷかではプラスの価値で語られるようになったのです。
まさに「いっしょに生きていった方がトク!」なのです。
そういった今までにない新しい価値を作り続けてきたこと、それがぷかぷかの10年ではなかったかと思います。
こういった新しい価値が、ぷかぷかの事業展開にはずみをつけました。たくさんの物語が生まれ、『ぷかぷかな物語』という本にまとまりました。今年は更にぷかぷかの10年をまとめる分厚い本ができあがる予定です。心がぷかぷかして、わたしも一歩踏み出そうって思えるような映画も作ります。
ぷかぷか10年目を楽しみにしていてください。
タカサキは今年の4月、なんと71才になりますが、まだまだ元気です。年賀状も、31日になって文房具屋に版木を買いに行き、夕方から彫り始め、晩ご飯もちゃんと作り(ほうとう、無水ナベの肉じゃが、ターサイのオイスター炒め)、そのあと夜中の3時まで彫り続け、今朝もひたすら彫って、昼の3時頃完成。きちんと下書きを書いて彫るわけでもなく、どこまでもテキトーなので、途中で、ひっくり返した文字がどうなるのかよくわからなくなることが度々あって、こりゃだめかな、と思いつつ、下書きなしで彫る文字は限りなく自由で、楽しくて、今年もなんとか完成しました。
「ことしも はしる」です。71才にして、尚も走る。老後はのんびり、どころか、ぷかぷかを始めてからはずっと走ってきたように思います。走って走って、今年は何が生まれるのか、すごく楽しみです。
先日小学校で人権に関するこんな授業をやりました。
その授業を受けた子ども達の素晴らしい感想です。まっすぐな気持ちがとてもうれしいです。こういう機会さえあれば、子ども達は素直にこっちを向いてくれます。希望を感じました。
・ぼくは障がいをもっている人たちのことをこわいと思ったり、できないことが多い人たちなのかなと勝手に思っていたけど、今日のぷかぷかさんたちを見て、それは違うなと思いました。太鼓やダンス、計算、いろんなすごいことをやっていて、そしたら自分もがんばらなくちゃと思いました。ぼくはこれからは障がいをもっている人たちを怖がらずに生きていきたいと思います。
・ぼくはしょうがいがある人は何もできないと思っていたけど、ぷかぷかさんを見て、しょうがいの人の見方を変えようと思いました。
・少し近づきにくいようなイメージがあったけど、そんなことないんだなって思った。
・ぼくは太鼓をたたいている音を聞くと、ノリノリになってくるので、心の中でメッチャ踊っていて楽しかった。初めて知ったあの人たちが、あんな実力を持っているなんて思っていなかった。
・ぼくはしょうがいしゃにあまりいいいんしょうがないと思っていました。だけどぷかぷかさんのおかげでいんしょうをかえられました。
・ぷかぷかさんの話を聞いて、ぼくはしょうがいをもつ人にたいして変な目で見ないようにしたいと思いました。
・私はぷかぷかさんに会って、人と少しちがうから特別に接するのではなく、まわりの人と同じように接すればいいと思いました。これからしょうがいの人がいても、まわりの人と同じようにかかわりたいです。
・障がいのある人は、私は前までは苦手なことや、できないことが多いんじゃないかと思っていましたが、今日、得意なことを見せてもらったら、私よりもすごいことができる人なんだと思いました。
・今、みなさんががんばって下さるおかげで、世界が変わってきています。
・自分たちよりできることがすごくて、驚いたし、楽しかったです。これからはそういう人たちを、できないことが多いと思わずにしたいと思いました。
・障がいがある人でも、みんないっしょだと思いました。
・今までしょうがい者は苦手なことしかないと思ってたけど、ぷかぷかさんの演技や得意なことを見ていると、しょうがい者も一人ひとり個性があってすごいと思った。
・障がい者だからできないだろうと思ってたことが、できたりしてすごいと思った。一人ひとりの特技がすごかった。
・障がいがある人を少し冷たい目で見ていたかもだけど、今日をきっかけにみんな同じように話そうと思いました。
・特技を見て、ものすごくかっこいいと思いました。見ていてぼくは心がよくなりました。これからはまわりの人と同じように接していきたいです。
・忍者ダンスを踊ってくれたり、歌を歌ってくれたり、とても楽しかったです。
・ぷかぷかの人たちがきて、心がぷかぷかしました。
