ぷかぷか日記

猫の目

アマノッチの描いた猫

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 何を思っているんだろう。

 いくつもの哀しみと、

 怒りと、

 悔しさを、

 数え切れないくらい経験し、

 それをもう通り越してしまったような目

 諦めてはいるわけではない。

 ただそこにうずくまって

 こうやって 深い目で

 世界を、じっと見つめている。

 押し殺した思いが、静かに渦巻いている。

 アマノッチの思いに、初めて出会えた気がする。

 

 こんな目で見つめられたら、ちょっとたじろいでしまう。

 でも、本当はいつもこんな目で彼らは私たちを見つめているに違いない。

 それに私たちが気がつかないだけ。

 だから、上から目線で彼らを見る。

 彼らを見下す。

 でも、この目に気がつくと、私たちの振る舞いは、とても恥ずかしい。

 

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 虐待が何度指摘されても、延々と見苦しい言い訳をするやまゆり園。

 あなたたちを見つめているたくさんの、この深い目に気がつかないのか。

 恥ずかしくないのか。

 

 

 謙虚にこの目と向き合いたいと思う。

 この目を見つめていると、

 自分の生き方を問われている気がする。

 この目の語る物語に、静かに耳を傾けたい。

いかに一緒にくつろぐか

やまゆり園事件で重傷を負った尾野一矢さんがやまゆり園を出て地域で暮らし始めました。

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その取材をしている毎日新聞の上東さんのFacebookにいい言葉がありました。

 

重度訪問介護ヘルパーの極意は「いかに一緒にくつろぐか」だそうです。

長い時間一緒に過ごす介助者の仕事。

「仕事というよりただ、いっしょに生きること」〔大坪さん)

素敵な関係だなぁ。

 

 「いかに一緒にくつろぐか」いい言葉だなと思いました。多分そういう感覚でいかないと、長い時間一緒に過ごす介護の仕事は辛くなると思います。というか、長い時間一緒に過ごす中で、大坪さんが見つけたんだと思います。ただ仕事だからでは、相手といい関係はできません。くつろぐ感覚があるから、この人といっしょにいよう、と思えます。そこから人としてのおつきあいが始まります。その気持ちは相手にも伝わります。だから、一矢さんも「かずやんち」の暮らしを楽しめるのだと思います。

 

 自分の写真で恥ずかしいのですが、『support』という知的障害福祉研究の本の表紙を飾ったことがあります。

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 まさにお互いがくつろいでいる写真です。「至福の時」です。こういう時が、彼らと過ごしているといっぱいあります。それを大事にするかどうかで、彼らとの関係が変わってくるのだと思います。(養護学校の教員をやっている時、障がいのある子どもたちと出会い、彼らといっしょにいると心安らぐ時間、くつろぐ時間がたくさんあって、こりゃぁもう彼らとはいっしょに生きなきゃソン!だと思いました。その時の思いがぷかぷか設立の思いにつながっています)
 
   福祉の現場の人たちが、みんなこんな感覚で仕事やりだしたら、この業界は介護する側もされる側もお互いがもっと居心地のいいものになるだろうな、という気がします。
 
 尾野一矢さんがいたやまゆり園の人たちが、こういう感覚で働いていたら、やまゆり園はお互いにとって居心地のいいところになっていたと思います。そんなふうになっていれば、事件は起きませんでした。こういう感覚を排除してしまうものがやまゆり園にはあったのだろうと思います。それは何なのだろうと思います。 

人権研修会で、詩を作るワークショップ。

 緑区役所と瀬谷区役所から人権研修会を頼まれました。詩を作るワークショップをやってみようと思っています。人権に関する話を聞いておしまい、ではなく、人権についての気づきをきちんと自分の言葉で表現し、それをみんなで共有し、人権について深く考えて欲しいからです。

 

 事前に障がいのある人たちのためのグループホーム建設反対の新聞記事を読んでもらい、自分の家のそばにグループホームが建つことになったらどう思うか、ということを考えてもらいます。「すごくいや」とか「怖い」とか「なんとも思わない」とか、自分の正直な気持ちを頭の中でメモしておいてもらいます。

 ぷかぷかさんの話を聞いたり、『Secret of Pukapuka』を見て、気づいたことを5行くらいの短い詩で表現します。1行目はグループホームが建つことになったらどういう気持ちになるかを書いてもらいます。その時の気持ちが、ぷかぷかさんとの出会いの中で、どう変わっていったのかを詩で表現します。その詩を10人くらいのグループの中で一人ずつ朗読し、お互いの気づきを共有します。

 詩の言葉を1行ずつ切り離します。10人のグループなら、約50個のことばが並びます。どの言葉を先頭に持ってきて、どの言葉がじぶんが変わるきっかけになって、どの言葉が最後に来るか、グループの中で話し合います。バラバラになった言葉を編集し直すのです。お互いの思いが交差し、一番大変で、一番楽しい時です。そうやってグループとしての詩を作ります。