・ 障がい者という言葉は必要ないと思った。
・ぼくも同じくらい計算が早くなりたいです。
・ぷかぷかさんの演技を見て、しょうがい者を差別していた自分の気持ちがなくなって、どんな人も個性があっていいなと思いました。
・もう大人なのに、小学生の時に習った「ふきのとう」を覚えているのがすごかった。
・けいさんのはかせがすごかったです。ぼくもけいさんはかせになりたいです。
・しょうがい者はできない人だと思っていましたけど、ぷかぷかさんたちを見て、人はだれでもよいところがあることに気がつきました。
・今日思ったことは、今までしょうがい者のことをさ別していたけど、自分たちと同じなんだと思い、一度考え直した。「一人ひとりちがう」んだと。
・わたしは、しょうじき、しょうがい者は「わたしとちがう」と思っていたけど、今日ぷかぷかさんたちを見て「すごい人だー」と思いました。にんじゃダンスすごく楽しかったです。キレキレですごかったです。
・ぼくは今までしょうがい者を差別していましたが、やめようと思いました。理由はしょうがい者でも、ぼくを超えるほどにすごい特技を持っていて、すごいと思ったからです。
・「ふきのとう」は私でも覚えていないのに、つじさんがろうどくしていたのでびっくりしました。
・ふきのとうの詩は長いのに、覚えていてすごかった。
・ぼくは前、しょうがい者って不得意なものがいっぱいあると思っていました。これからぼくはいろいろな人のいいところをさがそうと思いました。
・わたしは人のよいところを見つけようと思いました。その理由はにんじゃのダンスとたいこのえんそうをみて、とてもすごいと思ったからです。
・つじさんのこと、よく電車でみます。そのときはなにをしゃべっているだろうとへんな人だなと思ってしまった。
・いろいろなすごいわざを見せてもらって、うれしかったです。また次あえる日がきたらあいたいです。
・ぷかぷかさんたちにあって、しょうがい者の印象がかわって、すごいひとなんだなぁって。
・にんじゃダンスをいっしょにおどれてたのしかったです。
・ポケモンを見ただけでわかるとくいわざなど、自分はポケモンが好きで、はじめは本当かなと思っていたけど、聞いて本当だとわかってすごいと思いました。
・障がいをもっている人は少しこわいというイメージがありました。でも、今日の話できもちが変わりました。
・ぼくはいろいろな人がいることを知りました。
・人にはみんな苦手なことがあるけど、とくいなことも必ずあるんだなと思いました。ふきのとうの朗読も、にんじゃダンスもポケモンもすごいと思いました。
・障がいをもっている人はなんにもできないと思っていたけど、ぷかぷかさんたちを見て、一人ひとりとくぎなどがあってすごいと思いました。これからはそういうのをもっている人たちを差別せずに生きていきたいです。
・ぼくは障がい者は変だと思って差別していたけれど、いろんな人にすごい特技があって、もう人権ではなくて、神技ひろう会かと思ってしまいました。とくにすごいと思ったのは「ふきのとう」をおぼえていたことです。ぼくも2年生のころやりましたが、おぼえるなど考えませんでした。
・わたしは、障がい者といったら「人より少し欠けているところがある人」だとずっと思っていました。しかし、今日、ぷかぷかさんたちを見て、すごい能力を持っている人たちがいるということを知り、考え方が変わりました。小学校だけでなく、もっといろんなところでやれば、世界の人々の見方も変わり、へん見がなくなると思いました。わたしは計算の早い方の暗算力と知識の量がすごいので「よいな〜」と思いました。
・ぼくは今まで障がいのある人とは絶対にかかわりたくない!!と思っていたけれど、今日ぷかぷかさんを見て、意識が変わりました。
・今日ぷかぷかさんを見て、障がい者は苦手なことがたくさんあり、ふつうの人とはちがう、という考えから、個性がはっきりしている人、という考えになって、ふつうの人との激しいちがいはないんだなと思いました。
・ぷかぷかさんたちを見て、障がい者の見方がかわりました。特にそう思ったのは、つじさんたちがやってくれた特技で、「何も障がいがない人よりもいいところもある」ということを思いました。
・障がいがある人でもかつやくできる場所があるのは、とてもよいなと思いました。理由は障がいのある人たちは、差別されたりする場面が多いと思うけど、まわりの人たちと同じ目線で何かをできるのは、差別をなくせる第一歩なんじゃないかなと思いました。
・わたしは計算が苦手なので、すごく暗算がはやいのを見て、カッコイイと思ったし、ダンスもとくいとか上手でもないからカッコイイと思ったし、太鼓は自分はできないから、またさらいカッコイイと思いました。
・「障がい者」と聞くと、できないことが多い、変な人たち、というイメージでした。でも、今回、すごく得意なことがたくさんあるというイメージになりました。あと、ぷかぷかさんたちは、いやな経験をしたことがあるかも知れないのに、ダンスの時など、小学生にとても親しく接していたのはすごいと思いました。
・「心を耕す」という表現がよくわかる、とても楽しくて、あたたかい講演でした。心が豊かになって広がっていくような感じがして、自分の中でひとつ進歩することにつながりました。「苦手なことが多い」勝手にそんなイメージを持っていましたが、自分よりも高く、すばらしい力がある人たちで、第一印象だけで人を見ていた自分がなんだか恥ずかしくなりました。心が「ぷかぷか」して、広く豊かになるすてきな講演ありがとうございました。
・ありのままの自分で、とくいなことを一生けん命に笑顔でがんばるぷかぷかさんの姿が輝いて見えて、とても素敵でした。
・ぷかぷかさんの特技や笑顔を見て、とても心がぷかぷかな気持ちになりました。
・心がぷかぷかにあったかくなりました。
・最初、障がいと聞くと、変な目で見ていたけど、今日ぷかぷかさんを見て、障がいがあってもみんなを見るような目で見ようとあらためて思った。
・障がいがある人って、あんまりいいイメージがなかったんですけど、ぷかぷかさんのおかげで、そう思わなくなりました。
・ぷかぷかさんの話を聞いて、障がい者のイメージががらっと変わりました。障がい者という言葉は似合わないというのは、本当にその通りで、ぷかぷかさんにはいろいろな得意なことがあってすてきだなと思いました。
・ぼくは話を聞く前は障がいをもった人はなんにもできないだろうと思ってたけど、それはちがって人は人なんだと学びました。
★ものすごい数の感想が上がってきて、同じようなものは載せなかったので、実際にはここに載せた感想の4倍くらいの感想が集まりました。それくらい強烈な印象を子ども達に与えたようでした。
2020年1月12日(日)あーすぷらざでの「社会にあわせなくてもやっていけるよ」セミナー、ゲストの辻さんが仕事の都合で来られなくなったので、今、あちこちで活躍されている若い三人のお母さんにきてもらうことにしました。
みんなが自分らしくいられる場所として鶴見にも「ぷかぷか」を作ろうと動き始めた「ぷかぷか作り隊」隊長の浅川素子さん。障害者はなんとなくいや、という人の多い中で、重度の障がいを持つhanaちゃんの、なんとファンを作り出したお母さん花岡知恵さん。自分の苦労した経験を若いお母さん、お父さんに伝えて、みんなが笑顔になれるサロン「おおたけゆきえサロン」を開いた大竹友里恵さんの三人です。
大竹さんが一人で始めたサロンは、自分の苦労を社会の財産として継承していこう、という新しい試みだと思います。障がいのある子どもを育てる苦労も、子どもが成長すれば、だんだん忘れていきます。でも、それを忘れないうちに、今、苦労しているちょっと若い世代に伝えれば、自分の苦労が人の役に立つ、社会の財産になる、という気づきは素晴らしいものだったと思います。
そういう意味では辻さんが息子さんのおしゃべりをやめさせようと散々苦労し、ぷかぷかに来て、それが「見当違いの努力」であることに気づいたことも、社会の財産になります。苦労から解放したのはなんだったのか、ということです。
いずれにしても、この三人のフレッシュなお話聞きながら、
「大丈夫!社会にあわせなくったって、楽しくやっていけるよ」セミナー
をやります。
当事者と今までと全くちがう寄り添い方をしている三人からは、多分今までとは全くちがう言葉が出てきます。その新しい言葉こそが、障がいのある人もない人も、お互いが気持ちよく、幸せに生きていける新しい社会を作っていくのだろうと思います。
息苦しい、窮屈な社会を変えるには、はやり彼らが発信する言葉が必要だと思っています。その言葉をたくさん受け止めてきた三人のお話、ぜひ聞きに来て下さい。
生きることがね、きっと少し楽になります。