 バラバラだった言葉が、グループとしての詩にまとまった時、詩は個人の詩よりもはるかにチカラを持ちます。そのことを誰かに向かって朗読する時、あるいは誰かの朗読を聞く時、しっかり味わって欲しいと思います。

 みんなでチカラある言葉を生み出すこと、それが今回の人権研修会で一番大事な部分です。

 

                 (写真は東洋英和女学院大学でやった時のもの)

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 できあがった詩をほかのグループの前で朗読します。朗読は詩の言葉に丁寧にふれ、思いを声に乗せて相手に届けることです。朗読する時、多分、いつもと違う自分がそこにいます。そのことに気づいて欲しいと思います。

 

                      (映像は早稲田大学)

www.youtube.com

 

 各グループの朗読のあと、みんなで振り返りをします。

 気づきを詩にするとか、その詩を誰かに向かって朗読するとか、誰かの朗読を耳を澄まして聴くとか、気づきの言葉をシャッフルし、それをどう並べるかで、誰かと議論するとか、みんな新鮮な体験になると思います。

 その一つ一つが人権について深く考える作業です。

 できあがった詩は、ぜひ区役所の中に飾って欲しいと思います。みんなの格闘がそのまま貴重な記録として残ります。

 

 障がいのある人たちとの出会いは、ときに自分の人生が変わるほどの出来事にもなります。人権研修会が、そんなきっかけになればいいなと思っています。

いったい何が違うのでしょう。

げんなりするような事件

news.line.me

 

 これが、障がいのある人たちを排除する文化です。障がいのある人たちを「邪魔だ」などといって排除する社会がどうなっていくのか想像した方がいいです。

 

 ぷかぷかの近くの創英大学の保育科で昨年ぷかぷかさんも参加する形で6回ほど授業をやりました。『Secret of Pukapuka』の上映、ぷかぷかさんと一緒に「すごろくワークショップ」「演劇ワークショップ」「詩を作るワークショップ」などです。

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 ぷかぷかへ2日ほど実習にも来ました。クリスマス会をやったり、文化祭で一緒に大きな絵を描いたりもしました。

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 こういうおつきあいがあって、保育科の卒業生40名のうち8名ほどが障がいのある人たちの施設に就職したそうです。ぷかぷかさんたちとの楽しい出会いがあっての進路の選択だったと思います。

 

 障がいのある人たちを前に「邪魔だ」という大人と、わくわくしながら障がいのある人たちとのおつきあいを選んだ学生さんと、いったい何が違うのでしょう。

 

 こんな人たちを「邪魔だ」と排除するなんて、もったいないです。

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「彼らはいた方がいい!」ということがダイナミックに伝わってきます。

 11月14日(土)のやまゆり園事件を考える上映会で第6期演劇ワークショップの記録映画を上映します。やまゆり園事件を考える上映会で、どうして演劇ワークショップの映画なのか。

 事件を考える上映会は、映画を手がかりに、事件を超える社会をどうやって作るかを考えます。あーだこーだ言い合って終わるのではなく、具体的に私たちに何ができるのかを考えます。

 「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」。事件から発信されたメッセージに、多くの人は「そんなのおかしい」と思いながらも、それを否定しきれない自分がいて、そこをどうやって超えていけるのか悩んだのだと思います。

 ぷかぷかは「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」というところから出発したので、事件後も、いない方がいいと言われた障がいのある人たちと「いた方がいいね」「いっしょに生きていった方がいいね」と思える関係を作り、彼らと一緒に「いい一日だったね」ってお互い言い合える日々を積み重ねてきました。

     だから、別れの時はお互い涙が…

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 不幸しか生まないと言われた障がいのある人たちが幸せを生み出しているという事実も作ってきました。

     こんな絵を見るとみんながハッピーな気持ちになります。

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 そして演劇ワークショップは彼らといっしょに生きると何が生まれるかを明確に表現します。今までにない新しい文化と言っていいほどのものを生み出します。障がいのある人たちを排除する文化に対して、彼らを排除しない文化です。彼らのことを大事な存在だと思う文化です。

 

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  ぷかぷかさんたちと一緒に芝居作りをすると、本当に楽しくて、芝居作りが彼らに支えられて、「彼らにこの場にいて欲しい」「彼らがこの場に必要」としみじみ思えてきます。演劇ワークショップはそう思える関係を自然に作ってくれます。そういう関係の中で作り上げた芝居は「彼らはいた方がいい!」ということがダイナミックに伝わってきます。

 ここで見えてくるものこそ、事件を超える社会です。

 

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 そんな映画を見て、事件を超える社会をどうやって作るかをみんなで考えたいと思うのです。