1月12日(日) 午後2時〜4時半
あーすぷらざ(JR根岸線「本郷台」徒歩3分) 中会議室
申込、お問い合わせは NPO法人ぷかぷか
メールは info@pukapuka.or.jp
電話は 045-923-0282
浅川素子さん
ぷかぷかを知った時、二人の息子たちもぷかぷかさんだと思いました。私はうちのぷかぷかさんたちとのなんでもない毎日を楽しむお母さんです。学校や社会の中では息子たちが自分らしくいることがこんなにも難しいと知った時、実は多くの人が息子たち同様に生きづらさを抱えていることに気がつきました。
息子たちは一般的に言われるフツーではないからハッと気付かせてくれることがたくさんあります。フツーになろうとするより一人ひとりが違う方が面白い!楽しい‼︎
いつかみんなが自分らしくいられて笑顔になれるそんな居場所を作りたいと思っています。
花岡知恵さん
重度の知的障がいのあるhanaさんを育てています。
おしゃべりできないくらい重い障害があるので、相模原障害者殺傷事件の犯人にとっては、殺す対象になりかねない子です。
犯人が言う、
『彼らは生きている価値がない』
という言葉とは裏腹に、私自身はまさに毎日、痛いほどの【生きる】実感のある日々を送っており、それをFacebookなどで障害のある人のことをよく知らない人に発信して伝えていくことをしております。
いや、結構、障がい児の育児って奥が深くて、時には浅くて、想像の斜め上を行くので面白いのですよ(笑)
hanaさんを、今ある生産性重視の社会に合わせるのではなく、hanaさんたちとお互い幸せに生きていくのには、みんなで幸せに生きていくにはどうしたらいいのか、を考えています。
今年11月に、その私の世界観を表現した舞台イベントを障がいのある人ない人、みんなで創ろうと思って今頑張ってます。
私もhanaさんのように、斜め上をいく活動したいと思っています。
大竹友里恵さん
〈目指している社会〉
完璧な人間はいないので、得意なところは沢山伸ばして、苦手なところは補い合いながら、お互いさまの精神で成り立つ社会にしたいなぁと。
色々な人がいて当たり前、助け合いが当たり前になればいいなと。
〈がんばっていること〉
自分自身が知らない世界が多すぎると感じているので、興味を持ったことには直感でチャレンジしています。
とにかく発信すること。TwitterやFBなど、所属するコミュニティで、発信を続けています。
〈ぷかぷかとの出会い〉
2年前のツナガリウォークのアンバサダーミーティングで親の会の代表として出席した際、ぷかぷかの方と出会ってお話をしたのがきっかけです。
そこから、息子と一緒にお昼ごはんを食べに行って、ぷかぷかさん、ぷかぷかの存在のファンになりました。
(チャレンジ)
調理実習の先生として、
福祉型大学「ゆたかカレッジ」の学生さん達と一緒に調理実習をしてきました。
どの作業なら得意か、どこがお手伝いが必要か、楽めるポイントはどこか…など、考えながら実習するのは、とても勉強になります。
(チャレンジ2)
あちこちで言葉で伝えることが大切だと考えていて、話す練習として動画配信をしてみたり、友人とライブ対談をしてみたり
(発信について)
どんな分野でもそうですが、
障がい者、健常者の枠の中で盛り上がっても、何も解決しないと考えています。
自分がいくつかコミュニティに属して、そこで息子が生まれてから経験してきたこと、子育てだけではなく、母親自身も何も知らないところから少しずつ世界が開けてきている日々のあれこれを発信しています。
親としての苦労話ももちろん、息子の可愛いところも。
幼稚園ではなるべく、他の親御さん達にも顔を売るようにしています。それも発信かな、と。
初めは何て話しかけていいか分からないママさん達も多いのですが、小さなコミュニケーションから少しずつ知ってもらうことが大事かな、と思っています。
6回目の「表現の市場」やります。
「障がいのある人たちとは、いっしょに生きていった方がいいね」ってみんなが思える舞台を、ことしも作ります。
彼らの舞台からは、たくさんの元気をもらえます。
素直に生きる彼らの舞台を見ていると、「ああ、明日も生きていこう」って思えます。明日に向かう「希望」をもらえます。
そんなふうにして、彼らは新しい歴史を作っているのだと思います。
「なんだ、助けられてるのは、私たちの方じゃん!」
て思えるような彼らの舞台は、お互いの関係が逆転し、新しい歴史を作ります。
障がいのある人たちを排除してしまうような不寛容な時代を、小むつかしいことは一切いわず、彼らはさらっと塗り替えてしまうのです。
「表現の市場」は、いっしょに生きていくことで生まれる新しい価値を表現します。その価値は、障がいのある人もない人も、お互い気持ちよく生きられる、新しい歴史を作ります。
先日の毎日新聞によれば、グループホームなどの障害者施設が住民の反対で建設できなくなったり、建設予定地の変更を余儀なくされたりしたケースが、過去5年間に少なくとも全国21都府県で計68件も起きていたそうです。障害者を排除する空気が蔓延する社会の中で、3年前、相模原障害者殺傷事件は起きました。あの事件は社会の反映であったと思います。
あれだけの事件があったので、障がいのある人たちを取り巻く社会はきっと変わる、と思っていましたが、全くそうではなかったですね。毎日新聞の報道は、そのことを物語っています。
それでも、いや、そんな社会だからこそ、私たちは、
「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」
「その方がトク!」
と、言い続けてきました。ぷかぷかのまわりの社会は、少しずつ変わってきています。
弱いものをバッシングし、排除するような時代です。でも、ひどい時代になった、と嘆くよりも、この時代にあって、尚も未来への「希望」を私たちはつくり出したいと思っています。ひどい時代であっても、私たちはそこで生きるしかないのですから。
「表現の市場」は、障がいのある人たちといっしょに作り出した「希望」を表現する市場です。「希望」があるから、私たちは未来に向かって生きることができます。
第5回「表現の市場」
12月19日(木)、十日市場小学校で人権について考える授業をやりました。1年生から6年生まで600人くらいが相手。低学年、高学年に別れて、体育館で2時間の授業でした。
障がいのある人について、アーダコーダしゃべっても子どもたちは多分聞いてないだろうな、と思い、ぷかぷかさんを何人か連れて行って、得意技を披露してもらいました。それぞれ達人の域に達するような人たちです。彼らの得意技を見て、思わず
「おお、すげー!」
って思うような出会いをしてほしいと思ったのです。
障がいのある人のことを理解してほしい、といった話よりも、彼らととにかくいい出会いをすること、それが大事だと思っています。彼らとのおつきあいが始まるきっかけです。
障がいのある人たちとおつきあいもしないで「障害者は何するか分からないから怖い」「障害者は犯罪を犯す」という思い込みだけで、たとえばグループホーム建設反対を叫ぶ大人達がたくさんいます。そういう形で彼らを排除すると、社会は許容できる幅が狭くなります。お互いが窮屈な思いをします。多様性がなくなり、社会は貧しくなっていきます。みんなの心が貧しくなります。
こういう社会は長続きしません。持続可能な社会は、障がいのある人たちも当たり前のように社会の一員として活躍していることがあって、ようやく実現できるのだと思います。
相模原障害者殺傷事件の容疑者は
「障害者はいない方がいい」
といい、それに同調する社会があります。
子どもたちは、そんな社会に巻き込まれてほしくないと思っています。だからこそ、ぷかぷかさん達といい出会いをして、
「ぷかぷかさん達って楽しい!」「また来てほしい」「一緒に楽しいことやりたい」
って思ってくれたらいいなと思って、今回の授業を企画しました。
ボルトさん、大ちゃんには忍者ダンスを踊ってもらいました。
この二人だけでもすごかったのですが、途中から若い先生たちが一緒に踊り出すと、子どもたちは大喜び。
舞台から降りて、フロアで踊り始めたら、子どもたちにが次々に加わって、すごい盛り上がり。低学年の時は、ざっと見て5、60人の子どもたちがぷかぷかさん達のまわりで踊っていました。高学年は多分踊らないんじゃないか、と先生達はいってましたが、ま、ダメ元でやってみましょう、と子どもたちに声をかけたら、なんと30人くらいの子どもたちが前に出て踊っていました。すごい熱気でした。
子どもたちがこの熱気の中でひとときを過ごしたこと、それが今回の授業の大きな成果だったと思います。「ともに生きる社会を作りましょう」と言葉で言うのではなく、こういう熱気を一緒になって作り出すことこそ大事な気がしています。