そんな社会に、今どんな言葉を届ければいいのか

毎日新聞の素晴らしい取り組み。

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素晴らしい取り組みなのですが、最後に書かれていたテーマを見ると、ここからこぼれ落ちるものがたくさんある気がしました。

(1)判決で犯行動機は「勤務経験を基礎として」

(2)支援の実態、そして虐待の疑いが浮上/職員の思いと報告書

(3)やまゆり園の設置者の責任は/黒岩祐治神奈川県知事インタビュー

(4)やむを得ない拘束だったのか?/居室施錠の実態

(5)身体拘束をしない支援はできるのか/居室施錠の実態

(6)各地で頓挫する県立コロニーの解体/地域移行の課題

(7)施設を出て、地域で暮らす/地域移行の課題

(8)真相は闇の中/認定難しい施設内虐待

(9)問われぬ支援の質/障害がある人の施設での暮らし

 

 ひとつひとつ大事なテーマだと思いますが、障がいのある人との関わりもなく、事件にそれほど関心のないふつうの人にとってはどうなんだろう、という感じがします。隣に住んでいるおばあさんとか、仕事に追われているおじさんとか、子育てにいそがしいお母さんとかにとって、ここであげられているテーマは、自分との関係性がなかなか見いだせない感じがします。

 といってそういう人たちが事件と全く関係ないのかといえば、そうではない気がします。

 

 事件の際、犯人の語った「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を否定しきれない自分がいる、とぷかぷかを訪ねてきた人がいました。

 事件のあった年の11月、NHKラジオ深夜便で「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」といった話をしたところ、そんなことをいう人がいるんだ、と信じがたいような思いで私に会いに来た人がいました。その人は犯人のいった言葉を否定しきれない自分がいて、悶々としていたところへ「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」などという言葉がラジオから流れてきて、びっくりしたといいます。

 でもぷかぷかに来たことがきっかけで、パン屋で一日実習し、それに続いて演劇ワークショップにも参加。舞台にもぷかぷかさんたちと一緒に立ちました。

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 そんな経験の中でいろいろ思うことがあったのか、そのあと、彼は放課後ディサービスで仕事を始め、重度障害の子どもたちとの日々が楽しくてしょうがない、といってきました。「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を否定しきれない自分がいると悶々としていた人が、今、「重度障害の子どもたちとの日々が楽しくてしょうがない」というのです。彼をそこまで変えたのはぷかぷかさんたちとのおつきあいです。ぷかぷかさんたちのチカラをあらためて思うのです。(彼のことはその後NHKスペシャルで事件を取り上げた時に紹介してくれました)

 

 いずれにしても、「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を否定しきれない自分がいる、と感じた人は多かったのではないかと思います。

  事件に関する取材でぷかぷかに来た記者で、やっぱり自分の中にも事件の犯人的な発想があって、そこからなかなか抜け出せない、と正直に語った方もいました。

 普段障がいのある人たちに関わりのない人たちのふつうの感覚だろうと思います。上に上げたテーマをいくらきっちり書いても、犯人的な発想からなかなか抜け出せないと悩んでいる人にとっては、ほとんど意味がありません。

 そういう人に届く言葉こそ、丁寧に書いて欲しいと思うのです。「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」といった言葉から抜け出すにはどうしたらいいのか。力強い言葉ではなく、「あ、そうか」っていう気づきにつながるような言葉です。

 

 事件直後、ネット上には「よくやった」などという言葉が飛び交いました。あの悲惨極まる事件に対し、「よくやった」などという社会は怖いです。事件後、街に出るのが怖くなったという障がいのある人たちはたくさんいました。

 その社会は、事件から4年たった今も全く変わっていません。

 そんな社会に、今どんな言葉を届ければいいのか、この社会の中で何をすればいいのか、といったことこそ今求められている気がします。

 

 11月14日(土) ぷかぷかは、そんなことをみんなで語りたくて上映会をやります。

www.pukapuka.or.jp

これは「詩」ですね。

 実習生の、この感想、「きりんのえをかきました」「かにのえもかきました」…って書いただけなのに、なぜか人の心をあたたかいもので満たしてくれます。

 簡単な言葉なのに、どうしてこんなにキュンと幸せな気持ちになるのでしょう。

 人の心を揺り動かす、これは「詩」ですね。

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 こういう言葉にふれることで、私たちは人間を取り戻すことができます。人間のあたたかさを思い出すことができます。とがった心がまるくなります。

 ともすれば人間であることを忘れてしまうような日々の中で、彼らは私たちを人間に引き戻してくれているのだと思います。

 

 かながわ共同会が運営する施設で、また虐待があったといいます。彼らが人間を取り戻すのは、いったいいつなんだろうと思います。目の前にいる人たちの書く「詩」に気がついて欲しいと思うのです。

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上映会やります。

 毎年7月末にやまゆり園事件をテーマに上映会をやっていたのですが、コロナ禍で今年は中止にしました。でも裁判が終わり、事件が話題になることはほとんどありません。裁判もやまゆり園の支援のあり方を問うこともなく終わってしまい、何が問題だったのかはほとんど明らかになりませんでした。

 結局そこのところは私たち自身が問い続けるしかないのだと思います。そのための上映会を、やっぱりやることにしました。コロナ禍であっても、いろいろ工夫してやり続けないと、本当に事件は忘れられてしまうと思うからです。

 上映会は、11月14日(土)午後1時〜5時、横浜ラポールのホールです。

www.yokohama-rf.jp

 上映するのは第6期演劇ワークショップ記録映画、NHK、テレビ神奈川、Eテレの映像(それぞれ5,6分)。まだ確定ではないのですが、NHK、Eテレ、朝日新聞の記者さんに登場していただいて、ぷかぷかで事件を超えるものとして何を見つけたのか、をそれぞれ語っていただき、それを元に事件を超えるには何をしていったらいいのかをみんなで話し合えたら、と思っています。あーだこーだと抽象的な話ではなく、どこまでも日々の暮らしの中で何ができるのか、何をしていけばいいのか、を話し合います。

 やまゆり園事件についての話し合いは、大概どこでやっても重い、しんどい話になりがちですが、ぷかぷかがやる時はぷかぷかさんたちも参加しますので、いつも明るくて楽しいです。

 これは去年の上映会の様子を現代書館の若い編集者が書いたものですが、「とがった心がまるくなる」ような上映会でした。

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 朝日新聞は「いい一日だったねってお互い言えるような日々の積み重ねが事件を超える社会を作る」という素晴らしい記事を書いてくれました。優生思想を超えるとか、あまり大きな話ではなく、もっと身近で、手の届く範囲のことを日々やっていこう、という提案をぷかぷかはやっています。

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 Eテレはぷかぷかを取材して高校生向けの共生社会を考える番組を作ってくれました。たまたま取材の最中にフタミンが割り込んできて、「明日からキャンプに行きます」などと言いだし、その時のタカサキとのやりとりがなんとものどかでおかしいです。共生社会って、字で書くとなんだか難しそうな感じがしますが、こうやってぷかぷかさんたちと楽しい話をする日々のことなんだと思います。

www.pukapuka.or.jp

 

 だから「事件を超える社会をつくる」なんていうと、なんだかすごく大変そうですが、彼らと一緒に笑い合える日々を作るだけのことなのです。あーだこーだ小難しい話をしても、社会は変わりません。それよりも、あなたの周りにいる障がいのある人たちと、キャハハって一緒に笑い合える日々をつくること、一緒に笑える仲間を増やすこと、そうすれば社会は少しずつ、でも確実に変わっていきます。

 こうやってね、ご飯食べながら一緒に笑う日々を作るのです。こういう日々の中で「ぷかぷかさんて障害者だったのね、ずっと忘れてたわ」という名言が生まれたのです。「事件を超える社会」「共生社会」「ともに生きる社会」がここにあります。

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 上映会のチケット代とか申し込み方法など詳細につきましては、また後日発表します。

「ぷかぷかさんて障害者だったのね。ずっと忘れてたわ」

 今月末でやめていくスタッフがぼそっと言った。

 「ぷかぷかさんて障害者だったのね。ずっと忘れてたわ」

 この感覚がすごくいい。いっしょに生きていく、というのはまさにこの感覚だと思う。障がいのある人との対等な関係。あれができないこれができないと、障がいのある人たちを見下したりしない。

 相手と人としてつきあっているから、そこに「障害者」という言葉はもう必要ない。障害があるとかないとか関係なく、彼らとはおつきあいすればすごくおもしろい。

 つきあうとおもしろいからつきあう。おつきあいの原点とも言えるのだが、ぷかぷかさんとのおつきあいはそのことにつきる。だからおもしろいものが次々に生まれる。

 

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 おもしろいだけではない、彼らの作り出すものは私たちの心を癒やしてくれる。だから私たちにとってとても大切な人たち。すぐ上の絵は、ぷかぷかさんの描いたスタッフの似顔絵だが、スタッフは宝物のように大事に大事にしている。スタッフと利用者さんという関係を遙かに超えた豊かな関係。お互いが幸せを感じる関係がここにはある。

 「わらび餅」も文字も、お客さんの心をわしづかみにする。この文字は社会をゆるっとさせる。こんな文字を書く人は社会の宝だと思う。

 

 太陽住建さんがニューヨークで開かれたSDGsの世界大会のレポートの表紙にぷかぷかさんの絵を使ってくれたのも、持続可能な社会を作っていく上で彼らとの関係が大事だ、という思いがあったからだと思う。「先見の明」といっていい。