この熱気は、一緒に踊りたい、一緒に踊ると楽しい!という子どもたちの思いが作り出したものです。この熱気こそ、一緒に生きると何が生まれるか、を物語っていると思います。
ツジさんは「ふきのとう」の朗読をしました。2年生で習っていますが、誰もなんとなく覚えているだけで、朗読はできません。先生達もでした。それは記憶力の問題というよりも、もう少し別の問題だと思います。
30年ほど前にならった「ふきのとう」を何も見ないで朗読できる、というのは、記憶力がすごいこともあるのですが、それ以上に、「ふきのとう」という作品が心に響いたことが大きいと思います。30年たっても忘れないくらい、ツジさんの心に響いたということです。なによりも作品を深く受け止める感性をツジさんが持っているということ。私たちよりもはるかに豊かな感性です。そのことに私たちは気がついた方がいいと思っています。
美輪明宏の「ヨイトマケの歌」は紅白歌合戦で一回聞いただけで覚えてしまいました。どうしてあの歌が好きなのか、ツジさんは説明しません。でも、ツジさんが「ヨイトマケの歌」を歌うと、歌が心に響いてほろっとなることがあります。緑区役所の人権研修会で歌ったときは、副区長が涙を流していました。
計算大会もやりました。計算の得意な人に3人ほど出てきてもらって、ツジさんとトレーにのったパンの値段の計算の競争をします。はじめは4個、次は8個くらいに数を増やします。低学年の子どもは計算機を持ってもいいことにしました。高学年はみんな暗算で勝負しました。最後には暗算が得意な先生にも出てきてもらい、勝負しました。
記憶する力、計算する力のすごさを、子どもたちはまざまざと感じたと思います。障害者は自分達よりも力が劣っている、と多くの子どもたちは思っています。その思い込みを、ほんの少し、ひっくり返したと思います。
こんなすごい人もいる!という発見は、子どもたちにとって、ものすごく大きいものだと思います。
そしておなじみ大ちゃんの太鼓。
文句なしにすばらしい演奏で、これはもう会場を圧倒しましたね。障害者がどうこう、といった話をはるかに超えたすばらしい演奏でした。
子どもたちはぷかぷかさんと出会って、何を思ったのだろう。すごく楽しみです。
障害者を雇用する、というのは、障害者とおつきあいする、ということです。おつきあいの経験がなければ、いろいろ苦労します。言葉がうまく伝わらなかったり、仕事がうまくこなせなかったり、いろんな問題を抱えることになります。
その問題と根気よく向き合うのかどうか、というところで企業が試されます。
そこに目をつけた新しいビジネスを展開する会社が現れました。お金を払えば、その面倒くさい問題を全部引き受けますよ、というビジネスです。
その会社は障害者を集め、農園をやっています。土を使わない「養液栽培」という方法で野菜を育てるため、種まきや水やり、収穫などの軽作業ですむそうです。
企業側は、その農園で働く障害者と雇用契約を結び、給料だけ払います。雇用契約を結んだだけで、その人とのおつきあいは全くありません。でも雇用契約を結んだので、企業は障害者を雇ったことになり、法定雇用率が達成できる、というわけです。障害者を雇うことの面倒くささを避けたい企業にとってはうれしい話です。
ごまかしとは言え、うまいところに目をつけたビジネスだな、とは思います。
でも、中身が全くなくても、障害者法定雇用率が達成できるような社会は、いずれどこかで壊れていきます。こういうことをあちこちの町の行政が後押しするなんて、何を考えてるのか、と思います。障害者を雇用する意味、彼らとおつきあいする意味をきちんと考えてない、ということなのでしょう。
障害者雇用は、障害者とおつきあいするとてもいい機会です。いろいろ大変なことはありますが、それを超える豊かなものが、彼らとのおつきあいにはあります。そういったせっかくの機会を、お金を払って放棄してしまうなんて、なんとももったいない話です。
第六期演劇ワークショップ第5回。
ある日、一郎は山猫から、こんなはがきを受け取ります。
翌日、わくわくしながら出かけていきます。
♪ おもてにでてみると、まわりの山は、みんなたったいまできたばかりのようにうるうるもりあがって、まっ青なそらのしたにならんでいました。(オペラシアターこんにゃく座のオペラ『ドングリと山猫』の中で歌われるうた)