  太陽住建さんは太陽光発電を使って持続可能な社会を作ろうとしている。その工事現場に何度かぷかぷかさんがお手伝いに行き、おつきあいがはじまった。そういう関係の中で、持続可能な社会を作っていく上で、ぷかぷかさんたちの存在はとても大事だと思ってくれている。そんな思いがレポートの表紙の絵には込められている。

 何かと窮屈で、息苦しい社会。持続可能な社会にするためには、この問題の解決が必要。ぷかぷかがぷかぷかさんと一緒にほっと一息つけるような空間を作り出していることは、その解決策の一つを示している。持続可能な社会を作っていく上で、彼らとのおつきあいはとても大事だとあらためて思う。

 

 彼らのことを障害者としか見られない社会は、持続可能な社会を作っていくこういう新しい動きから、どんどん取り残されていく気がする。彼らとのつきあい方一つで、みんなが豊かになれる社会が実現するのに、もったいないことだと思う。

 

 ぼそっと語ったに過ぎないのだが

「ぷかぷかさんて障害者だったのね。ずっと忘れてたわ」

の言葉は、なんかすごく大事なことを語っている気がする。

 

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すごく悲しいけど、僕は泣かないよ!

 ぷかぷかのスタッフの一人が近々やめることになった。2年足らずのおつきあいだったが、そこから広がった豊かな世界は、障がいのある人たちといっしょに生きることで生まれる豊かさをそのまま物語っている。添付した感想を読んで欲しい。

 別れはいつでも辛いもの。それでもここには幸せがある。ぷかぷかは、そんな幸せを作り出しているのかも知れない、と感想を読みながら思った。

 ぷかぷかは就労支援の福祉事業所。でも、そんな枠組みを大きくはみ出すものをぷかぷかは作り出しているとあらためて思う。私たちの想定を遙かに超えたぷかぷかさんたちの働きだ。それが涙が出るくらい辛い別れを幸せなものにしている。これこそが彼らのチカラだと思う。そういうものを私たちは彼らからもっともっと謙虚に学ばねば、と思う。人生をもっと豊かなものにするために。

 

 「障害者は不幸しか生まない」などといったやまゆり園事件、そしてそれを生み出した福祉施設。それとは正反対の世界がここにはある。何が違うのか、そこを考えることが私たちに求められている。

 彼らを「支援」の対象としか見ないでいると、こんな豊かなものは生まれようがない。本当にもったいないと思う。

 

 

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 「ぷかぷかとの出会いとお別れまで」

 2年半ほど前、ダウン症の女の子と出会った。彼女と顔を合わせると、手を繋いでくれたり、たくさん話し掛けてくれて、すごく癒されたのを覚えている。

何を言っているかわからないこともあったけれど、話の内容云々ではなく、その自然なスキンシップと、あの笑顔がたまらなかった。

 当時4年生だった次男と、その女の子が初めて会ったとき、女の子はいつも私にしてくれるように次男にも手を繋ごうとしてくれた。だけど、初めて会った人からそんなことをされたことない次男は凍りついた。女の子がダウン症だったからではなくて、元々かなりの人見知りということもある。でも、次男は今まで障がいのある人たちと会ったことはなく、見掛けたことはあったとしても、関わってきたことのない。つまり、母親である自分が関わらせてあげていなかったということに気付いた。だからと言って、私自身もほとんど関わったことはないし、どのように関わったらよいのかもわからない。正直、知り合いにいなければずっと関わることもなく、知ろうともしなかったかもしれない。恐らく、小学生のほとんどが、次男と同じ状態なのではないかと思った。私は小学生のPTA会長をしている。そんなこともあり自分の子どもだけでなく、地域の子どもたちのことを考えることが多くあり、子どもたちが障がいがあるとか、ないに関わらず、あれこれ考えずに付き合えるような、そんな世の中だったらいいのにな、と思った。

「それにはまず、私が知らなければ!」そう思った。そう思ったとき、たまたま自分が知り合いのお店で開いたイベントに来てくれた人がぷかぷかのスタッフさんだった。もう1人はぷかぷかの大ファンの方で、ぷかぷかで働いてみたいことをそのお二人にお話した。そしてその時、そのお店にふらっとやってきたのが、最近ぷかぷかで働き始めたという方だった。偶然にも程があるだろ?と言いたくなるほどのぷかぷか要素が高い空気の中で、ぷかぷかのスタッフさんから高崎さんを紹介してもらった。

 

 高崎さんにメールを送り、責任者の方と会うことになった。見学をし、実習を3日間体験させてもらうことになった。

 初日の朝、緊張してぷかぷかに向かうと、コウキさんが最高の笑顔で手を降って出迎えてくれた。初対面なのに「おはよう」と、こんなに気持ちのよい挨拶をされたのは、生まれてはじめてだったかもしれない。コウキさんのお陰で緊張も解れ、面接のときに会ったテラちゃんに力強く手を握られ、タカノブさんに靴下の色を聞かれ、あっという間にぷかぷかさんのペースに巻き込まれて行った。3日間、工房での実習。最初はみんなも緊張していたけれど、「嵐で誰が好き?」とか、雑談をしながら段々と仲良くなっていった。毎朝タカノブさんに靴下の色を聞かれ、みんなに色々教えてもらいながら、お昼は毎日ボルトさんとナマケモノに給食を食べに行った。3日間はあっという間に過ぎ、実習最後の日にボルトさんが私の目の前でダンスをしてくれた。

「こんなことは初めてですよ。」スタッフさんが言ってくれた。

実習を終え、しばらくして2次面接があった。そして、正式にスタッフとして働かせてもらうことになる。2018年10月のこと。

 

 ほどなくして、次男と夫とパン教室に参加させてもらった。先生のお二人が漫才コンビのようにテンポよく進めて行ってくれて、ぷかぷかさんが踊ったり歌ったり、そんな中でパンを交代で捏ねたり、おしゃべりしたり。あれよあれよと言う間にパンができあがる。夫はたくさんのぷかぷかさんに囲まれて、ハヤチャンに人生相談をして励まされていた。次男もそんな空間が心地よかったよう。みんなでパンをいただいて、洗い物して、さようなら。それがうちの家族とぷかぷかさんの出会い。

 それからも土曜日のワークショップに参加したり、あっという間にぷかぷかのファンになっていった。パン教室直後に次男がこう言った。

「え?あの人たちは障がいがあるの?」

 次男にとってぷかぷかさんは、障がいがある人ではなく、個性的な面白いお兄さんお姉さんでしかなかったようだ。これだよ!これ!こんなかんじでいいんだ!私はそう思った。子どもたちが障がいがあるとか、ないとか関係なく付き合えるようになったらいいのに…の第一関門を突破したような、そんな気持ちになった。

 

 パン教室で一度会ったら、もうお友達。パン屋さんに買い物に行っても必ず覚えていてくれて子どもに声を掛けてくれるユミさん。まだ会ったのは2回目なのに「大きくなったね~」と。そんな雰囲気が面白くてたまらない。働いていても、ぷかぷかさんとの時間はなんとも心地がよかった。もちろん注意をしなくてはいけない場面もあったり、落ち込んでいるところを励ましたり、やる気がなくなったところをやる気になるようにお話したり、なかなか難しいところもあるのだけど、いい一日を過ごそうという高崎さんの言葉を思い出すと、楽しく終われるように、言い方を変えてみたり、色々工夫することができた。

 お菓子工房で13ヶ月お世話になり、そしてパン屋に異動した。

 

 パン屋からスタートしたというぷかぷか。私にパンの経験はなかったけれど、とても温かく楽しいスタッフさんばかりで、楽しく働くことができた。

 工房とはまた違うぷかぷかさんがパン屋では働いている。ぷかぷかさんたちは、一週間ずっと同じ部署の人もいるし、週3はパン屋で週2は畑だったり、シフトは個人に合わせて異なる。テレビなどでもお馴染みのツジさんは毎日パン屋さんにいる。朝、店頭の準備をツジさんと行う。外販の準備のためパンに貼るラベルを出すのがツジさんのお仕事のひとつ。1番の食パンから、500番台まであるラベルの番号を全て暗記している。ツジさんとのやりとりはとても楽しい。ツジさんは何度か同じことを言って、4回目くらいにその言葉を途中で止める。そしてその先を相手に言ってもらうのが楽しいようで2020年お正月休み明けの一発目はこれだった。「キングヌー…キングヌー…キングヌー…キング??」こんな調子。2人で一緒に「ヌー!!」と言った。なんだか通じ合えたような気がした瞬間だった。ツジさんは何とも思ってないかもしれないだろうけれど。

 

 次男の1年生のときの担任の先生がぷかぷかの近くに住んでいるそうで、よく学校の帰りに寄ってくれた。パン屋のレジに居ると、知り合いではなくても常連さんとは顔見知りになってくる。お客様との雑談もとても楽しくて、食パンの耳はどんな風に食べているか紹介しあったり、娘さんがぷかぷかのパンの耳で作ったピザトーストがないと機嫌が悪いというお母さんや、たくさんの人とお話をした。昔の知り合いにばったり出会ったり、パン屋のレジにいて本当によかったと感じる。