真っ青なそらのしたを歩いて行くと、クルミの木や笛吹きの滝やきのこが現れます。
一郎が
♪ 山猫が、ここを通らなかったかい
と聞き、原作ではただ方角を言うだけですが、それじゃつまらない、と、簡単なお話を作りました。
笛吹きの滝は、ただ「ピーッ」と笛のような音を立てるだけですが、ぷかぷかさんといろいろ話をしているうちに、滝の前に露天風呂が登場することになりました。こういうところがワークショップは全く自由です。
山に住む猿と熊が風呂に入ってうたを歌っています。
♪ ばばんば ばん ばん ばん ばばんば ばん ばん ばん い〜い湯だな い〜い湯だな 湯気が天井から ぽたりと背中に つめてえな つめてえな ここは上州 笛吹きの湯 ♪
と歌っていると、一郎がやって来ます。
♪ 山猫が、ここを通らなかったかい
「山猫は、ここで風呂に入ってから、東の方へ行ったみたいです」
…というお話になりました。
かやの森に囲まれた金色の草原ではどんぐりたちが
「俺たちこそがいちばんえらい」
と言い争っています。
みんなドングリの帽子をかぶって、グループごとに何を自慢するのかを決めました。
いちばんおもしろかったのは忍者ダンスが得意なドングリ。どうしてドングリが忍者ダンスを踊ったりするの?なんて疑問が野暮に思えるほどに、このチームには勢いがありました。そういう突拍子もないアイデアが出てくるのが、ぷかぷかさんと一緒にやるワークショップ。
感心したのは一郎役をやったフタミンが振り付けの伊藤多恵さんと一緒に「ゆっくりゆきちゃん」を歌いながらゆっくり歩く練習をしたとき。
♪ ゆっくりけしきを ゆっくりながめ…
というところ、フタミンの視線の先に、ゆきちゃんがゆっくり眺めているけしきが見えるのです。
フタミンは時々パン屋の前で一人で忍者の戦いをし、お姫様がさらわれたから助けに行く、とそのまま行方不明になったりする人です。ところがワークショップの日は、振り付け師の伊藤さんの言うことをしっかり理解し、ゆきちゃんがゆっくり眺めているけしきを視線の先に表現したのです。 自分の視線の先にゆきちゃんの眺めているけしきを表現するなんて、そう簡単にできることではありません。その集中力、表現力に、ちょっとびっくりしました。
1月26日(日)の表現の市場まで、あと2回。それぞれやることが見えてきたので、多分今年もうまくいくと思います。特にフタミンの視線の先だけで表現しているのを見ると、本当にすごいなと思います。1月26日、楽しみにしていてください。
毎日新聞「相模原事件を考える」シリーズで最首悟さんの取材記事はとてもいい記事でした。
記事の最後、最首さんのこんな言葉で締めくくられていました。
「もし彼が本気で園の利用者と向き合って関係を作ろうとしていたら、この事件は起きなかったのではないかと思う。穏やかさは希望だと思う。 」
養護学校の教員になって最初に受け持った重度障害の子どもたち。日々いろいろ大変なことがありましたが、それでも彼らのそばにいると妙に心が安らぐ、というか、心が穏やかになりました。それまで電機メーカーで働いていて、常に生産性が求められ、心がかさかさになっていただけに、彼らにもらった思いもよらない心の安らぎは、
「 え〜っ こんな世界があったんだ!」
と、大発見した思いでした。そんな彼らと毎日おつきあいする中で、彼らのそばにずっといたいなって思うようになりました。そんな思いが、30年後、ぷかぷかを生み出したのです。
ぷかぷかに来ると心が安らぐ、というファンがたくさんいます。窮屈で息苦しい社会にあって、ぷかぷかさんたちが作り出すこの穏やかな空気感は、この時代にあって大きな希望だと思います。
容疑者が、重度障害の方との日々のおつきあいの中で、思わず目が合ってニッと笑うとか、何かの機会に一緒に大声で笑うとか、ふっと心が穏やかになるとか、心が安らぐとか、そんなことを経験していれば、事件は起こりませんでした。
相手との関係性が事件を引き起こすきっかけになったのだと思います。
そんなことを思うと、彼らとの関係の穏やかさこそが、この忌まわしい事件の中で、希望を生むのだと思います。
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。