 あるとき、担任の先生が来た。1年生のときの担任の先生と一緒に。ふたりは学校の人権担当だという。パン屋の私がいる目の前の椅子に先生ふたりと高崎さんが座り、打ち合わせをしていた。なんとも不思議な光景だった。小学校の人権研修をやりたいと高崎さんには前々から言われていて、校長先生にも一度お話はしたことがあったが、ぷかぷかのスタッフでありPTA会長である立場上、あまり強く推すことができずにいた。そんな中、近所に住んでいる1年生のときの担任の先生が、人権研修をぷかぷかにお願いしようと決めてくれたそうだ。やっとたくさんの子どもたちにぷかぷかさんたちを知ってもらえる機会を持てた。高崎さんからもどんな風な人権研修にしたらよいだろうか?と聞かれ、難しい話ではなく、歌ったり踊ったり楽しいのがいいのではないか?とお話した。

 低学年と高学年に分かれ、2回講演する。低学年用にはまずボルトさんと大ちゃんの忍者ダンスから始まり、ツジさんの暗記しているふきのとうの朗読、大ちゃんの太鼓、ショウヘイさんのポケモンのお話。急に知らないぷかぷかさんが躍り出し、こどもたちが「ポカーン…」だったところに、先生たちが衣装を着て一緒に踊ってくれた。先生のそんな姿を見たことのない子どもたちは喜び、それはそれは盛り上がった。子どもたちは、一緒に踊りたい人いる?との声にどんどん前に出てきて踊った。

 高学年はツジさんのふきのとうから始まり、忍者ダンス。一緒に踊りたいなんて言うかな?と心配していたけれど、たくさんの子どもたちが前に出ていった。ちょうどニンニンジャーの世代だったようでみんな楽しく踊っていた。PTA会長としては、学校の子どもたちの反応も気になるところ。また、子どもの発表会を見るような目でボルトさんと大ちゃんのダンスを見ていた記憶がある。2回の講演も大盛況に終わった。

 その後、ぷかぷかさんの人権研修の感想というものが学校の廊下に貼り出されていた。

 「障がいがある人は1人では何も出来ない人だと思っていたけれど、全然違った!」とか

 「ふきのとうを暗記しているなんて、すごいと思った。」など、たくさんの子どもたちの感想が貼り出されていた。とてもポジティブなものばかりだった。そんな中、我が子の感想が面白かったと、担任の先生から聞いた。

 「ママが働いているから何回か会ってるけど、障がいがあるとかないとか特になんとも思わない。俺にとっては普通のこと。」こんなような感想だったよう。「一歩先を行ってますね!」と先生は言ってくれた。とにかく、全校の児童に短い時間だったけれど、ぷかぷかさんを感じてもらうことが出来てうれしかった。

 

 コロナウィルスの影響で、営業が自粛となり、ぷかぷかさんたちは自宅でお仕事をしていた期間、私も自粛となった。しばらくみんなに会えなくて、とても寂しかった。みんなのことが気になった。パン屋で働いているものの、パンは焼かない私。自粛期間にパンを焼けるようにして、パン屋でも力になれるようになりたい!と毎日パンを焼いた。オーブンも新しくし、シンプルなパンは焼けるようになった。お店で出してほしいパンを焼いて持っていき、みんなにOKをもらってお店に出してもらったりもした。ちなみにコロナ自粛中にパンのせいで増えた体重2キロは、まだ落ちていない。

 

 営業が再開した。いつも通りとはいかず、毎朝行っていた朝の会はなくなり、各部門に出勤することになった。それでもぷかぷかさんたちはいつもとなにも変わらない。ツジさんのおしゃべりが始まると、いつもの光景が返ってきた!と嬉しくなる。コンちゃんのコキンちゃんがさつまいもを食べておならをして泣いちゃう話、アマノさんの猫舌だから味噌汁はフーフーしないと飲めない話、いつも当たり前だったこと一つ一つが、楽しくて仕方ない。

 

 パン屋に異動してから、仕事終わりにボルトさんが訪ねてくるようになった。「文章、瞳さん専用」と書かれたA4のコピー用紙を半分に折って、ホチキスで留めたものに、文章を書いてくる。私はその文章を、ナレーターのように読む。その文章は、ボルトさんらしくて面白い。

 「俺は◯◯だ!」から始まる文章は、プリキュアだったり、仮面ライダーだったり、そのページによって違う。仮面ライダーが堀北真希主演のヒガンバナというドラマに出てくる捜査七課に所属していて、地球を守るために修行をしていたり、時にはスーパーサイヤ人になっていたり、毎回ワクワクする文章を、週に3回持ってくる。ボルトさんは、仕事が終わってたくさんのぷかぷかさんがパン屋でお買い物をしている中、ずっと私の手が空くまで、パン屋で待っている。そして、完全にお客さんが引くと「文章、瞳さん専用」を持って近くにやってくる。誰にも迷惑をかけないように、ずっと待っている。そして私がナレーターのように文章を読み終えると、満足そうに帰っていく。

 「続きはまた水曜日ね!」こんなやりとりをして見送る。他のぷかぷかさんも、仕事が終わってから他の部門で働いていた仲の良い人を待って、一緒に帰ったり、まるで学校の放課後のような時間を過ごしてから帰っているようだ。

 

 ぷかぷかで働いている間に、私には色々なことが起きた。交通事故を起こし、みんなと日帰り旅行に行けなかったこと、瞼の手術をしたこと、ぷかぷかの目の前で雨の中転んで、ぷかぷかの隣の整骨院に通ったこと。交通事故のことを誰かに話すと、あっという間にみんなが知っている。会う人会う人「中村さん大丈夫なの?」と心配してくれる。何ヵ月も経った後に「もう目は良くなったの?」「もう転んだのは治ったの?」私がすっかり忘れていても、ぷかぷかさんは覚えていて心配してくれる。特にコウくんが、いつも優しく声を掛けてくれ、私を癒してくれる。

 

 週に3日の月水金。楽しいぷかぷかさんと、温かいスタッフさん達がいるパン屋でのお仕事は、本当に楽しくて、このままずっとこうしてぷかぷかのスタッフとしてお仕事をしていくものだと思っていた。そんな中、別のところで社員として働くことが急遽決まった。自分の将来的なことを考えてのことなのだが、あまりに急な展開でなかなか踏ん切りが付かなかった。

 一緒に働く大好きなパン屋の責任者に伝える日、心が痛くてたまらなかった。しかも、数日後にコンちゃんが辞めるというのが決まっていて、そのコンちゃんへの色紙を作る係りをさせてもらって、人が辞めると言うことがこんなにも切ないのに、自分が辞めるなんて言い出すことが本当に申し訳なく思った。7月31日、8月末で退職するために、この日に言うしかなく、大好きなパン屋の責任者のMさんに、重い口を開いた。Mさんはすごく困って、すごく嫌がってくれた。そこに隣の部門の責任者Iさんが現れ、一緒にお話をすると、Iさんもダメだと言ってくれた。考え直せないのか?と何度も言ってくれた。楽しくお仕事をさせてもらってるだけで、大した手助けも出来ていない私に、そういうことを言ってくれる人がいることがとてもありがたかった。明るくて面白くて、このお二人には人と付き合っていく上で、どうやったら相手が嫌な気持ちにならずに済むか、言いづらいことを言うときの言い方などを学ばせてもらった。ぷかぷかでは、楽しいぷかぷかさんとの出会いだけではなく、こうして素敵な方々との出会いがたくさんあった。プライスレスな22ヶ月だった。スタッフさんたちとは、連絡したら外で会うこともできるけど、ぷかぷかさんたちとはそうもいかない。たったの22ヶ月だったけれど、一緒に過ごしたことの思い出がありすぎて、なかなか心の準備ができない。ぷかぷかを辞めるということは、本当に身を切る思いである。

 

 いくつもの会社を退社してきた。いままでのその経験の中で、こんな気持ちになったことはない。また会えばいいし、辞めてもSNSで連絡を取るのは簡単なこと。こんな風に悲しくて泣けてくる別れを経験するなんて、思ってもみなかった。

 8/21、8月末で退社するスタッフの発表があった。ぷかぷかさんは仕事が終わると次々にパン屋にやってきて、声を掛けてくれた。「なんで辞めるの?」「辞めないで!」「中村が居なくなると嫌だよ」「今度はなんの仕事なの?」こんなにも声を掛けにきてくれる。私が辞めることを惜しんでくれる。本当にうれしかった。

 いつもならもう来ているはずのボルトさんがなかなか来ない。やっぱり辞めると聞いて、落ち込んじゃったのかな?悲しんでいるかな?心配していると、少し肩を落としながらも微笑みながらやってきた。そして、お手紙とプレゼントをくれた。手紙を書いていたから遅くなってしまったらしい。手紙にはこんなことが書いてあった。

 「いつもいつもいつもいつも僕のわがままを聞いてくれてありがとう。」と。他にも色々書いてあったけれど、それは私とボルトさんだけの秘密にしておく。読んだら涙が溢れてきた。ボルトさんの肩を借りて泣いた。ボルトさんとは、最初からたくさんの時間を過ごしてきたから、一番気がかりな人だった。この先「文章」を読んでくれる人は見つかるのだろうか?と思っていた。今まで何度も泣いているボルトさんを励ましてきた。泣くとすぐに鼻水が出てしまうボルトさんにティッシュを渡して鼻をかむように言ってきた。だけど私が彼の肩を借りてないて、顔を上げたそのとき、ボルトさんは泣いてなかった。

 「すごく悲しいけど、僕は泣かないよ!」と微笑んでいた。

 

 ぷかぷかで働けるのはあと4日。その4日間を大切に過ごしていきたい。

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